Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

わが谷は緑なりき    ジョン・フォード監督  

 

わが谷は緑なりき(字幕版)

 

モーガン家という善人を絵で描いたような人たちが集まる一家がある、彼らはイギリス、ウェールズの小さな谷間の村に住んでいる、この村は炭鉱の村であり、住民はみな村にある鉱山で炭鉱を掘るのが仕事である、モーガン家は両親、6人の息子、一人の娘の9人家族であり、父親と5人の息子たちが炭鉱で働いている、一人、他の兄弟たちから年が離れている、まだ子供の末っ子のヒューが物語の語り手であり、この映画は、この末っ子の少年ヒューの思い出話として語られる物語である。実際のヒューは、すでに、50になる中年であり、映画の冒頭、50になったヒューが、この村を去ろう、というくだりから物語は始まることになる。

 

正直、誠実がモットーのモーガン家の人々の生活は、平和そのもので、一家は幸せに、炭鉱の村で暮らしている、が、そんな彼らの幸せな生活にも、事件が起き、波風がたち、不幸にも見舞われ、山あり谷ありの人生をモーガン家の面々は生きていくことになる。まず、鉱山主による突然の賃金カット、これによって組合を作るとか、ストをするとかで、家族は対立する、それによっておこる悲劇、長男の結婚、娘の恋、ヒューの学校生活‥‥と、事件は次から次へと枚挙にいとまがない。

 

そんな中で、この映画を観ていく上での鍵になる二つのシーンがある、まず一つ目は炭鉱の賃金カットの際、組合を作るとか、ストをやるとかいって、父親と5人の兄弟が対立する場面がある、兄弟は意見の対立する父親に向かって、家を出ていくといって、食事の席を立つ、食卓に残された、父親、そして、少年のヒュー、一人、息子たちの反抗を苦々しく思いながら、ただ黙々としている父親、その父親に向かって、“僕がいるよ、僕がここにいるよ、どこにもいかずに” と、食器を鳴らしながらアピールする少年ヒュー、父親は一言「わかっているよ」と。

 

もう一つのシーンは、長男が結婚することになり、その相手の女性がモーガン家を初めて訪れた時のこと、彼女の名前はブローウィンという、ヒューはこの兄嫁になる女性、ブローウィンに一目見て恋をしてしまう、このヒューの恋は、物語が進行していく中で、このシーン以外特段語られることはないのだが、ヒューが兄嫁ブルーウィンに恋をしてしまった、ということは頭の片隅に入れておかなければいけない、ポイント。

 

家族の中でただ一人学校へ通い、首席で学校を卒業したヒューには、兄弟たちとは異なる未来が開けていた、さらに進学して学問を続け、医者に、弁護士に、教師にと、が、ヒューはそのどれをも選ばずに、村に残って、父や兄たちと同じ炭鉱夫になる道を選ぶ、別に炭鉱夫が悪いというわけではないが、父親は教育を受けたヒューに、他の兄弟たちと異なる未来のひらけていることを、ヒューのためにも喜ばしく思っていた。ところが、ヒューはその異なる道のいずれも選ばず、炭鉱夫になると告げる。父親は、驚きと、まあ、失望というか、がっかりして、酒でも飲まなきゃやってられない、という気持ちになって酒場へといく。

 

筆者も全くこの父親と同じ心持になった、何で、ヒューはせっかくのチャンスを生かすことなく、今までの努力を無にするような選択をするのであるか、と。が、ここで、先に述べた二つのシーンがクローズアップされて、観客は思い出すことになる。まず、ヒューは善良な人間であり、少年ながら家族思いである、また、長男の嫁、ブローウィンに恋をしていたのである、そのヒューの恋心は消えることなく、ヒューの小さな胸の内でずっと燃え続けていた、と。そして、50になるまでずっと、村を出ることなく、炭鉱夫として、母親のために、ブローウィンのために、そして、ブローウィンがしわくちゃのおばあさんになった後も、おそらく、これは筆者の想像でしかないが、彼女が亡くなるまで、この炭鉱の村に炭鉱夫としてとどまった。

 

そして、映画の冒頭に戻る、兄弟たちは、おそらく姉も、全員、村を出たか、すでに亡くなったものもある、父親、母親はすでに亡くなっている、そして、最後まで残ったブローウィンも亡くなった、ヒューを村に引き留めるものは、もう何もない、家族と恋のために生きた、誠実で善人のヒューであった、そんなヒューの思い出の話がこの映画である。

 

少年時代のヒューをはじめ、モーガン家の人々はみな魅力的なのである、”悪“ に魅力があるとするならば、モーガン家の人々の魅力は ”善“ の魅力、といったらいいか、人間もちろん ”善“ だけで生きてはいけないというのが、現実ではあると思うが、この映画は、”善“ の魅力を徹底的に描いた映画、といってもいいだろう。ただ、”善“ の魅力を描くにあたって選ばれたのは、労働者階級の炭鉱夫の家庭であり、どちらかというと、貧しく、つつましやかな家庭である、裕福に金持ちになればなるほど、”善“ からは遠ざかるということか、ジョン・フォード監督の思いはいかがなものであたであろうか。

 

 

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白い恐怖  イングリット・バーグマン/ グレゴリー・ペック  主演    アルフレッド・ヒッチコック 監督

白い恐怖(字幕版)

 

イングリット・バーグマンが白衣に身を包んで、精神分析医を演じる、美しさを白衣に閉じ込めてしまうとは、もったいない、と感じる向きもあろうが、白衣を着ていて、髪が乱れていても、イングリット・バーグマンの美しさは損なわれることなく、グレゴリー・ペック演じる医師兼、患者兼、容疑者は出会ってたった一日目で、イングリット・バーグマン演じる麗しき医者、コンスタンスと恋に落ちる。グレゴリー・ペックは非常に若い、普段見慣れている銀幕のペックに慣れているものにとっては、若すぎる、っていう感じもしなくはない、ほりが深く精悍な顔立ちは、彼の演技力もあってか、魅力的かつ、狂気に満ちた雰囲気を十分すぎるくらいに漂わす。

 

そんな、ペック演じるバランタインが、イングリット・バーグマン演じるコンスタンスに一目ぼれするならば、コンスタンスのほうでも、ペック演じるバランタインに一目ぼれ、そんなコンスタンスによるバランタインへの信頼感がなければ、この物語は展開していかない。邦題では「白い恐怖」というタイトルがついているが、英語のタイトルは「Spellbound」といって、”魔法にかかった“ ”魅せられた“ ”うっとりした“ という意味で、タイトルから見る限り、ヒッチコックはこの映画のサイコスリラー、サスペンス性よりも、コンスタンスとバランタインが、出会ったとたんに恋に落ちてしまうという、恋の不思議を観客にみせたかったのか。

 

とはいえ、ヒッチコックの観客を恐怖に陥れる、テクニックは冴えており、記憶喪失となったバランタインが白い色と白い色に描かれる直線を見て、失神する、我を忘れる、思いもよらない行動に出る…など、息をのむシーンは多い、彼が夜、剃刀を手にしてコンスタンスの師、ブルロフ博士の屋敷内をさまよい、博士に遭遇するシーンは秀逸、怖かった、また、コンスタンスにあれほど信頼されているが、もしかしたら、やっぱり、バランタインは有罪か、と、何度も何度も思わせる演出も、実際有罪かどうかは映画を観て確認してほしいが、さすが、さらに、みているほうは、コンスタンス、精神科医としてのキャリアを投げ出して、恋に走るか‥‥という展開もうまい。

 

この映画では、精神分析というメンタル治療法が取り上げられ、コンスタンスがバランタインを含めた患者を治療するシーンも描かれる。また、フロイトの夢判断、も取り上げられ、劇中では、コンスタンスとブルロフ博士、コンスタンスと彼女の務める病院の院長との間で、バランタインの見た夢についての分析が行われる、まあ、実際には、映画で描かれているように、シンプルに即座に分析できるとは限らないかもしれないが、フロイトの夢判断をうまく、事件解決の鍵に使った、というところはうまい。

 

新訳 夢判断 (新潮モダン・クラシックス)

 

そして、映画の最後、コンスタンスはある人物と対決する、ここも大きな見せ場の一つ、イングリット・バーグマンの見せ場でもある、みているほうは、たった一人でちょっと無謀ではないの、とか、やっぱり、危険じゃないの、とか、助っ人いた方がいいんじゃない、など、ちょっと、ハラハラ、ドキドキさせられるシーン。というわけで、かなり古い映画なのだが、最初から、最後まで、観客を飽きさせることなく、引っ張っていくところ、ストーリーテラーヒッチコックが腕を見せたか。

 

さいごに、コンスタンスとバランタインが初めてキスをするキスシーンがあるのだが、この時、意識の流れを映像で見せていると思うのだが、次から次へと、閉じられていた扉が開いていくシーンがある、筆者はコンスタンスの意識が ”愛“ に開かれていく様を映像化したのではと思う、コンスタンスという医師はそれまで、仕事、研究一筋で、恋愛などしたことはない、という設定、なんか、このシーンまでで、ヒッチコックがこの映画で伝えたかったこと、終わっちゃたかな、なんて、気もしないことはないが、映画はちゃんと最後まで観よう、サスペンス満点で、面白い、是非、みてほしいな。

 

精神分析入門(上) (新潮文庫)

 

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映画  アマデウス         悪くないけれど、残念な映画

アマデウス [DVD]

 

この映画か公開された当初、トム・ハルス演じる、ウォルフガング・アマデウスモーツァルトに、品がないとか、モーツァルトのイメージが壊れる、とか、モーツァルトのファンから言われたものだった、確かに、モーツァルトの ”品のない“ 行動が映画の中で描かれている、また、演技にしても、トム・ハルス演じるモーツァルトの笑い方、観ていると、やっぱり、”品がない“ と思えるような、笑い方だったのだ。彼の作曲した曲によって、モーツァルトを知っているものには、例えば筆者なんかもそうなのだが、この映画の特に冒頭で描かれているモーツァルトの姿は、少々、ショッキングな姿、であった、彼の作曲した音楽から受けるイメージとかなり違った、というのが最初に思ったこと。

 

この映画は、モーツァルトの生涯を描いているので、映画を観続けていると、お馴染みのモーツァルトの曲や、有名な彼の作品が、映画の中で演奏され、最初のショックも次第、次第に、薄れてくる、でも、モーツァルトって、本当にこういう人だったのか?! という思いにとらわれながら、観ていくことになる、が、モーツァルトの神童、天才ぶりは遺憾なく描かれる。

 

筆者は、モーツァルトの曲をそれほどたくさん聞いていたり、モーツァルトの作ったオペラをよく見るといったような、熱烈なモーツァルトのファンというわけでもないのだが、お気に入りの曲はあったりして、お気に入りの曲ばかりをよく聞いたりする。そんな曲の中に『きらきら星変奏曲』というのがあって、英語の歌詞で言うと、日本でもおなじみの “Twinkle Twinkle Little Star…” という曲の変奏曲なのだが、“きらきら星” というと子供の歌、というイメージがあり、モーツァルトのこの曲を聞くと、モーツァルトが可愛い子供のために、この曲を弾いている、なんてシーンを想像する、もとは、フランスで流行していた恋の歌の変奏曲だというが。

 

さらに、この変奏曲を聞くと、いつも、バッハのゴールドベルク変奏曲を思い出す、バッハは主題を入れて全32曲、モーツァルトは主題を入れて全13曲と、変奏の数こそ違え、もちろん曲も違うのだが、作曲した。クラッシック音楽に素人の筆者などは、これはモーツァルトによる、バッハへのオマージュか、と勝手に想像してしまう、時を超えて、天才と天才の才能が共鳴しあう、なんて考えるのは、なんだかロマンティックに感じませんか? 蛇足だが、同じく天才、と筆者は考えるピアニスト、グレン・グールドによるゴールドベルク変奏曲は素晴らしくもあり、お気に入りでもある。

 

J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲(81年デジタル録音)

 

 

話を、映画「アマデウス」に戻そう、この映画の語り手ででもあり、もう一人の主役、作曲家サリエリは自分の凡庸さを承知しながらも、モーツァルトの才能を認めている、天才を超えることができないサリエリモーツァルトへの嫉妬と妬み、とにかく、くやしくてしかたがない。そんな中、モーツァルトが、自分の創作したオペラを国王に披露している場面、サリエリも同席、そのオペラ上演の最中に、国王があくびをした、それを見たサリエリ、“勝った” と、一人内心でガッツポーズをする、そんなシーンがあった。

 

天才モーツァルトのオペラでも、国王があくびしてしまうときもある、この映画「アマデウス」もアカデミー賞8部門、ゴールデングローブ賞4部門、英国アカデミー賞4部門、そのほかにも数々の賞を受賞している、素晴らしい映画である、そんな素晴らしい映画なのだが、この映画を最初から最後まで観ていると、どうも、天才モーツァルトのオペラを鑑賞していた時の国王と同じ心持になってしまうときがある、もちろん、熱烈なモーツァルト、オペラファンにそんなことは起こるはずもない、と思う!

 

これを機に、モーツァルトの音楽を聴いてみようかな、とか、モーツァルトのこともう少し知りたいな、なんて思ったら、是非、この映画をどうぞ!

 

 

 

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TVドラマ  シャーロック アントールドストーリーズ  Sherlock  Untold Stories         ディーン・フジオカ   主演

 

 

シャーロック DVD-BOX(特典無し)

  

ディーン・フジオカ演じる誉獅子男こと、シャーロック・ホームズがよかった、岩田剛典演じる若宮潤一こと、ジョン・H・ワトスンがよかった、佐々木蔵之介演じる江藤礼二こと、レストレード警部もなかなか味があってよかった、山田真歩演じる小暮クミコこと、グレグスン刑事もいい、ゆうたろう演じるレオ、はたった一人でベーカー街遊撃隊を肩代わり、が、たった一人のベーカー街遊撃もいい、もっとも、映像には現れなかったが、仲間がいることは劇中でほのめかされる、獅子男曰く「“おまえら” のほうが警察より優秀だろ」。

 

フジテレビで放送されていた、「シャーロック アントールドストリーズ」は、もちろん、世界的名探偵シャーロック・ホームズとその相棒ワトソン博士の日本版で、コナン・ドイル著、オリジナルのシャーロック・ホームズとも違う、BBCが製作した、ベネディクト・カンバーバッチ主演の現代版、「シャーロック」とも違う、ディーン・フジオカ主演の日本版シャーロック・ホームズの物語であり、獅子男&若宮のコンビは、ドイルのホームズ&ワトソンのコンビ、BBCのシャーロック&ジョンのコンビニも負けないほどに、魅力的なコンビであった。

 

登場人物が魅力的であったなら、彼らが活躍していくストーリーも魅力的であるか? YES、魅力的であった、特別編も含めて全部で12話、原作のエッセンスをあちらこちらにちりばめて、原作を読んで知っている視聴者にはたまらなく愉快であったであろう、また、原作だけでなく、現在放映中の他局のドラマなどもパロディして、さらに、視聴者を喜ばせる。ドラマの中で流れる音楽もまたよく、オープニングに流れる “Searching For The Ghost” 、事件解決するとエンディング近くで流れる、かつ、主題曲でもあるという ”Shelly“ は、「シャーロック」を観始めると、耳について離れない。

 

今回は、こんなふうに “「シャーロック」礼賛” の回にしようかとも思ったのだが、確かに、日本版「シャーロック」、素晴らしかった、が、やはり、若干、言いたいこともなくはない。原作のホームズ物語を読んだことのある視聴者なら、ひょとしたら、同じこと思ったかもしれない、筆者は思ってしまった、犯罪王モリアーティのイメージが全然ついていけない、と。守谷壬三こと、モリアーティは、犯罪王ではなかったか、残念ながら、筆者には、このドラマの守谷壬三は割とよくいる普通のおじさんに見えてしまい、犯罪王の迫力というか、悪のオーラみたいなものを感じられなかった、ファンとしては、是非感じたかったのだが。

 

また、シャーロック・ホームズは ”落ちた” 、原作のホームズは滝つぼへと、BBCのシャーロックは高層ビルから真っ逆さま、獅子男は海へ、獅子男が海に落ちる展開は、それはそれで悪くなかったし、若宮君のパニックも、その後の展開も、それはそれで、やはり悪くなかったのだが、ホームズは高いところから落下 ”せねばならぬ“ という思い込みのせいか、つまり、落ちた ”高さ“ が、筆者には足りない、と感じた、海が悪いわけではないが、海に落ちるにしても、もっと高いところから落ちてほしかった、と。

 

思うに、原作、BBCの作品と、差別化したかったのだろう、日本版「シャーロック」は、眼鏡をして、背の高いやせ型の、大学教授然とした人物は、すでに原作とBBCで登場している、思い切り高い場所から墜落するのも、同じく、原作とBBCですでに設定済みだ、製作者の苦労がしのばれる…ほんとに、そうだったのかしら?

 

 

カルロジョルダーノ バイオリンセット ブラック VS-1 1/2

 

 

差別化、といえば、ドラマの中では獅子男が事件解決前には、バイオリンを弾きまくって、推理をめぐらす、というのもよかった、シャーロック・ホームズはバイオリンの名手なのだが、小説では、ホームズがバイオリンを弾いているシーンはたまにしか描写されない、BBCでもしかり、あんなに、毎回毎回、バイオリン弾きまくる獅子男、そう、ホームズは今までなかったと記憶する、いい曲だ、難しい曲だというドラマのためのオリジナル曲。

 

残念なところもあったが、最後は “「シャーロック」礼賛” で締めました。獅子男はよみがえったのだから、ぜひ、ぜひ、このドラマの続きを見せてほしい、まだ語られていない物語はたくさんあるのではないですか?   

というわけで、続編を心待ちにしながら‥‥‥END!

 

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映画  ラストサムライ  トム・クルーズ 主演   渡辺謙 共演        : 悪くないけれど、残念な映画

  

ラスト サムライ (字幕版)

 

 

渡辺謙はこの映画「ラストサムライ」を皮切りに、「バットマン ビギンズ」「SAYURI」「硫黄島からの手紙」とたて続けにハリウッド映画に出演、見事ハリウッドデビューをはたし、その後も何本もハリウッド映画に出演、いまや、日本を代表する、世界の渡辺謙、となる、といってもいいのでは。明治維新後の明治、近代化に突き進む日本において、近代化の波に乗らず、いや、乗れなかったのか、維新前の武士の世界で生きている人々のいる村がある。

 

そんな、江戸時代の武士の世界を、西洋人の視点から、監督は美しく描き出す、美化されすぎているかもしれない、と、感じなくもないが、その村では ”武士道“ に乗っ取った、理想の武士が描き出される。平和で美しい、村の生活、近代化の日本と共存できたらいいのに、と思ったりもしたのだが、中央集権で近代化を推し進める政府には、まげを結って、刀を腰に下げている、旧態依然とした武士の存在は、じゃまであったか。そんな “旧” と “新” のぶつかり合いがこの映画であり、映画では、”新“ が ”旧“ を飲み込む、息の根を止める。

 

映画の後半は、この新旧の決戦となり、近代戦闘装備を備えた、圧倒的に数で勝る日本軍隊と、まさに映画タイトルの “最後の侍” との対決となる、近代兵器、つまり、銃、マシンガン、の前に、バタバタと倒れていく騎兵の侍たち、黒澤明監督の代表作、映画、「影武者」の長篠の合戦のシーンで、織田軍の鉄砲隊の攻撃の前に、バタバタと倒れていく武田騎馬軍団を思わせる、迫力は十分でみごと、が、しかし、黒澤監督へのオマージュか、と思えてしまう、映画「ラストサムライ」の、最大の見せ場のシーン。

 

SAYURI プレミアム・エディション [DVD]

 

 

ここまで読んでくると、この映画「ラストサムライ」は、邦画か、と思われるかもしれないが、いやいや、れっきとしたハリウッド映画、この映画の主役は世界の大スター、トム・クルーズだ、ゴールデングローブ賞でもアカデミー賞でも、渡辺謙がノミネートされたのは助演男優賞。では、この侍映画でのトム・クルーズの役割は?

 

この映画はあくまでも西洋人、トム・クルーズ扮する、ネイサン・オールグレン大尉の目を通してみた話である。本国アメリカで、罪もないネイティブ、インディアンたちを虐殺しまくった、というトラウマに苦しんでいるネイサンは、渡辺謙演じるところの侍、勝元の捕虜となり、勝元の村でひと冬過ごすうちに、侍の生き方に惚れこみ、勝元や他の侍たちを助けながら、日本政府軍と一線を交えるという役回りである、幸い、ネイサンは命はとり止めることのなるのだが。

 

この映画で、勝元演じる渡辺謙は素晴らしい、主役、トム・クルーズを食ってしまい、トム・クルーズがかすんでしまいそう、と筆者は感じた、実際、「最後の戦闘のシーンでは、侍の一人、氏尾を演じる真田広之の殺人姿が非常に見事であり、主役のトム・クルーズより目立ってしまった、という理由で、真田広之のシーンが大幅にカットされた」、ということだ、筆者などは、このカットされたシーンが見たい、と思ってしまう。

 

よくできた映画だ、前半のネイサンが日本に来ることになる次第のストーリーよりも、日本に来てからのほうがずっと面白くなる、侍の描き方もいい、先にも述べたように、非常に美しく描かれる、最後の戦闘も迫力ある、が、いかんせん、最後の戦闘で、黒澤明の映画「影武者」がオーバーラップしてしまう、また、最後の激戦が迫力はあるのだが、若干、冗漫に感じて、若干、退屈してしまった…というところが残念、といえば、残念。

そして、筆者は本来、トム・クルーズのファンであるのだが、この映画では、やはり、トム・クルーズよりは渡辺謙に軍配を上げたいと思う。

 

硫黄島からの手紙(字幕版)

 

 

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コンスタンティン   キアヌ・リーヴス   主演

コンスタンティン (字幕版)

 

昔、「エクソシスト」という悪魔祓いの映画があった、悪魔に取りつかれた少女がいて、その少女から悪魔を追い払おうとする牧師がいて、悪魔に取りつかれたリンダ・ブレア演じる、少女の演技は怪演だった、悪魔祓いでなくても、交霊術であるとか、幽霊の話であるとか、特別な能力をもった人間の話であるとか、心霊現象を操ったり、見たりする人間の話は枚挙にいとまがない。

 

この映画「コンスタンティン」も、要するに悪魔払いの映画だ、ただ、その悪魔祓いが、もっとモダンになって、悪魔を地獄に追い返したり、悪魔と対決するのが、教会の牧師さんではなくて、特殊な能力を持った、見たところ普通の青年である、というところが、今までの映画と違う、ただ、悪魔を追い払う人間はモダンになったのだが、実際に悪魔を追い払うために使うものは、聖水であったり、銀や金の弾丸、十字架など、旧態依然とした、お馴染みの道具であるところが面白い。

 

本来、悪魔払いの映画であるのでこの映画「コンスタンティン」も、全体に暗いトーン、この映画では、悪魔が頻繁に登場し、地獄を描写するシーンもしょっちゅう出てくる、映画では地獄は紅蓮の炎で彩られていて、コンスタンティンは地獄へ行く術さえも知っている。コンスタンティンだけではない、この映画では活躍する登場人物たちは、当然悪魔と対決しなければならないのだから、特殊能力を持った人ばかりだ、この映画を観ていると、世の中こんなにたくさん、霊や霊界を見たり感じたりすることのできる人はたくさんいるのか、と思わせられる。

 

映画全体が暗いトーンだと先に書いたが、映画のラストでは、思わず笑いだしてしまいそうな、ユーモラスなシーンもでてくる、たとえば、ラスト、コンスタンティンは誰かに向かって、中指を立てるジェスチャーをするのだが、だれに向かって、何故そんな仕草を? 映画で見てほしい、ガムをかむシーン、何故? とか、ヒロインとのキスは最後までなかった、何故?とか、そして、スペシャルなおまけは、エンドロールが終わった後に、と、最後まで目の離せない映画なのである、本当に。

 

ビルとテッドの大冒険 [Blu-ray]

 

キアヌ・リーブスは数々の映画に出演しているが、若き日に、「コンスタンティン」と同じく、地獄を訪れることになった主人公を演じている「ビルとテッドの地獄旅行」なんていう映画にも出演している、この映画はタイムマシンで時空を超えて旅をする「ビルとテッドの大冒険」の続編であり、さらに、2020年、本当にごく最近、“ビルとテッド” シリーズの第三作目を公開している。この三作目「ビルとテッドの時空旅行」は残念ながら見ていない。

 

ビルとテッドの地獄旅行 <HDニューマスター・スペシャルエディション> Blu-ray(特典なし)

 

アメリカという国は、実写になって映画化されるコミックが多い、あまりにも有名な、「バットマン」、「スーパーマン」、「スパイダーマン」しかり、今や、缶コーヒーBossのCMで有名になったトミー・リー・ジョーンズとウィル・スミス主演の「メン・イン・ブラック」‥‥など、おなじみの映画ばかり、まだまだ、数え上げればきりがないほど、そして、映画「コンスタンティン」も原作はアメリカン・コミックだ。日本の場合、ヒットしたコミックはアニメ映画にはなるけれど、なかなか実写、というのは聞かないし、すぐには思いつかないが。

 

 

メン・イン・ブラック (字幕版)

 

最初に見た時にはもっと明るい映画、というイメージがあったが、案外暗い映画だった、が、全体暗いイメージの映画でもストーリの運びは面白い、モダン悪魔払いのキアヌ、案外、はまっている役柄かもしれない…と筆者は思うのですが、さて、どうでしょうか? 映画を観てみてね!

 

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映画   雨に唄えば   ジーン・ケリー/  デビー・レイノルズ/  ドナルド・オコナー   主演

 

雨に唄えば 製作60周年記念リマスター版 [Blu-ray] 

 

映画では、ジーン・ケリーが、舞台では、アダム・クーパーが、雨にびしょぬれになりながら、素晴らしい歌とダンスを披露してくれる、映画においては、ジーン・ケリーのみならず、デビー・レイノルズドナルド・オコナーの二人も加わり、ダンスも歌もタップもパワーアップして、観客をスクリーンに釘付けにする。この映画では、ジーン・ケリーが雨の中で歌って踊るシーンと、その時に歌っていてタイトルにもなっている “Singin’ in the Rain”  の曲が有名だ、そう、もうすでにご存じのように、この映画はミュージカルであるので、映画全編を通して、歌とダンスが満載の映画だ。

 

映画の中では、数々の名曲が歌われているのだが、中でも代表曲、“Singin’ in the Rain “ はもちろんステキな曲で、筆者もこの曲は大好きだ、が、映画「雨に唄えば」でステキな曲と素敵なダンスシーンは、他にもまだあり、たとえば、ドナルド・オコナーが歌って踊る ”Make ‘Em laugh” のシーンはユーモアたっぷりで、オコナーのダンスというか、動きはコミカル、で素晴らしい。

 

また、ジーン・ケリーデビー・レイノルズドナルド・オコナーが演じる、ドン、キャシー、コズモの3人が、ドン主演の “どうにもならない” 無声映画を救うために、アイデアがひらめいた!というシーンで歌われる “Good morning” とそのダンスも、楽しくて素敵だ、3人のタップダンスがスゴイ、これだけ歌って、踊れる役者を3人そろえるのは、大変ではなかったか、であるとか、ハリウッドにはこのくらい素晴らしく歌って踊れる才能ある役者は、星の数ほどいるのか…であるとか、3人の見事なダンスを観ながら、こんな考えも頭をよぎる。

 

この映画「雨に唄えば」は映画がサイレントからトーキーへと変わるまさにそのはざまにいる、映画界を描いた映画で、先にも書いたがジーン・ケリー演じるドンが主役のサイレント映画を、何とかトーキーにして、成功させようと、悪戦苦闘する、というのがメインの話の筋である、歌とダンス以外でも、サイレントの時代の役者や映画製作者が、トーキーに悪戦苦闘する姿が面白い、“あるある” という感じて、或る時代の変わり目には、だれもが苦労するんだな、と感じる、たとえば、コンピューターのOSが、MS-DOSからWindows に変わった時、そんな時、を覚えているかしら‥‥もっとも、パソコンの操作はよりわかりやすく、便利になった時でしたが…これもまた、大きな時代の変化。

 

サイレントとトーキーといって思い出すもう一人の役者はチャップリンであり、チャップリンも映画「雨に唄えば」のドンと同じく、サイレントとトーキ―のはざまに生きた役者兼監督。チャップリンはサイレントにこだわりつつ、うまく、トーキーを自分の映画に組み込んで、映画の時代の大きな転換期を見事に乗り切ったひとりでは。また、この映画で描かれている、ミュージカルでの歌の吹き替えは、現在では普通に行われていて、映画「マイ・フェア・レディ」でも、オードリー・ヘップバーンの歌は、吹替であったというのは周知の事実ではないか。

 

映画「雨に唄えば」はミュージカルであるので、もちろん、歌とダンスを思う存分楽しんでほし、有名な雨の中のダンスのシーンもしっかり見て……筆者の記憶では、アダム・クーパーの舞台では、確か、前列のほうのお客さんは、このシーンの水しぶきに濡れないように、ビニールシートか何か用意されていた、と思ったのだが、ちょっと記憶はあいまい‥‥もしも、映画を気に入ったなら、舞台のミュージカル「雨に唄えば」もおススメ、映画でも舞台でも、どちらが先でも構わないので、「雨に唄えば」、まだ未見のかたは、是非、一度、どうぞ!

 

 

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映画  オール・ザ・キングスメン             ロバート・ロッセン 監督/  ロバート・ベン・ウォーレン 原作

 

オール・ザ・キングスメン(字幕版)

 

 

イギリスの童謡、マザーグースの有名な歌の一つ:

 

Humpty Dumpty sat on the wall                ハンプティ ダンプティ 壁の上に座った

Humpty Dumpty had a great fall;    ハンプティ ダンプティ 壁から転げ落ちた

All the king’s horses and all the king’s men     王様の馬も 王様の家来も

Couldn’t put Humpty again             ハンプティをもとに戻せなかった

 

 

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この歌はなぞなぞで、答えは ”卵“ なのだが、確かに卵が高いところから落っこちたら割れてしまって、もう元には戻せない‥‥そんなことを暗示させるこの映画のタイトル「オール・ザ・キングスメン」、この映画は ”アカデミー賞を3部門も受賞していながら、政治の裏側を徹底して暴いているため、当時は政治圧力を受けて日本公開されなかった“ そうである。

 

この映画は1949年公開で、1949年というと昭和24年であり、昭和24年の詳しい出来事をここで書き連ねることはしないが、昭和24年の日本の総理大臣は吉田茂であり、”この年の総選挙は激烈を極め、金権選挙の走りとなった“ という。こんな日本の事情も、映画「オール・ザ・キングスメン」公開に圧力がかかった理由かもしれない。

 

この映画は、最初は理想に燃えて、社会をクリーンにしようと志していた、アマチュア政治家が、少しづつ政治慣れしてきて、権力を手に入れるのだが、政治慣れしてきて権力が手に入ると、金、偽善、犯罪まみれになっていく過程を、息をもつかせぬテンポと演出で描いており、観ているほうは、もう誰もこの男を止められないだろう、と、映画半ばで思い至り、さらには、この主人公の政治家の男に、ヒットラーの面影をだぶらせつつ、ラストへと突き進んでゆく、という感じの映画だ。

 

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モノクロの古い映画であるが、古いなりにスゴイ映画である、監督は映画「ハスラ―」の監督、製作、脚本もしかり、映画「ハスラ―」といえばポール・ニューマン主演のあの名作。撮影は、銀行強盗ボニー&クライドを描いた「俺たちに明日はない」と同じ人、原作はピューリッツァー賞受賞の小説、と、監督、脚本、撮影、原作、といずれも申し分なく、映画も ”スゴイ“ 映画になって、さもありなん。

 

 

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↑  俺たちに明日はない

 

この汚職まみれの政治家の行く末は、冒頭のマザーグースの童謡が暗示するとおりであり、映画を観るにあたってはこのマザーグースの童謡を是非、頭にインプットして観ていただくことをお勧めする。前回、紹介した映画「バベル」の時と全く同じで、欧米人はこの映画のタイトル「オール・ザ・キングスメン」と聞いた瞬間に、子供の時に慣れ親しんだこの ハンプティ ダンプティ の童謡を思い浮かべるのである。

 

 

政治の政界の裏側を容赦なく描いた映画に、「鏡の国のアリス」でも、テニエルの挿絵で有名な、童謡の一節をタイトルとして持ってくる、そのセンス、これもなかなかのセンス、といえないか。

 

ちなみに、リメイクされた映画「オール・ザ・キングスメン」は、残念ながら見ていないのでコメントはできない。今回は、古い方の ”初代” 「オール・ザ・キングスメン」、ちょっと重いストーリーだけれど、見ごたえあり、最後まで目が離せない、そんな映画、主人公の悪徳政治家の行く末も、しっかり見届けてね。

 

 

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映画 バベル   ブラッド・ピット 主演

 

バベル (字幕版)

 

英語を勉強するのは大変だ、英語だけにとどまらず外国語を勉強するのは。なぜ、世界はこうも違った言葉を話す国や民族であふれているのか、何で、世界中の人が日本語を話していてくれないのか、世界の人が皆同じ言葉を話していれば、どれほどコミュニケーションをとりやすくて、もしかしたら、もっと力を合わせることができて、今、おこっている世界の争いごとだって、もっとずっと少なくて済んだのかもしれないのに‥‥と思ったことはないですか?

 

昔、昔、はそうだった、聖書の時代には地球上の人間が皆同じ一つの言葉を話していた時があった、でも、神の住む天まで届く塔を作って、自分たち人間の力を示そうとした人間の傲慢さを怒った神は、塔を壊して、人間が異なる言葉をしゃべるようにして、ちりじりばらばら、あちらこちらにとばしてしまった、おかげで現在のようないろいろな言葉を話す民族ができた‥‥簡単に意思疎通ができないように、これが神様が人間に与えた罰?

 

というようなことを、”バベル“ と聞いたとき、欧米人やキリスト教徒の人たちは、当然のように思い浮かべる、これは旧約聖書に記されているバベルの塔の話で、映画「バベル」を見る前に、又、観ているときに、欧米の人たちは、こんなことを思い浮かべながら見ている。なので、欧米ほどキリスト教信者の多くない日本で、”バベル“ってなに?と思いながら、映画を観ても、それはそれでこの映画を観るのに何の支障もないのだが、上記のことを知ったうえで映画「バベル」をみると、又、一層深い楽しみ方もできるのではないだろうか。

 

映画「バベル」では、モロッコアメリカ、メキシコ、日本が舞台となり、それぞれ関係のないエピソードが語られているかに見えるのだが、監督は巧みに、このそれぞれ違った場所で起きている物語を一本の糸で紡いでゆく。モロッコのシーンでは文字通りアラビア語と英語が衝突して、人々の意思疎通の障害となる、ブラッド・ピット演じるアメリカ人観光客は観光途中で奥さんが大けがをしてしまう、命の危険も感じられる、まあ、これがこの映画のオープニングなのだが、モロッコのシーンではブラッド・ピット演じるアメリカ人夫のイライラ感、が、ひしひしと伝わってくる、実際、外国旅行していて、怪我したり、病気になったりしたときの、心細さはないと思う、言葉が通じないだけあって、パニックにもなる。

 

日本では日本語なので、言葉による壁ではなくて、監督はここで言葉を話すことのできない少女を登場させた、菊池凛子演じる少女はストレートに自分の思いを伝えることのできない、そんな彼女のイライラ感、というか、或る意味、怒り、が描かれる。役所広司演じる父親にすら、意思伝達というか、”思い“ 伝達は困難になる。ブラッド・ピットや日本の少女のエピソードだけではない、この映画では、一つ一つのエピソード、それぞれのシーンが ”バベル“ なのである、言葉だけではない、立場、人種、上下関係、などが異なっていると、”心と心“ も通じ合わなくなってくる、これも神様の罰なのか? 

 

ラスト、これら ”神様の与えた罰“ を乗り越えていく結末もある、このあたりは人間の力強さというか、監督は試練を乗り越える人間をも描く、ただ、罪を犯してしまったモロッコ人の一家には悲劇だけが残るのだが。

 

日本はキリスト教の国ではないけれど、”試練を乗り越える人間“ を描いたこの映画は、日本人にも深く共感される映画ではないかと思う、キリスト教の国ではないといったって、監督は、日本を舞台の一つに選んでいるのだから…ね。

 

 

 

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映画  マトリックス   キアヌ・リーヴス 主演

マトリックス (字幕版)

 

コンピューターに支配され。コンピュータによってみせられる仮想現実の世界、「マトリックス」、キアヌ・リーヴスが主演の、人間を支配しているコンピューターと戦う、”現実” の世界に生きている人間たちの物語がこの映画、初めて見た時は、映画自体は面白かったのだけれど、 “マトリックス” の意味がよくわからなかった。

 

この映画を観て一番印象に残っているのは、TVの宣伝や映画の予告編でも、よく映像が流れていた、黒ずくめのキアヌ・リーブスが、体をのけぞらせて、弾丸をよけるシーン、あの一連のアクションシーンが、やたらとカッコよく感じた映画だった、また、黒いサングラスをかけた、コンピューターが放った刺客の執拗さが、怖かった。やはり、この映画のハイライトは、仮想世界の中での人間とコンピューターとの死闘であると思う。

 

この映画「マトリックス」のように、主と従が逆転し、使っていた機械に支配されてしまう人間、というテーマのSF映画を他にも思い出す、映画「ターミネーター」、大ヒットしていくつも続編が作られた、アーノルド・シュワルツネッガー主演のSF映画、機械に支配されている地球の未来と未来から現在の地球に送られてきた殺人マシン ”ターミネーター“ の物語。

 

この映画ではもちろん、未来から送られてきた ”ターミネーター“ と人間とのバトルが大きな見どころではあるのだが、筆者がこの映画で印象に残っているのは、カリフォルニア州知事をも務めた経験のある、若き日のシュワちゃんが、場所はロサンゼルスのグリフィス天文台に、素っ裸で未来から送り込まれてきたシーンである。もちろん ”ターミネーター“ のシュワちゃんは、自力で洋服を調達するのだが、何故かこの映画の、このシーンはよく覚えている。

 

 

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映画「マトリックス」でも「ターミネーター」でも、進化して人間を支配するのは機械であり、その機械の頭脳となるAIである、以前、このBlogでも紹介した映画「2001年 宇宙の旅」では、AIハル が人間に、映画では宇宙船の乗組員に反乱を起こそうとするのだが、この時は、宇宙船のボーマン船長によってAIハルの反乱は阻止され、AIハル はあっけなく人間にしてやられるのであるが、時を経て、AIはパワーアップ、ついに、主従逆転、人間の支配者となったのが、映画「マトリックス」と「ターミネーター」である。

 

 

振り返ってみて、現実の世界ではどうなのか、AIは進化し続けている、ディープラーニングによって、人間ではとてもかなわない量の情報を学習し続けている、まあ、学習させるに当たっては、人間の手を借りなければならないのだが、とにかく、人間はコンピューターに学習させ続けている、そのおかげで、AIは私たちの生活のあらゆる場所に入り込んでおり、様々な恩恵を私たちに与え、私たちの生活をより快適にしている、このAIによる ”恩恵と快適さ“ の追及はやむことはなく、まだまだ続くだろう。

 

AIによる ”快適さ“ を感じながら思う、まさか、人間は機械によって主従が逆転するような愚は犯すことはないだろうな、そんな話は映画の中だけにしてほしい、と、クローン羊ドリーが誕生した時に、クローン技術が人間に使われることを人類は阻止したのでは、それとも、実はどこか知らぬところで使われているとか‥‥そんな恐ろしい話はないことを祈る。

 

映画「マトリックス」は面白い、キアヌのアクションはカッコいい、が、映画の余韻は心地よい、とはいかない、そんな映画なのだが、この映画を ’悪くないけれど残念な映画‘ とはしたくない、と筆者は思う。

キアヌのアクションのカッコ良さを堪能しながらも、ちょっと肌寒さを感じて、こんな世界にならないように、と、考えてみるのも悪くないかも。

 

 

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