Kororon 映画について語るBlog

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映画  ムトゥ 踊るマハラジャ    ラジニカーント 主演

『ムトゥ踊るマハラジャ』5.1chデジタルリマスター版(字幕版)

 

インドの映画である、この映画が公開された当時、20年以上も前の話だが、この映画がヒットして人気を博していることは知っていた、この映画を観た人が、面白い!と絶賛していた、が、当時、インド映画、ということで、筆者にはあまりになじみなく、映画宣伝のポスターなどから、サリーを着てダンスを踊りまくる、ミュージカル的インド映画、という先入観にとらわれて、残念ながら、この映画を観ずにいた。そんな映画だったが、“面白いんだよ” という観た人の感想がどこかに引っかかっていて、20年以上たった今、いまさらながら、観てみようかな、なんて思ったりして、結局、観てしまった。

 

それで、感想は?と問われれば、面白かったよ!と筆者は答える、そう、映画「ムトゥ踊るマハラジャ」は面白い映画だった。ミュージカル映画ではないのだが、主人公ムトゥの歌と、ダンスが、劇中ところどころ顔を出す、その歌で同じ歌詞を繰り返し、繰り返し歌う、そこが実はよかった。劇中の歌のいいところは、歌詞がシンプルであるということ、どの歌も、字幕を見る限り、シンプルなフレーズで、インドのタミル語でしゃべり、歌うのである。同じフレーズと歌詞の繰り返しである、ちんぷんかんぷんのタミル語の歌であっても、観ているほうにはテンポがよく、ダンサーたちの熱気とエネルギーが伝わってくる、映画のテンポの速い流れを感じることができるのは、観ているほうには気持ちがいい。

 

ダンスもいい、ハリウッドのミュージカル、ブロードウェイのミュージカルとは一味違った、キレッ、キレッのインド的ダンスなのである、振り付けはシャープ、ダンサーの動きもシャープ、マイケル・ジャクソンの “スリラー” にも引けをとらぬパフォーマンスだ、と筆者は称賛したい。

 

ストーリーもいい、ムトゥとご主人様をめぐる話、ムトゥの生い立ちをめぐる話、誤解にすれ違い、さらにまた誤解にすれ違い、を繰り返し、クライマックスへ。また、荒唐無稽な数々のアクションシーンもいい、スローモーションも組み込まれ、絶対的強さを誇るムトゥが爽快でかつ、気持ちがいい、こんなアクションシーンも面白い、インド映画やるなあと、映画に釘付けにされるところ。

 

この映画の本来のタイトルは「ムトゥ」であった、日本で公開されるにあたって ”ムトゥ“ の後に “踊るマハラジャ” という一言が加わった、”ムトゥ“ はこの映画の主人公の名前であるので、映画のタイトルとなるのもさもありなんで、何ら不思議はない、思うに、日本でヒットさせるにあたっては ”ムトゥ“ だけではインパクトが弱かったので ”踊るマハラジャ“ と付け加えたのか。 映画のポスターを観ても、主人公のムトゥをイメージさせるものは何もない。一方、”マハラジャ“ というのは本来サンスクリット語で ”偉大な王“ ”高位の王“ という意味であるので、”踊るマハラジャ“ というのは映画の内容を言い当てている。

 

80年代バブルのころに大ブレイクしていたディスコ ”マハラジャ“ というのがある、お立ち台なるものの上で女性たちが踊りまくる、というイメージが一番強い、現在も復活して六本木で営業中の高級ディスコである。筆者がこの映画のタイトル ”踊るマハラジャ“ と聞いて一番にイメージしたのは、この高級ディスコ ”マハラジャ“ であった、実際に映画を観てみると、ディスコマハラジャに勝るとも劣らないキレッ、キレッのパフォーマンスを見ることができた、おそらくこのタイトルは、そんな宣伝効果も狙って、日本になじみの薄かったインド映画に強烈なインパクトを与えるためのネーミングでもあったのではないか、と、筆者は勝手に想像する。

 

筆者は当初、インド映画と聞いてあまりのなじみのなさに、若干引いてしまった、ムトゥが主人公の名前だともわからなかった、これからこの映画を観ようと考えている方々には、どうぞそんなことのないように心から祈っている、映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」は面白い!ずいぶん遅まきながら、筆者もその面白さを堪能できてうれしく思う、お勧めの映画です。

 

 

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映画 市民ケーン  オーソン・ウェルズ 主演 /    オーソン・ウェルズ 監督         : 悪くないけれど残念な映画

 

 

市民ケーン Blu-ray

 

 

 

オーソン・ウェルズの監督デビュー作品でもあり、“世界映画史上のベストワンとして高く評価されている” 映画、とも言われている。さらに、オーソン・ウェルズ演じる新聞王ケーンは、実在するウィリアム・ランドルフ・ハーストという人物をモデルにしており、彼は実際に ”新聞王“ と呼ばれていたという、そのため、この実在する新聞王ハーストによって、映画「市民ケーン」は上映妨害運動が展開され、アカデミー賞にも9部門でノミネートされていたのに、実際、受賞したのは脚本賞だけ、という。ハーストという人は自分がモデルにされたことに、ずいぶん激怒した、と想像できる。

 

では、実際の内容はどうなのか、モデルにされた本人が、上映妨害したくなるような、そんな内容なのか。映画の前半は、養子に出され、25歳になって莫大な財産を相続したケーンが、新聞社の経営をはじめ、大成功をおさめ、人生の勢いに乗り、大統領の姪と結婚までして、ついには、ニューヨーク州知事を目指し、州知事選に打ってでる、という活躍ぶり、そんなケーンの成功ぶりを、どちらかというと、明るく、活発に描いているのが前半だ、映画なので、多少大袈裟に脚色された部分も無きにしもあらずだったかもしれない、が、モデルにされた人物が映画の上映を妨害したくなるような描かれ方では決してなかったと思う。

 

では実在のモデルが、上映妨害したくなるほど気に入らなかったのは映画の後半か、映画の後半では、愛人のいることがライバルにばれて、それをネタに脅されて選挙に負ける、そのせいもあり、大統領の娘の奥さんとは離婚に追い込まれる、オペラ歌手を目指していた、元愛人だった新しい妻のために、ずいぶん立派なオペラハウスを作ってやるのだが、奥さんのオペラ歌手としての実力不足のために、周囲の者からは笑われる、とうとうニューヨークから脱出、郊外に巨大な屋敷を建てるも、使用人とケーンと奥さんだけという、超巨大な屋敷にたった二人だけの生活、耐えきれなくなった奥さんには出ていかれる‥‥と散々な目に合う、巨万の富があっても、金だけでは幸せになれない、という見本のような生き方である。おそらく、こういった映画後半のケーンの描かれ方が、実在の本人には我慢ならなかったところではないのか、と筆者は考える。

 

この映画では “Rosebud (バラのつぼみ)” という言葉が、最後まで謎として、登場する、ケーンが死の間際につぶやいたこの言葉は何を意味するのか、と。何を意味しているのかは映画を最後まで見てほしい。映画「市民ケーン」と言えば “Rosebud (バラのつぼみ)” といって、映画好きならば、だれもがすぐに連想できるほどの有名なセリフであり、人気シリーズであったTVドラマ「刑事コロンボ」の中の「攻撃命令」という回でもこの言葉はでてきて、この言葉はドラマの中ではかなり重要な鍵となっている。もしかしたら、この “Rosebud(バラのつぼみ)” の秘密が、実在の新聞王ハーストは気に入らなかったのだろうか、センチメンタルすぎる、とか、触れてほしくない琴線にはからずも触れてしまったとか…、これは筆者の勝手な想像ですが。

 

確かに、この映画で ”Rosebud(バラのつぼみ)“ の秘密は意外だった、が、ストーリーは後半の郊外に建築した邸宅のあたりまでくると、人間的な凋落ぶりに、ケーンに憐れみすら感じてしまう、だれもがうらやむ億万長者なのに。結局、お金じゃないよ、お金があっても幸せになれるとは限らないよ、お金ですべての夢がかなうわけではないよ、大切なものはほかにある…という、素朴な真実を訴えたかったのか。

 

というわけで、最初にも書いたように、この映画が “映画史上のベストワンとして高く評価されている” にもかかわらず、上映妨害にあって、アカデミー賞9部門ノミネートされたけれど、一部門のみの受賞にとどまったという事実をもってして、ストーリー的にも、劇中で試みられている、素晴らしいざまざまなテクニカル的にも “悪くはなかった” のだけれど、 ”残念な映画”  にしたいと思う。

 

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映画  三つ数えろ   ハンフリー・ボガート 主演

 

 

三つ数えろ [DVD]

 

レイモンド・チャンドラーの生み出した探偵フィリップ・マーロウと言えば、もう、ハードボイルドの代名詞ともいえる有名な探偵であるが、今回、ハンフリー・ボガートがこのフィリップ・マーロウを演じ、先に紹介した映画「マルタの鷹」の探偵サム・スペードに続いて、男の中の男(?)、堅ゆで卵のハード・ボイルドを演じて魅せてくれる。今回は、マーロウの相手は謎に満ちた美しいお嬢さんを演じるローレン・バコール、ボガードとバコールが結婚していたというのは知らなかった。

 

大富豪のわがままいっぱいに育った姉妹、妹の方がある事件のためにゆすられていて、それを何とかしてくれという大富豪からの依頼、依頼を受けてゆすり相手の古本屋を訪ねるところから事件に巻き込まれていくマーロウ、ストーリーは面白い、姉のほうもいわくありげで一筋縄ではいかず、事件は事件を生み、ストーリーはこんがらがって、この映画もしっかり見ていないと、わけがわからなくなってしまうかな、という感じ。

 

この映画「三つ数えろ」にも、見せ場はいろいろあるのだが、筆者はこんなシーンを気に入っている、ゆすり相手の古本屋の向かいにもう一軒古本屋が、その向かいの古本屋の店員のお嬢さんとお酒を酌み交わしてのやり取り、眼鏡をとって髪を下した彼女に向かって、マーロウが一言、「みちがえたな。」この時、英語では「Hello」と言っているのだが、この時のいい方、アルファベット “o” にアクセントを置いて、彼女と目と目を合わせ、ハスキーな声で ”Hello“ といった。こういった ”Hello“ の使い方というか、言い方、面白かった、ストーリ展開とは全く関係のないこんなシーンにも、筆者は興味を感じたりしてしまう、ちょっと、粋なシーン。

 

もう一つは、やはりラスト、最初に死体が転がっていた屋敷で犯人と対決をする、この時の決着の付け方、うまかった、犯人の企みを見破っていてそれを逆手にとっての勝負、女性の扱いだけではなく、頭のほうも冴えに冴えているフィリップ・マーロウはやっぱりカッコいい。そして、さらに、ラストのラスト、この展開はいろいろ意見もあろうと思うが、一つ言えることは、ハードボイルドのフィリップ・マーロウ、女性には優しいということか、もっとも、依頼人の大富豪を気遣った行動ともいえるか。

 

こんなことに気づいて、書いてみようと思うのは、おそらく筆者くらいのものだと思うので、書いてみるが、クリント・イーストウッドは自身が監督した映画「ダーティー・ハリー4」では、この映画「三つ数えろ」をある意味、なぞったか、または、ハンフリー・ボガート演じるフィリップ・マーロウへのオマージュだったのか、と筆者には思えてならなかった。ダーティー・ハリーこと、キャラハン刑事も第4作目においては、女性に優しいラストであった、やっぱり、はっきり言って、映画「三つ数えろ」と同じだった、また、どちらの映画にも姉妹が出てくるのも同じだが、この姉妹は事件と大きく関係があり、これもまた、どちらの映画でも、妹のほうは精神を病んでいる、という設定、精神を病むに至った経緯などはもちろん異なるだろうが。また、主役の刑事と姉妹の姉のほうは、恋に落ちるとまではいかないと思うが、お互いに好意を持ちあう流れ‥‥などなど、全く異なったストーリーなのだが、ベースになる軸、というか、核は同じ、と感じる。

 

 

【映画パンフ】ダーティーハリー4 クリント・イーストウッド

↑  ダーティー・ハリー4

 

 

 

だからと言って、映画「ダーティー・ハリー4」がよくない、とか、けしからん、というわけではなく、映画「ダーティー・ハリー4」は、それはそれで面白かった、クリントー・イースドウッドもよかった、最後まで抵抗していた犯人はクレイジーすぎて、あの結末以外は、観ているほうも納得しかねたかもしれない。

 

映画「三つ数えろ」で若干、不満に思うのは、最後の終わり方で、あれはあれでいいのかもしれないが、なんだか、尻切れトンボ風、中途半端風、余韻ゼロ、と感じてしまって、そういう意味で言ったら、全く同じラストではあるのだが、クリント・イーストウッド監督のほうがうまく撮った、と、この点においては、映画「ダーティー・ハリー4」に軍配を上げてしまいたくなる、筆者でした。

 

マルタの鷹(1941) (字幕版)

 

 

 

映画 48時間 /  48時間Part2 帰って来たふたり   ニック・ノルティ、エディー・マーフィー  主演  

 

48時間 (字幕版)

 

前回の「ダーティー・ハリー3」で、主役キャラハン警部とその相棒のことについて書いた、「ダーティー・ハリー」シリーズでは、いやが上でも、キャラハン警部が前面に出てきてしまい、相棒の影は薄くなる、といった趣旨のことも書いた、が、今回の映画「48時間」と「48時間 part2/ 帰って来たふたり」でのコンビでは、本来の ”相棒“ の姿に戻り、主役の二人、ニック・ノルティとエディー・マーフィーが絶妙のタッグを組んでいる。また、ニック・ノルティの刑事に対して、相棒のエディ・マーフィーは囚人、という役どころで、刑事と囚人、という異色のコンビにもなっている、まあ、Part2では、エディー・マーフィーは無事釈放の身となるのであるが。

 

ニック・ノルティ扮するジャック・ケイツ刑事は何故、エディー・マーフィー演じる囚人レジーハモンドとコンビを組むことになってしまったか、それは、ケイツ刑事の追うことになる犯人の情報をレジーが知っているからであり、それは、Part2でも、同様の展開となる。ケイツ刑事はダーティー・ハリーの流れをくむ荒唐無稽の刑事であり、その荒っぽい捜査のために、上司からガミガミをと小言を言われたりするところは、何らキャラハン刑事と変わりはなく、さらにひどいことにはケイツ刑事はpart2では、或る企みにもよるのだが、自分が逮捕されて、殺人罪で刑務所に送られる瀬戸際まで行ってしまう、ここら辺の無茶苦茶さはニック・ノルティならではの味が出ているか。

 

 

48時間Part2/帰ってきたふたり (字幕版)

 

 

映画「48時間」では、コンビが白人の刑事と黒人の囚人という設定もあり、劇中、白人対黒人の人種差別問題もさりげなく描かれていたりする、一方的な描かれ方ではなく、両者の側から対称的に描かれているところがいいし、面白い、また、ケイツ刑事は荒唐無稽でかなり滅茶苦茶をしているように見えるのだが、彼もやはり、正義感であり、正直でまっとうな刑事であることが分かる、Part1でもPart2でも、ここら辺は同じながれで、そのせいで、レジーはケイツ刑事を信頼して、二人の友情が育つ。もっとも、レジーは機会あればケイツ刑事を助けて、口で言っていることとは反対に、それとなく、人の良さを披露しているのだが、そんなところもいい。

 

エディー・マーフィーはこの映画「48時間」がデビュー作であるのだが、8年後に制作された映画「48時間 Part2/ 帰って来たふたり」では、エディ・マーフィー・プロダクションズというプロダクションを率いてこの映画の製作に参加するほどになっており、当然ながら、クレジットでも8年前の映画「48時間」とは名前の順番も異なり、Part2ではエディー・マーフィーの名が、ニック・ノルティの名前よりも先にクレジットされることとなる、エディー・マーフィー、ずいぶん出世したな。

 

8年の歳月の空きがあるとはいえ、Part1とPart2では、ちょっとしたいたずらというか、サービスがあり、Part1をしっかり見ておけば、先に書いた、”同様の展開“ がでてくる肝心な瞬間を見逃さずに済んで、より、映画を楽しめるのではないか、と思う。ただ、Part2のラスト、事件の決着のつき方、意外なところは悪くないのだが、なんだか少し雑すぎるんじゃないかな、という感じは否めず、もう少し丁寧に描いてくれてもいいんじゃないか、と思ってしまうのだが、ケイツ刑事とレジーの関係が悪くなく、ついつい、最後まで見てしまうことに免じてよし、としようか‥‥。

 

また、魅力的な ”相棒“ のドラマを観たいと思ったなら、映画「48時間」の二人のコンビもおススメ、悪くないと思うけれど、ね。

 

 

 

 

 

 

 

映画 ダーティー・ハリー3   クリント・イーストウッド 主演  : 悪くないけれど残念な映画

ダーティハリー3(字幕版)

 

刑事ドラマを見る時、主役となる刑事はもちろん魅力的でなくてはならないが、その刑事の相棒となる、もう一人の刑事、こちらもやはり魅力的であることが望ましい。主役の刑事と相棒、二人が一緒になって事件を解決してゆく、そんなストーリーの運びがたいていの刑事ドラマの定石ではないかと思う。そういう点から言うと、テレビ朝日の刑事ドラマ「相棒」は、まさにタイトルがズバリ “相棒” であるし、この定石で成功し、20年以上も続いている筆者も大好きなTVドラマである。が、今回紹介するのはこの “相棒” ではなく、海を越えたアメリカの “相棒” の話である。

 

映画「ダーティー・ハリー」シリーズはもちろん、俳優クリント・イーストウッドが主役の大ヒットシリーズである。そして、このシリーズではクリント・イーストウッドの俳優としての存在が大きすぎて、イーストウッド演じるキャラハン刑事の相棒の影はどうしても薄くなりがちだ。映画のタイトルは「ダーティー・ハリー」で、キャラハン刑事その人のことであるし、まあ当然のことだけれど。

 

映画「ダーティー・ハリー」でも、「ダーティー・ハリー2」でも、キャラハン刑事の相棒はけがをして退職したり、死亡したりと、次から次へと入れ替わる。キャラハン刑事は不死身だ、シリーズの主役であるので死ぬわけにはいかない。かわりに、キャラハン刑事の相棒が次々と殉職したり不遇の目にあったりするわけか。そして、今回の映画「ダーティー・ハリー3」では、とうとう女性刑事がキャラハン刑事の相棒として登場する。

 

映画「ダーティー・ハリー3」は1976年公開の40年以上も前の映画であるが、40年以上も前ながら、サンフランシスコ市警の殺人課に女性刑事が誕生する。いかにも、アメリカらしく、男女平等運動の波はこれほど早くアメリカに届いていたんだよ、という一例としてみてもいいのだろうか。まあ、劇中ではは女性刑事ケイトの存在はサンフランシスコ市が女性を重要視していますよ、という市長のマスコミ向けアピール、という意味合いもなくはないのだが。

 

とにかくも、この映画ではキャラハン刑事の相棒の女刑事が活躍する。銃を片手に犯人が潜むアルカトラズ島まで出向き、犯人と銃撃戦も交える、ただ一つ、この女刑事ケイトに不満があるとすれば、それは、何故か彼女はスカートをはいて、おそらくヒールの靴だと思われるが、パンプスをはいて、犯人を追うのである。どうも、これは、現実味に乏しく、観ているほうは違和感を覚える。まあ、スカートとヒールの靴、フォーマルっぽいジャケットを着て、犯人と銃撃戦する、女刑事っていうのもいるかもしれないけれど‥‥いるかなぁ。

 

この映画がTVで再放送されたころか、筆者がこの映画を再度見直した時であったか、ちょうど、森さんの発言が女性蔑視、女性差別、と問題になって、オリンピック委員会が揺れていた、と記憶する。今では、女性が主役のアクション映画も、女性刑事がドラマに登場するのも珍しくない。つい先日も、消防士として活躍する女性のニュースを見た。消防士だけではない、タクシー運転手、バスの運転手、大型トラック運転手などなど、男性の専売特許と思われていた職業においても女性の進出は今では当然のこととなる。森さんの発言はこんな時代にはやはりそぐわない発言でした。おくればせながら、TVドラマ「相棒」でも、捜査一課に女性刑事がレギュラーとなりました。

 

劇中キャラハン刑事は停職になるが、停職中にもかかわらず、単独捜査を行い、キャラハン刑事の ”無謀“ な捜査はシリーズの回を追うごとに、エスカレートしていくようだ。エスカレートしていくキャラハン刑事の正義とサンフランシスコ市警のお偉方の正義とは相いれず、ぶつかった正義のはざまで、悲劇が起こる。キャラハン刑事が免職にならずに、刑事を続けていられるのが不思議、と思えたりもする。

 

そんなキャラハン刑事は全2作と同じく、劇中では暴れまわり大活躍するのだが、せっかく登場した女性刑事の描かれたに若干の不満もあり、シリーズ第三作は、悪くないけれど残念な映画、としたいと思う。

 

 

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映画  心の旅路

 

 

心の旅路 [DVD]

 

 

 

前回の映画「リオ・ブラボー」のときに、この映画は長い、と書いたが、今回のこの映画「心の旅路」も長く2時間にも及ぶ映画である、が、今回も前回の映画「リオ・ブラボー」の時と同じように、2時間という長さをほとんど感じることなく、ストーリーに引き込まれていく、つまり、この映画も面白い、映画「リオ・ブラボー」と違って、アクション、銃撃シーンなど一つもない映画である、記憶喪失の主人公と彼を助けた女性が恋に落ちて、始まる恋愛映画である。ハリソン・フォード主演の映画に「心の旅」(Regarding Henry) という映画がある、邦題のタイトルだけ見て筆者は、最初この映画はハリソン・フォード主演の映画であるか、と勘違いしていたが、いい意味で期待は裏切られた。

  

原作は有名なイギリス文学の一つ「チップス先生さようなら」を著した、イギリス人作家ジェームズ・ヒルトンであり、チップス先生はパブリックスクールで子供たちを教え導いていたが、映画「心の旅路」の片方の主人公、グリア・ガースン演じるポーラは、記憶喪失かつ、自信喪失の、こちらも主人公、ロナルド・コールマン演じるところのスミシ―を、親切に優しく導く。スミシ―は記憶は取り戻さないが、自信は取り戻し、恋に落ちた二人はめでたくゴールインし、幸せな家庭生活を営んでいく、前半のシーンは、観ているほうも幸せになれる。

 

このストーリーのポイントは、やはり、記憶を取り戻したスミシ―が、本来の自分の記憶と引き換えに、今度は、ポーラと過ごした幸せな3年間の記憶を失ってしまう、というところにある。映画では、スミシ―が失踪してしまった後のポーラの悲しみや苦労を描くシーンはなく、その間のポーラの事情は、彼女の言葉によってしか観客は知ることはできない、後半の中心は、記憶を取り戻した後のスミシ―の生活を中心に描かれることになる。

 

チップス先生さようなら(1969) (字幕版)

 

 

ある形をとって、スミシ―とポーラは再開することになるのだが、再会した後もスミシ―の記憶はなかなか戻らず、歳月ばかりがいたずらにすぎる。なかなか戻らないスミシ―の失われた記憶、批評家や映画を観た人の感想では、なかなか戻らないスミシ―の記憶喪失にイライラしたり、早く思い出せばいいのに、という感想を持った方も少なくないようだ、が、筆者は思う、なかなか戻らないスミシ―の失われた記憶ゆえに、ポーラの苦悩はあり、観ているほうは、ポーラの苦悩をひしひしと感じさせられ、観客をじらすように戻らないスミシ―の記憶喪失のほうがリアルであり、現実味を感じる、と。

 

大富豪に戻ったスミシ―が、工場のストライキを解決したあたりから映画はクライマックスへ、やはりこの映画は、最初からしっかり見ておかないといけない、スミシ―と共に観ているほうも記憶を呼び戻し、思い出さなければ、映画の楽しみも、ラストの感動も半減する、 “ボーっと” 映画を観ていちゃいけないよ。ただ、一つ、消化不良なのは、スミシ―を失ったポーラと冒頭の精神病院でスミシ―を診ていた精神科の先生がどうやって知り合ったのか、っていうことの説明が筆者はほしかった。

 

 

幸せな短い歳月の間もスミシ―を導き、ポーラを忘れてしまった長い歳月の間もスミシ―を導き、彼の幸せのために二人の結婚もなかったことにするポーラであった、スミシ―失踪後のキャリアの積み方を観ても、強くて優秀な女性であることは間違いなさそうだ、ポーラの幸せを願うばかり、やはり、この映画をみるには、ハンカチが必要かもしれないと思うのですが‥‥、いい映画でした!

 

 

映画  リオ・ブラボー   ジョン・ウェイン 主演

リオ・ブラボー(字幕版)

 

 

リオ・ブラボーというのはいったい何のことかと思っていたら、この映画の舞台となった街の名前だった、141分、2時間以上ある長い映画なのである、殺人の罪で逮捕した男を刑務所に入れて、連邦保安官に引き渡すという、それを、町で幅を利かせているゴロツキの親分で、逮捕された犯人の兄貴が、弟を助けるために、弟奪還を画策するというストーリーで、監督ハワード・フォークスは手を変え品を変え、ギャングの兄貴たちに弟奪還のアイデアをひねり出させる。コテコテの西部劇である、多少時代を感じさせる設定や、シーンもなくはない、が、ストーリーテラーハワード・ホークスは、山あり谷ありのストーリーで2時間以上も長時間にわたって、観客を映画からはなさない、そう、面白いのだ、ジョン・ウェイン演じる保安官チャンスと仲間たちと、ギャング一味の戦いと駆け引きが。

 

まず、保安官の味方となる仲間がいい、ディーン・マーチン演じるアル中の相棒、デュード、デュードが酒から立ち直っていくくだりは面白い、足の悪い毒舌のスタンピー爺さんも、牢番ばかりでさぞ退屈だろうと、同情を禁じえないが、要所要所でキーポイント的な活躍をしており、足の悪い老人であるからと言って侮れない助っ人なのである。一番最後に仲間に加わった早撃ちの若者、コロラドもその早撃ちはみごとであり、危機一髪の保安官チャンスを助けることとなる。

 

この四人に、女賭博師のフェザーズが絡んできて、保安官チャンスと恋に落ちるのだが、二人の恋の行方が、これもいい、ジョン・ウェインは相変わらずこの映画でも、まじめで、仕事一筋、超男らしくて、勇気は誰にも負けないが、武骨で不器用、女性にお世辞の一つもいえず、自分の気持ちを素直に伝えられない、という、映画「アラスカ魂」の時とほぼ同じ、男を演じる、こんな男を演じると、ジョン・ウェインは水を得た魚のように、生き生き(?)としているのは何故だろうか、ジョン・ウェイン定番のイメージでもある。

アラスカ魂 [DVD]

かように、主人公の保安官をはじめ、登場人物達は、生き生きとして西部の時代を生きている、そんな、映画である。筆者は知らなかったが、この映画は、以前このブログでも取り上げた、ゲーリー・クーパー主演の西部劇映画「真昼の決闘」に描かれている “クーパー演じる保安官の姿に不満を持ったハワード・ホークスジョン・ウェインが映画「真昼の決闘」のゲーリー・クーパー演じる、悩める保安官とは全く正反対の保安官とその仲間たちを描いた” 映画である、ということらしい。

 

確かに、映画「真昼の決闘」の保安官は宿敵が保安官の命を取りに仲間とやってくる汽車の時間が迫る中、助っ人は集まらずに、悩んだり、臆病風に吹かれたり、焦ったりする、最愛の奥さんですら保安官を見捨てて街を去ろうとする、命の危険を目の前にして、リオ・ブラボーの町のチャンス保安官とは真逆の、まさに、踏んだり蹴ったりの絶望的状況である。

 

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劇中で使われる歌にもその真逆さは現れる、映画「真昼の決闘」のテーマ曲は、“俺を見捨てないで、ダーリン、俺を見捨てないで、ダーリン” で始まる、聞きようによっては、”真昼の決闘“ という勇ましいタイトルの割には、どこかめめしさすら感じる歌詞ではないか、かたや、映画「リオ・ブラボー」では ”皆殺しの歌“ という、ギョッとするような歌が、ギャングより保安官たちに贈られる、もちろん、こんな歌を聞いたからと言ってひるむようなチャンス保安官一党ではない。このかなり徹底した反発、ハワード・ホークスジョン・ウェインはクーパー演じる、どこか頼りなげな保安官がよほど気に入らなかったと見える。

 

映画「リオ・ブラボー」のチャンス保安官にはそんな頼りなさ、みじんも感じられない、まさに、“男の中の男”、これもまた、以前このブログでも取り上げた映画「ダーティー・ハリー」のキャラハン刑事と共通する形容詞、ここに至って判明する、キャラハン刑事というのは、ジョン・ウェイン的男らしさの流れをくむ現代のヒーローであったか。

 

ということで、映画「ダーティー・ハリー」が気に入っている方には、この映画「リオ・ブラボー」もきっと気に入るのではなかろうか、と筆者は思ったりする。西部劇と刑事ドラマとジャンルはちがえど、どちらも拳銃撃ちまくるっていう映画だからね。映画「リオ・ブラボー」、先にも書いたけれど、2時間を越える西部劇、ビールでも片手にゆったりと楽しむのがおすすめ、でした。

 

 

ダーティハリー [Blu-ray]

映画   バットマン ビギンズ    クリストファー・ノーラン 監督

バットマン ビギンズ (字幕版)

 

ヒーローがヒーローになる前に、ヒーローにもその下積み時代がある「スターウォーズ」のヒーロー、ルーク・スカイウォーカーはその必殺技、フォースの力を持つジェダイ騎士になるために、帝国軍とレジスタンスの戦闘の場を一旦離れて、惑星ダゴバで、師ヨーダによる厳しい訓練を受けていた、又、「鬼滅の刃」の竈門炭治郎もまずは鬼殺隊に入隊するために、過酷な修行をつみ、水の呼吸を会得する、もっとも、この水の呼吸というのは炭治郎にはしっくりこない呼吸法だったらしいが、鬼と戦う段になっても、まだ、炭治郎の階級は低く、さらに上階級の ”柱“ 目指して修練を積むこととなる。

 

映画「バットマン ビギンス」のバットマンも映画の中で悪と戦うために強靭な力を得るために、雪山(ヒマラヤ)にこもって、厳しい訓練を受ける、かように、三者三様の ”悪“ に立ち向かうため、三人とも過酷な訓練を積む、ヒーローも楽ではないな、初めから強いわけではないんだね、と、ここら辺は、こつこつと努力し、精進する大切さを、観る者に伝えてくれるのか、或る意味、教育的(?)シーンなのか。

 

映画「バットマン ビギンズ」では、そのバットマン、こと、ブルース・ウェイン青年の訓練のために、なんと、忍者が登場する、何で、忍者が、と思うのだが、とにかく忍者で、このあたりのシーンは、ちょと、苦笑い、だったりする。さらに、ウェイン君、訓練のために使われる武器は、”日本刀“ である、こちらも、何で、日本刀なんだ、と思う、マカロニウエスタンならぬ、ステーキ時代劇(?)を観ているような気分になって、割とシリアスなシーンであるはずなのに、何故か、笑いがこみあげてきたりする。

 

映画「バットマン ビギンズ」に限らず、映画「スターウォーズ」でも、ライトセーバーと名は変えていても、本来は、日本刀による殺陣をイメージしたものだ、とジョージ・ルーカスは言っていた、図らずも、二つの映画によって訓練、鍛錬、戦闘のための武器として、日本刀が選ばれたことになる、なんだろう、おそらく、メンタル、スピリチュアルな側面から、日本刀が選ばれたか。ゴッサムシティに戻ったバットマンが戦闘で使用する武器は最新型のモダンなものばかりで、日本刀などでてこない、やっぱり、メンタルの強化、だね、メンタル強化には東洋の力。

 

また、バットマンこと、ウェイン青年は、実はメガリッチな億万長者なのである、ここら辺はルークや炭治郎とは違うところで、映画の冒頭で描かれるウェイン青年放浪の旅が終われば、彼は、再び億万長者に返り咲き、その財力に物を言わせて、悪人と戦うための最新兵器を次から次へと開発していき、巨大な屋敷の地下を自身の秘密基地に改造し、屋敷が全焼した後にも、また、復元、いや、さらにパワーアップした屋敷に、作り替えるという、メガリッチさ、バットマンというのは、命がけで悪と戦う億万長者であったのか、と、改めて理解、ゴッサムシティでは だれにも負けないくらい、突き抜けた巨額な ”金“ がないと、悪とも対峙できないのである。

 

 

 

バットマン リターンズ (字幕版)

 

 

映画自体のストーリーはどうかと言えば、前半のウェイン青年、放浪と修行の下りは、先ほども書いた通りで失笑を禁じえない部分もなくはないが、バットマンの起源を語る映画であるため、必要な部分か、シーンがゴッサムシティに再び移ってからは、なかなか面白い、ゲーリー・オールドマン演じる、気弱そうだが、汚職に屈しない警察官も悪くない、バッドマンに出会ったり、バッドマンの幼馴染に助けられたりする少年がほんのわずかなシーンだが登場する、この少年がもしかしたらロビンなのか、と思ったりするが、この映画の中では、そこまで描いていない。この映画はバッドマンシリーズ『ダークナイト・トリロジー』の第一作目であるという、第2作、第3作目ではっきりするのかな、残念ながらそこのところはわからない、まだ、第2、3作目は未見。

 

 

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バットマンの映画で印象に残っている悪役は、もちろん、ジョーカー、ティム・バートン監督の「バットマン」で、ジャック・ニコルスン演じるジョーカーと、同じくティム・バートン監督の「バットマン リターンズ」で、ミッシェル・ファイファー演じる、キャット・ウーマンかな、この『ダークナイト・トリロジー』とは別の作品だが、興味があれば見てみるのも悪くない、ぜひ、どうぞ!

映画  ダーティーハリー    クリント・イーストウッド  主演

ダーティハリー [Blu-ray]

 

 

映画「ダーティーハリー」、クリント・イーストウッド主演の人気シリーズであり、第5作まで作られ、第4作目はクリント・イーストウッド自身が監督をしてさらなる大ヒットを飛ばした映画である、なぜこれほどの人気を博したのか、もちろん、クリント・イーストウッドという俳優自身の魅力もあろうが、「ダーティーハリー」シリーズ、大ヒット最大の功績は、主人公のサンフランシスコ市警の殺人課刑事、ハリー・キャラハン刑事の魅力に追うところが大きいと思う。

 

何よりも有名なのは、映画の中でキャラハン刑事の使用している銃ではないか、“マグナム44” といって、本来狩猟用に開発されて、銃の威力は、劇中ではフィクションであるので多少誇張されているということだが、このマグナム44の破壊力はすさまじいらしい、筆者は、銃器については全くの素人であるので、劇中のキャラハン警部のセリフを引用するが、第一作目で言われる “これは世界一強力な銃だ” というセリフが有名のようだ、本人が言うのだからまず間違いないか。

 

第二作目の冒頭では、かなり射撃の腕がいい白バイ警官が、ハリーのマグナム44が重いといって、一発、射撃の的を外してしまうシーンがある、熟練した射撃手でも扱いにくい銃であるようだ、そんな破壊力No.1で扱いづらい拳銃を、カーチェイスしながらも自在に操り、その、腕前も一流、という、カッコ良さが、まず、キャラハン刑事の魅力か。

 

必要とあれば、容赦なく、遠慮なく、マグナム44が火を噴く、例えば、第1作目のラストの犯人との対決シーンや第2作目の冒頭のエピソード、旅客機をハイジャックした犯人への対処の仕方、黙して悠然と飛行機から去っていく姿、きっと、こういうハードボイルド的キャラハンの行動と性格が、ダーティーリーファンにとっては、たまらなくしびれるところなのかもしれない。

 

 

ダーティハリー2(字幕版)

 

 

また、映画「ダーティーハリー」の中には、『アメリカ映画の名セリフベスト100』というのにランクインする、という名台詞、というか、決めゼリフがある、犯人に向かって銃を突き付け、キャラハンが言う、“You‘ve got to ask yourself one question: ‘Do I feel lucky?’,  Well, do ya, punk! “,  (”俺はついてるのか?“ って、さあ、考えてみな、この野郎!)。

 

突きつけた銃の弾倉に、銃弾が残っているか、いないか、考えてみろ、という、まあ、ロシアンルーレットみたいなことをイメージすればいいかもしれない。映画「ダーティーハリー」で、このセリフは映画の最初と、犯人との対決のラストにでてくる、或る意味、見せ場。

 

このように映画「ダーティーハリー」は、タフガイ、非情、ハードボイルド、破壊力満点のマグナム44、女っ気、全くなし、のハリー・キャラハンを描いて、クリント・イーストウッドの当たり役となり、映画も大ヒット、シリーズ5作まで続くこととなった。

 

キャラハン刑事の有名な決めゼリフには、もう一つ映画「ダーティーハリー4」のなかで、“Go ahead, make my day.” (やれよ[撃てよ]、[俺を]楽しませてくれ)、というのがあり、しばしばこのように訳されるようだ。ハード・ボイルドで、ここぞというときに、こんな渋い決めゼリフのある、ハリー・キャラハン刑事というキャラクターが、

大ブレイクしたのも無理からぬことか。

 

映画「ダーティー・ハリー」で、男の中の男、ハリー・キャラハン刑事に酔ってみるのも、悪くないかもしれないね。

 

 

 

ダーティハリー4(字幕版)

映画  タクシー運転手  約束は海を越えて    ソン・ガンホ  主演

タクシー運転手 ~約束は海を越えて~(字幕版)

 

ミャンマーで国軍によるクーデターが起こり、一夜にして軍事政権が誕生し、ミャンマーの市民はそれに反対し、連日のようにデモが行われ、とうとう、軍は市民に実弾の入った銃口を向け、14名という死者が出た。これ以上の犠牲者が出ないことを祈るばかりであるが、軍事政権に反対するデモや集会が続けば、軍の対応は次第にエスカレートしていき、市民にさらなる犠牲者が出るのではないか、という悪い想像をしてしまう、世界の世論がそうなることを阻止できるほどに、強くなることを願うばかり。

 

ミャンマーよりもっと以前には、イギリスから中国へ返還された香港は一国二制度のもとに、返還される以前とほぼ変わらぬ自由を謳歌できる都市であった、が、突然の中国の政策転換、その自由を奪われることとなる、自由を奪われまいとする市民の抵抗は今なお続き、大勢の逮捕者も出し、香港を脱出してイギリスに移住しようという沢山の香港市民を生み出し、香港を守ろうという香港市民の抵抗もむなしく、現在の香港には昔の香港の面影はない。香港で起こっていることは、ニュースによって世界中の人々の知るところとなっているが、香港の現実を変えるに十分に力強い、世界の世論とはなっていないのが現状か。

 

そして、映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」は、ミャンマーや香港よりも以前に、クーデターに端を発し、韓国の光州において軍と市民との間に勃発した武装闘争に巻き込まれていくタクシー運転手を描いた。平凡なタクシー運転手がこの武装闘争に巻き込まれていくきっかけは、何の政治的意図もない、他愛のないことであり、当初はこのタクシー運転手にとって光州の武装闘争は他人事であり、一人の外国人を光州に送り届ける仕事によって手に入る、高額な報酬が目当てであった。

 

ところが、ソン・ガンホ演じるタクシー運転手キム・マンソプは、ドイツ人記者ピーターを光州に送り届けたことにより、光州で軍に抵抗する様々な市民と出会う、軍による市民への暴虐、残虐なふるまいを目撃する、ドイツ人記者ピーターの光州での出来事を世界に知らしめるという使命感に共感する…などの様々な経験をして、自らも光州事件に深く、深くかかわっていくことになる…という展開、観客はタクシー運転手、キム・マンソプの目を通して、光州における軍の市民に対する残忍さ、非情さを知ることになる、映画のこのあたりは実に見ごたえがある。

 

映画の見どころは様々あるのだが、一つ上げるとするならば、タクシー運転手キム・マンソプとドイツ人記者ピーターが光州脱出を図ろうとするときに、光州のタクシー運転手たちが、自分たちの命とタクシーをかけて、二人の脱出を手助けする場面か、思わず手に汗握るシーン。また、この映画は実話をもとにして作られており、ラストシーンも実話に沿った形の展開となる、軍と市民の衝突による残虐さや、二人の脱出の緊迫感から解放された後の、しみじみ余韻の残るラストとなる。

 

この映画のポイントは、光州事件の実態を描いているところと、ドイツ人記者ピーターが光州の事実を世界の人々に知らせようと、彼もまた命がけで努力しているところでなないだろうか。権力が市民を弾圧している事実を世界に知らせる、権力による市民の弾圧だけでなく、今、世界で起こっている様々な具合の悪いことを世界の人々が知る、人間は何事もそれを知らなければ、次なる行動を起こせないではないか、弾圧も、汚職も、地球温暖化もコロナ対策も…。

 

そういったことを気付かせてくれる、という点においてもこの映画は、一見の価値があり、タクシー運転手のキム・マンソプが見事ミッションを果たす結末に、張本さんではないが、あっぱれ!をあげたいと思う。