Kororon 映画について語るBlog

映画を発掘する~ いい映画 Room へどうぞ!~

野の百合  シドニー・ポワチエ 主演

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この映画はいい映画だ、アクションがあるわけでもなく、大掛かりな仕掛けがあるわけでもなく、ミュージカルであるわけでもなく‥‥舞台と役者は修道院とそこに住む修道女たちと、シドニー・ポワチエ扮する黒人青年ホーマーだ、ふとしたことでこの修道女たちの住む教会を訪れることになった黒人青年と修道女たちとのやり取り、エピソード、次第に変化してゆくお互いの関係、それにつれて展開していく核となる物語‥‥、とてもいい。

 

最初はしっくりいかない関係の、特に院長と黒人青年、結局は、教会を建てたいという院長の熱意に負けて、教会作りを手伝う羽目に陥ることになるホーマーと、そんなちょっと現実離れしたストーリーが、院長、修道女たち、ホーマー青年のいい関係といい感じで展開していき、静かな映画なのだが、映画の世界にどっぷりと引き込まれる、そして、ラスト、さらに、とてもいい。この映画全体の物語はこのラストのためにあるかのごとく、しみじみと余韻を残す。

 

手錠のままの脱獄 ブルーレイ版 [Blu-ray]

 

 

シドニー・ポワチエの映画と言えば、かつて「手錠のままの脱獄」「いつも心に太陽を」「夜の大捜査線」など、紹介してきたが今回の「野の百合」では普通の青年を演じて、アカデミー賞主演男優賞ゴールデングローブ賞主演男優賞を獲得した、上に挙げた映画はどれもそんな演技派、シドニー・ポワチエ渾身の力作、名作映画である、と筆者は断定したい。どの映画もラストがカッコいい、手錠のままの脱獄では、脱走した囚人を演じているが、ポワチエ扮する囚人が最後にとった行動を考えるとき、結果はどうあれ、やっぱり、カッコいい ’囚人‘ だった、となる。2001年にアカデミー名誉賞を獲得したのも、もちろん、他にもまだまだいろいろある彼の多大な功績が受賞理由だと思うのだが、何しろアカデミー賞は映画の賞、素直に彼の演技力が評価されたのだ、と思いたい。

        

             

いつも心に太陽を [DVD]

 

  

また、「野の百合」この映画のタイトルは、どんな意味であるのか? といつも思ってしまう、一般には、このタイトルの由来は、映画の中で院長がホーマーに向かって、ホーマーの労働に対する賃金の支払いを渋るシーンで引き合いに出されている、新約聖書の一説であり「思い煩ってはならない」とのたとえである、という解説がよく知られている。が、クリスチャンではない筆者にはピンとこない、それに、そんなシーンのためだけのために監督はこの映画にこのタイトルをつけたのかしら? いや、そうではあるまい、映画のタイトルってもっと映画の内容をよくあらわす、結構、意味あるものではないの? と。

 

まず、この映画はモノクロである、モノクロと言えばカラーとしては白と黒で、そんなモノクロ映画からイメージされるユリの花と言えばやはり白百合しかない、さらに、白百合のイメージと言えば、”純粋“ ”無垢“ などであり、実際に白百合や、や、百合全般の英語の花言葉には ”純粋“ ”無垢“ “洗練された美” ”威厳“ という意味があるようだ。

 

百合がそのようなイメージならば、やはり、「野の百合」の百合は、まず、この映画に深くかかわる院長も含めた修道女たちをさすのだろう、と考える、文字通り、野に咲く百合の花のように汚れなき彼女たち。そして、彼女たちだけではなく、主人公ホーマー青年を表しているのがこの映画のタイトルではないか、だって、やっぱり、主人公はホーマー青年なのだから。なぜ、ホーマー青年は黒人でなければならなかったのか、白人青年でもよかったではないか。

 

が、しかし、ホーマー青年が黒人であるがゆえにこの映画のタイトルは、ズンと重みをもってくる。当時まだ、(現在でも依然として、と強く感じるが) 黒人への差別意識が強かった時代、映画の中のホーマー青年の行動はまさに、先に述べた百合の持つイメージ、花言葉に相応しい行動だった、ごくごく普通の黒人青年のホーマー君のしたことは。

 

ホーマー青年は黒人であるが、彼の成し遂げたことや、ラストのシーンはまさに、ホーマー青年白百合のごとし、と監督、言いたかったのではないか、或る意味、人種差別の根強いアメリカ社会への皮肉も込めて。

 

夜の大捜査線」や、同じくシドニー・ポワチエ主演の「招かれざる客」と異なり、真正面から人種差別問題を扱った作品ではない、ちょっとオブラードに包んで優しく、美しく(?)描いた見せた、のではないのか、そんな意味でも、この映画は社会派映画と言われている、と思う。ぜひ、一度観てほしい、いい映画。

 

招かれざる客 (字幕版)

 

夜の大捜査線 [Blu-ray]

ジョン・ウィック  キアヌ・リーブス 主演 : 悪くはないけれど残念な映画

ジョン・ウィック(字幕版)

 

キアヌ・リーブスの映画だ、キアヌが主演、製作総指揮もしている、日本版のポスターで使われたキャッチコピーには「見惚れるほどの、復讐」とある、確かに、見惚れるほどにこの映画ではキアヌは人を殺しまくる、銃撃戦をしまくる、映画の最初から最後までキアヌが敵を殺し続けて終わる、映画を観終わった後はとにかくそんなキアヌによる激しい殺戮場面ばかりが印象に残る映画だった‥‥。

 

キアヌの役どころは、足を洗った凄腕の元殺し屋で、かつては裏社会にその名をとどろかせたという、足を洗ってからは結婚もしたのだけれど、最愛の奥さんを病気で失ってしまう、奥さんが亡くなった後は愛車フォード・ムスタングを乗り回し、一匹の子犬と一緒に暮らしていた。

 

元凄腕の殺し屋と子犬というペアリングだけでもアンバランスさ満載、また、クリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」でも、主人公の愛車はアメ車、グラン・トリノで、主人公はこの車をずいぶん気に入って大事にしていた、「ジョン・ウィック」のキアヌ扮する元殺し屋ジョンも同じように愛車フォード・マスタングを大切にしていたのだろう、が、やっぱりこちらも、元凄腕の殺し屋とはアンバランスなペアリングと感じる。

 

このアンバランスなベアリングの子犬を殺される、大切にしていた愛車を盗まれる、結果、復讐の鬼と化しジョンの復讐が始まる映画だ。この男が裏社会に戻る決意をし、1時間以上にわたって敵を殺害し続ける映像を見ることになる。そうか、飼っていた子犬を殺された、そうか、大事にしていた愛車を盗まれたか、それならしょうがないよな、映画で1時間以上にわたるジョンによる殺戮の数々‥‥すごいアクション映画ではあると思うのだが、が、しかし..........筆者は映画を観終わった後、苦笑いというか、嘘でしょ、というか、あまりにばかばかしく思えた復讐の原因に、“え?なに?” とピンとこない違和感を感じた。

 

だって、犬と車でしょ!飼い犬を殺されて、車盗まれただけで、ここまで復讐するの!?

奥さんは病気で亡くなっている、奥さん殺されたわけじゃないんでしょ!とか、ちょっと、やりすぎじゃないの!とか、思ってしまった。

 

いやいや、愛犬を殺害されたならジョンが復讐の殺戮に行くのも理解できる、いやいや、愛車を盗まれて復讐の殺戮に走るジョンの気持ちはわかる、という人ももしかしたらいるのかもしれない‥‥ホントにいるのか、そんな人!? 

 

筆者は映画を観終わった後、これは、キアヌによる何かのギャクかジョークなのかもしれない、と考えた、せっかく足を洗った裏社会に戻り、「見惚れるほどの、復讐」を始めるのだ、ジョンが裏社会に戻るきっかけとなった事件は何か、よほどのことがあったのだろう、家族を惨殺されたのか、奥さんを殺されたのか、自分自身が半殺しの目にでもあわされたのか、財産をすべてだまし取られたのか‥‥と、通常は考えるのではないか?…....違う???

 

ジョンの復讐以外で、この映画でおもしろいと思ったのは殺し屋御用達のホテル、「コンチネンタル・ホテル」、このホテルのオーナーもよかった。

というわけで、キアヌ扮するジョンによる復讐を見ているうちにこの映画はあっという間に終わってしまうのだが、最後、映画を観終わった後に “は?” とか “え?” とか、”なんか違うんじゃない???” という思いにとらわれずにはいられない、という点において残念であった。

 

この映画はキアヌ・リーブス主演の映画だ、なので、見に行った、が、上に述べた理由で、悪くはない、そう、銃撃戦ばっかりだったけれど、まあ、悪くはないのだが、残念な映画、としようと思う。

 

 

グラン・トリノ (字幕版)

映画  ジョジョ・ラビット

ジョジョ・ラビット (字幕版)

 

前回は、コロナが始まってから初めて劇場で観た映画について語った、なので、今回はコロナが始まる前に最後に劇場で見た映画について語ろうと思う、これは第2次世界大戦中のドイツ人の少年のメンタル成長物語である、少年の名前を “ジョジョ” という、 “ラビット” というのは少年につけられたニックネールだ、ラビットなんてかわいいニックネームだね、と思うかもしれないが、このニックネームをもらった経緯はかわいいなんてものではない。

 

少年は戦時下のドイツで、ヒットラーユーゲントの立派な兵士となるべく、幼年児童の訓練に参加している、少年は無邪気で、心に一点の曇りもなく、心から真剣に、ユーゲンントの立派な兵士になることを楽しみに励んでいる、そんな少年に年長の先輩がウサギを殺すように命じる、優しい少年はウサギを殺せずに、仲間からもらったあだ名が”ジョジョ・ラビット“ というわけで、このニックネームはどちらかというと、ウサギを殺せなかったジョジョを馬鹿にした、不名誉なニックネームである、その不名誉なニックネームをタイトルとした監督の意図は何か、このニックネームにジョジョの優しさを込めたのか、優しさゆえにヒットラーユーゲント失格の汚名(?!)となったニックネームに皮肉を込めたのか。

 

ということで、映画の始まりでは、何も知らない子供ゆえに、ヒットラーによる支配がドイツに落としている暗い影を全く感じることなく、天真爛漫に、サマーキャンプに参加するかの如くヒットラーユーゲンント育成の訓練に参加しているジョジョを描く、何しろ、ことあるごとにジョジョのメンタルの中に現れて、ジョジョを励ましてくれるジョジョの心の友は何を隠そう、アドルフ・ヒットラーその人である。

 

そんなジョジョであるのだが、ある日、母親が自宅にかくまっているユダヤ人の少女を発見してしまう、そこからジョジョとこのユダヤ人の少女との交流(?)が始まり、映画のストーリーも展開してゆき、少女へ対するジョジョのメンタルの変化の過程がこの映画の見どころと言えば見どころであろうか、映画に引き込まれる。

ジョジョユダヤ人のことをどんなふうに考えているのか、がわかるシーンもある、幼い子供への教育がゆがんでいるとこんなふうになるのか、ということが分かる、滑稽である意味、ユーモラスなシーンであるはずなのだが笑えない。

 

が、少年は成長して、戦争の終わりを迎える、戦争が終わって少女と少年はどうなるのか? それは、やはり映画を観てもらいたい、タイトルの ”ジョジョ・ラビット“ が少年の名誉となるニックネームであったのか、恥ずかしくも不名誉なニックネームであったのか、映画を観ているあなたに確認してもらいたい。

ジョジョを取り巻く大人たちもいい、大人ではないがもう一人、いいわき役がいる、ジョジョの親友のヨーキー少年だ、映画の中ではポイントポイントにでてきて笑いを誘う、特に、戦争終結後の展開の中ではいい味出している、彼にも注目してもらいたい。

 

この映画はユーモアにも満ちているのだ、監督は全く思いもよらない角度からナチスドイツを描いて見せた、いや、以前にロベルト・ベニーニ監督「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画、アウシュヴィッツ強制収容所とそこにとらわれたユダヤ人の主人公を描いた作品だがあった、この映画「ジョジョ・ラビット」と同じく思いもよらない角度からナチスドイツを描いた作品であるのではないか。

 

ぜひ、ジョジョ少年の成長を見てほしい、ゆがんだ社会、ゆがんだ教育、ゆがんだ大人たちの中で大きくなっても、子供は自分でゆがみを正して成長してゆくのだな、という、何か安心感みたいなものも感じることができる、「ジョジョ・ラビット」はそんないい映画であると思う。

 

 

ライフ・イズ・ビューティフル (字幕版)

 

鬼滅の刃:無限列車編   アニメ

 

第十六話 自分ではない誰かを前へ

 

コロナが始まってから初めて映画館に足を運び見た映画、半年以上ぶりの劇場で見たのは、アニメ「鬼滅の刃・無限列車編」、シーズン1の全26話を見てハマってしまい、劇場へと。アニメだからと言って子供向の映画だろうなどと侮ってはいけない、スゴイのだこの映画は、しかし、映画館へ行くのなら、まずは、コミックを読むか、少なくともシーズン1全26話を見てから行った方がいい、だって、「鬼滅の刃・無限列車編」は完全にシーズン1第26話の続編だから。

 

鬼滅の刃」のコミックを読んだわけではない、テレビで2時間版が放映されたときも興味がなかった、知人にこのアニメは人気があるのだ、と聞いた、今現在大ブレイク中でブームになっている、とニュースで見た…こんな、感じだった、そして、先日のテレビ放映は見逃したが、それならちょっとアマゾンプライムで見てみようかな、と思って、第一話をクリックした、そしたら、一気に第26話まで見てしまった、という次第、完全にはまったと思う。

 

鬼滅の刃」は作者独特の「鬼滅の刃」ワールドがいい、鬼殺隊の剣士、炭治郎、善逸、伊之助をはじめとする、鬼殺隊の面々、剣士たちが得意とする数々の必殺技、鬼舞辻無惨を頭に据えた鬼の面々、すごい迫力、こんな鬼と命がけで戦う鬼殺隊は半端ではない、また、剣士と同じで階級があって、上位の階級ほど強く破壊的な鬼であるとか、鬼になっても人間を守る炭治郎の妹の禰󠄀豆子とか、禰󠄀豆子は強い。そんな魅力的な登場人物と、どこから見ても恐ろしい鬼たちが死闘を繰り広げる。

だが、筆者はコミックは読んでいないので、ここでは映画「鬼滅の刃:無限列車編」について語ろうと思う。

 

まず、何がスゴイって鬼殺隊の剣士とその鬼が戦う死闘がスゴイ、スクリーンから伝わってくる迫力はスゴイ、この映画ではクライマックスの死闘が2回ある、そのどちらもスゴイ、アニメのスピード感、リアル感、このアニメはufotableというところが製作してるらしい、スゴイ会社だ。

 

また、この映画は鬼殺隊の剣士たちによる鬼退治が見せ場なのだが、そのような剣士と鬼とのバトルばかりではなくて、今回は、主に”夢“という形で、剣士たちそれぞれのストーリーが語られる、物語上は鬼による攻撃であるのだが、この夢で語られる剣士たちのストーリーもいい。残虐でおどろおどろしい鬼とのバトルの合間にホッとするようなエピソード、バトルを一瞬忘れるようなギャグ、物語の展開考えたんだな、と感じる。

 

さらに、主人公の炭治郎と柱の煉獄は要所、要所でいろいろなセリフをつぶやく、それらのセリフがいい、単なるアニメのキャラクターのセリフがそんなにいいのか、と言われるかもしれないが、彼らのつぶやくセリフによって、映像に引き込まれ、ストーリーに入り込み、映画の世界に浸ってしまう、という効果はかなり絶大で、映画を観ている観客の心に響くセリフをつぶやいている。

 

その上、エピソード1からTVシリーズを見ている観客は、炭治郎や煉獄が戦う鬼たちのパワーがバージョンアップしている、ということを知っている、なので、今回はどんな残虐で恐ろしい鬼がでてくるのか、という変なワクワク感を感じながら映画に見入ることになる、一方、“蝶屋敷”での機能回復訓練によってこちらもパワーアップしている炭治郎、善逸、伊之助がパワーアップしている鬼とどんなふうに戦うのか、であるとか、柱、煉獄の戦いぶりはどんなであるか、などもワクワクしながら見る。先に書いた、アニメ制作会社 ufotable の腕のみせどころ。

 

このように、「鬼滅の刃:無限列車編」はコミックを読んでいたり、TVシリーズを観ているものにとっては、やはり、最初からワクワク感満載の映画なのだ、そして、実際に、映画は面白い! なので、何度でも言うが、「鬼滅の刃:無限列車編」を見る前には、やはりコミックを読むかTVシリーズをちゃんと見ておくことをお勧めしたい。コミックを読んでいなくても,TVシリーズを見ていなくてもそれなりに楽しめるとは思うが、映画を観ながらのワクワク感を感じるためにはやはり、あらかじめ観ておくことは大切かな、映画の面白さが半減するよ、映画製作会社もうまい。

というわけで、筆者は「鬼滅の刃:無限列車編」を思う存分堪能したのでした。

 

 

 

仮面の男  レオナルド・ディカプリオ 主演  :悪くないけれど残念な映画

仮面の男 (字幕版)

 

ロミオとジュリエット」に引き続き、ディカプリオ二作目の紹介、「仮面の男」、ディカプリオはまさに、タイトルの‘仮面の男’とフランス国王ルイ14世の二役をこなし、ディカプリオ祭りか、と思えた映画だった、が、実際見てみると、仮面の男は物語の後半仮面を脱ぐことになるのだが、それまでは、当然のごとく仮面をかぶせられているために、顔は見えない、誰だかわからない、よって、レオナルド・ディカプリオの顔も拝むことができない、一方、国王ルイ14世のほうは、わがまま、横暴、傲慢などなど、民のことなどこれっぽっちも頭にない、どうにも手の付けられない”悪“王様であり、ディカプリオは美しいが、どうも、パッとしない。

 

どう考えてもこの映画のメインキャストはディカプリオのはずなのだが、物語はダルタニアンと元三銃士で、すでに三銃士引退している、アラミス、アトス、ポルトスの4人が、物語の流れを引っ張っているのであり、タイトルは「仮面の男」ではあるが、中年になったダルタニアンと老いた三銃士の活躍のほうが圧倒的に映画を面白くしている、

 

物語のほうは、我儘、横暴なルイ14世の統治に愛想をつかした三銃士達が、ルイ14世を何とかしてしまおう、という話、ルイ14世が、飢えている民に食料を配給する際に、腐っている食料を民に与えるくだりは、フランス王妃マリー・アントワネットが食べるパンにも事欠いて飢えている民衆に、”パンがないならケーキを食べればいいじゃない“と言ったエピソードを思い出させる、どちらも民衆の心がわからず、つかめず、マリー・アントワネットは断頭台へと送られる、映画のルイ14世は…‥どうなるか、それは映画を観てほしい。

 

一方、”仮面の男“の方はどうかというと、仮面をつけたまま一生牢獄に閉じ込められたままの運命であるところを、或る計画のために仮面を脱ぎ捨てることとなる、映画によると6年間牢獄に閉じ込められていたという、これほどの惨い仕打ちを受けながら、仮面の男は心優しい、いい人、正義の人、である、まあ、そこに、この映画の救いがあるのだが、さらに、この仮面の男には、あっと驚くサプライズの秘密がある、それも、最後まで映画をちゃんと見ないとわからないよ。この秘密のパターンは、イギリスBBCのTVドラマ、「女王ヴィクトリア 愛に生きる」のヴィクトリアの夫、アルバートの秘密と同じで、この秘密のパターンってよくストーリー展開で使われやすいパターンなのかしら、と思ったりする。

 

 

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三銃士のうちの一人、アトスを演じるのは、ジョン・マルコビッチ、先に紹介した映画「ザ・シークレット・サービス」では、サイコ的に大統領の命を狙う犯人役を怪演していた、ここでは、ま逆の正義の三銃士の一人を演じている、正義の味方も悪くはないけれど、どこかキレていて、得体のしれない、不気味な犯人役のほうが、マルコビッチははまっていて、存在感ありありで目せてくれていたように思える。

 

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そんな正義の味方三銃士も老いて、もう実戦からは完全に引退してしまったように見せておいて、最後の最後で、やっぱり、カッコよく決めてくれる、ダルタニアンもね。と

 

はいえ、今回は、ディカプリオにカッコ良さはみられなかった、仮面の男はいい人なんだけれどね、三銃士達も最後は決めてくれたが、まだまだ、カッコ良さが足りなかった、というわけで、当時、人気絶頂のレオナルド・ディカプリオが主役を務める「仮面の男」ではあるが、悪くないけれど残念な映画、としたい。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャー  マイケル・J・フォックス  主演

バック・トゥ・ザ・フューチャー (字幕版)

 

H・G・ウェルズの小説「タイムマシン」を皮切りに、タイムマシンをテーマにした小説や映画は数限りなく作られた、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」もそんなタイムトラベルが或る意味、軸になった映画の一つであるのだが、この映画で描かれるタイムトラベルは少し違う、どこが違うのかと言われば、こんなところが違うんじゃないの、と言ってみる。

 

まず、タイムマシンで時間をさかのぼり過去の世界へタイムトラベルした場合の鉄則としては、過去の出来事をいじくって、未来を、別の言葉で言うと、歴史を変えてはいけない、というのが鉄則なのだ、というのがSFファンとしての理解であった、実際、未来を変えてしまう羽目になって悲劇に見舞われるプロットのSF小説はいくつもある、この映画でも、未来の自分の存在自体を抹殺してしまいそうな事件を引き起こし、なんとかそれを食い止めようと、主人公マーティは奮闘する。が、監督のロバート・ゼメキスはちょっとしたサプライズと、優しさをもってこのルール―を破る、それは映画のラストでわかるのだが、ルールを破ったからと言ってけしからん、と観客に言わせるのではなく、ラストを見て観客をハッピーな気持ちにさせるところがゼメキス監督の腕の見せ所であった。

 

 

         バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2 (字幕版)

 

 

この映画には数々の見どころがある、過去にさかのぼってそこで起きるエピソード、秀逸、マーティが生活していた時代とタイムトラベルしてしまった時代の様々なギャップ

 の面白さ、秀逸、タイムトラベルを可能にしたタイムマシンのユニークさ、デロリアンと言って車であるところ、秀逸、そしてこのタイトルである「バック・トゥ・ザ・フューチャー」するための、クライマックス、秀逸‥‥と、どこをとっても、文句のつけようがなく面白い映画なのである、本当に。

 

主役のマイケル・J・フォックスはこの頃「ファミリー・タイズ」というシットコム(situation comedy)に出演していてそこでやはり高校生を演じていた、このシットコムでは秀才のキートン家の長男アレックスという役どころで、このシットコムも面白く、テレビ東京で放送されていた。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と言い「ファミリー・タイズ」といい、高校生を演じるのがうまかったな、というこの頃の感想。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、タイムトラベルの結果マーティは自分と同じ高校生の頃の両親と出会う、ものすごく時を超えた過去へのタイムトラベルではないところが、また、ゼメキス監督の秀逸なところ。以前、筆者はタイムマシンでタイムトラベルできるならどこの時点に戻りたいですか、と聞かれたことがある、その時の筆者の答えは、戦国時代にタイムトラベルして、何故、明智光秀織田信長を裏切ったのか本当の理由が知りたい、歴史上の人物で織田信長が一番好きだから、というものだった、やっぱり、ふつう問われれば、大きく時代をさかのぼったタイムトラベルが頭に浮かぶ。

 

タイムトラベルのSFでは、どの時代に、どの時に、トラベルするかで数限りないストーリーが展開できる、「バック・トゥ・ザ!・フューチャー」にも続編ができて、全部で3作ある、2作目、3作目も面白い、ぜひ、3作全部見てほしい!!!

 

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3 (字幕版)

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーマイケル・J・フォックス

ロミオとジュリエット   レオナルド・ディカプリオ 主演     :悪くないけれど、残念な映画

ロミオ&ジュリエット (字幕版)

 

ロミオとジュリエット」と言えば、言わずと知れたシェイクスピアの有名な戯曲の一つであり、日本でも有名で、芝居、映画、パロディなど、様々な形で上演されているのを目にすることができる。ここは映画を語るブログなので、まず映画から行くが、その昔、本当に昔、オリビア・ハッセイという美しい女優がジュリエットを演じた映画があった、美しくて、優しくて、優雅なジュリエットで、シェイクスピアの原作にどちらかと言えば忠実に映画化された「ロミオとジュリエット」であった、と記憶する。蛇足だが、この美しいオリビア・ハッセイは日本人歌手、布施明の奥さんであった時期がある、皆さん、覚えていますか?

 

ところで、ここで語りたいのはこのオリビア・ハッセイ主演の「ロミオとジュリエット」ではなく、もう少し新しい「ロミオとジュリエット」、そう、若き日のレオナルド・ディカプリオがロミオを演じた映画「ロミオとジュリエット」だ。この映画が公開されたときには世間で話題になった、曰く、シェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」の舞台を現代に置き換えて、登場人物、彼らの活躍する町、衣装などすべてが現代的だ、と、しかし、それならば「ウエストサイド物語」という映画だってある。

 

また、、映画の中で俳優たちがしゃべるセリフは、すべてシェイクスピアの原典通りの英語で、現代の英語とは違う、you を thou と言ったりするんだよ、と、こちらの方がインパクトがあった。が、日本人としては、自分のリスニング力を試すためにあえて、シェイクスピアの時代の英語を聞くんだ、という決意をもって映画を観るのでもない限り、映画には日本語字幕が付くので、字幕を追っていけば何ら問題ない、さらに言うなら、あまりにも有名な物語であるため、観る前からストーリは承知している人も多い。

 

かくいう筆者も、残念と言うべきか、現代風に設定された役者たちがしゃべる、シェイクスピアの時代の英語にほとんど煩わされることなく映画を楽しんだ。当時、知り合いのイギリス人に、この映画を観たか、と聞いてみた、イギリス人であるし、イギリス人であるなら、シェイクスピアも周知なのだろうな、と思った。彼曰く、役者たちのしゃべっている英語が変だ、よく理解できない英語だ、というコメントだった、それは、本人がシェイクスピアの時代の英語だからよく理解できなかったのか、役者のしゃべっているシェイクスピアの時代の英語が変で理解できなかったのか、どちらであるのかははっきりしなかった。

 

この映画が異色、と思われるのはネイディブにとってであり、ほとんどの日本人にとっては、あのレオナルド・ディカプリオがロミオを演じる、ラブロマンス映画、だったのかと感じる。当時は、ディカプリオの人気がすごくて、宣伝されるのはロミオ役のディカプリオばかりだったと記憶する、なので、この映画のジュリエットについてはほとんど印象にない。

 

ジュリエットで印象に残っているのは、舞台のバレエで見たジュリエットであり、マイリンスキーバレエ団のヴィクトリア・テリョーシキナというダンサーが舞ったジュリエットだ。白くふわふわする薄絹のような衣装をまとい、暗い舞台の上を蝶が舞うように軽やかにダンスしていた、この時のジュリエットが美しく、月夜の月の光に照らされて舞う白い蝶のように思えて、いつまでも忘れ難く、印象的だ。

 

公開前から、いろいろと話題になっていたディカプリオ主演の「ロミオとジュリエット」、ディカプリオは良かった、若き日のディカプリオはやはりステキ、悲劇の主人公ロミオをよく演じていたと思う、シェイクスピア時の英語をあえてセリフとしたという点も、頑張っていた、が、残念かな、もう一人の主役であるジュリエットの影が薄すぎる、美しかったのだろうが、先にも書いたように筆者にはほとんど印象がない、ということで、ディカプリオファンの方々には悪いのだけれど、この映画、悪くはないけれど、本当に、残念な映画、としようと思う。

 

ロミオとジュリエット (字幕版) オリビア・ハッセイ版

                         ロミオとジュリエット