Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

映画  マルタの鷹   ハンフリー・ボガード 主演  : 悪くないけれど残念な映画

マルタの鷹 [DVD]

 

 

 

ハードボイルド(hard-boiled)という言葉は、辞書によると、”非情な、動じない、妥協しない、厳しい、タフな、強靭な、硬派の、情にほだされない、シニカルな“ などの意味がある、ハードボイルドな小説、とか、ハードボイルドな探偵と言ってよく耳にするのは、フィリップ・マーロウという名前なのであるが、筆者は残念ながらフィリップ・マーロウが登場する小説を読んでいない。

 

ハードボイルドと言って、思い浮かべる小説家にアーネスト・ヘミングウェイがいる、上記の辞書の定義で、ヘミングウェイの文章を考える時、あの簡潔で、余計な要素を削り取った文章は ”硬派“ という意味が当てはまるような気がする、様々な修飾で文章を飾り立てることのない点において、彼の文章はハードボイルドと言われるのか、または、単にヘミングウェイが女性の描写を苦手としていた、という根拠によって、彼の小説はハードボイルド、と言われるのか、辞書には、文芸的にハードボイルドと使うと、それは “純客観的表現で道徳的批判を加えない” とある、が、どうもピンとこない。

 

ハードボイルド(hard-boiled)というのは、もともと、卵のゆで加減を表していて、ハードボイルド、すなわち、”堅くゆでた、堅ゆでの“ という意味であり、堅くゆでられたゆで卵というのは、食してみると、塩でも振りかけない限り、わりと、何の味わいもない、そっけない味であり、味わい深いとか、美味であるとか、ソフトであるとか、といった形容詞からは程遠い食感なのである、そんなゆで卵の食感が上に記した ”ハードボイルド“ という語の持つ意味を生んだのか。

 

そんな、ゆで卵から生まれて、ダシール・ハメットという作家が確立したスタイル、と言われている ”ハードボイルド“ 映画の一つに、ハンフリー・ボガード主演「マルタの鷹」というのがある、原作はその、ダシール・ハメットであり、サム・スペードという、また、いかにもハードボイルド感のある名前をした探偵が主役なのである。

 

マルタの鷹〔改訳決定版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

ハンフリー・ボガード演じる探偵、サム・スペードが、確かに、ハードボイルドだ! と、感じられるのは、やはり、この映画のラストではないか。事件解決をし、すべての種明かしをしているときのサム・スペードはカッコいい、これぞ男の中の男、っていう感じがする、ハードボイルドの定義の “”非情な、妥協しない、厳しい、タフな、強靭な、硬派の、情にほだされない “ といったところがまさにぴったりで、なるほど、こういうのがハードボイルドであるか、と、ここでピンときた。

 

そこに至るまでのサム・スペードは、どうも、ハードボイルドっていうには、ちょっと違うんじゃないか、と、筆者は感じていた。たとえば、相棒の奥さんと浮気したり、確かに、或る意味、“非情” と言えば、“非情”であるが、また、依頼人の女性に対してはハードボイルドにしてはかなり親切で優しかった、彼女が嘘つきであるとわかっても、この辺りは、どこが、“厳しい” とか、”硬派の“ であるとか、“情にほだされない” といったハードボイルド的要素があるのか、と首をかしげた。

 

が、最後まで、ラストまでしっかり見ると、この映画で ”ハードボイルド“ ってこういうことか、と、今まで、ピンとこなかったものが、わりとクリアに理解できる、そんな気がする、ハードボイルド探偵小説の世界に浸ってみようか、なんて思ったりもする。そんな、ハードボイルド的には悪くなく、ラストのハンフリー・ボガードはかなりカッコいいのだが、残念ながら、ミステリー的には今一つ、という感想は否めない、というわけで、この映画、カッコいいハンフリー・ボガードには残念であるが、 ”悪くないけれど残念な映画” かな、と感じる。

 

マルタの鷹(1941) (字幕版)

 

映画 宇宙戦争   トム・クルーズ  主演   : 悪くないけれど残念な映画

 

 

 

宇宙戦争 (字幕版)

 

 

最近のニュースで、アメリカの火星探査機、“パーサヴィアランス” が火星に無事に着陸したというニュースがある、パーサヴィアランス以前にも火星探索機は火星を文字通り ”探索“ し、火星には大きな頭をして、細長い手足を持っている、地球のタコに似た形状をした火星人も、地球人に似た形状をした火星人も、他にどんな様子をした火星人でも、地球を侵略しようとか、地球を支配しようとか、計画しているエイリアンは少なくとも、今のところ、存在しない、と私たちは知っている。

 

火星探索の時代以前には、サイエンス・フィクションの世界では様々な火星人が描かれてきた、今、筆者の手元にある、ずいぶん古い小説であるが、フレドリック・ブラウン著「火星人ゴーホーム」のプロローグには、地球の多くの人々が火星人の存在、ありうるかもしれない襲来を信じるようになってしまった一例として、“日本の山梨県に自分は火星人だと言いはる男が現れて、それを信じた暴徒の群れに虐殺された” なんていう記述もある、果たして真偽のほどはわからないし、フレドリック・ブラウンは確たる証拠も述べていない、引き合いに出された山梨県の人々にとっては、はた迷惑な一文かもしれない。

 

 

火星人ゴーホーム (ハヤカワ文庫 SF 213)

 

 

実際にあったところでは、有名な映画俳優、かつ、映画監督でもあるアメリカ人、オーソン・ウェルズがラジオドラマで火星人襲来のフィクションを放送したところ、その放送を信じ込んでしまった人々で、大騒ぎ、大パニックになってしまった、という、これもまた有名な話がある。つまり、これほど、以前は、火星探索前史においては、火星人は実際に存在して、地球侵略を狙っているかもしれない、と、多くの人々は信じ込んでいたのだ、ということをいいたい。

 

そして、やっと映画の話に移るのであるが、トム・クルーズ主演の映画「宇宙戦争」は、そんな火星人の襲来を描いたH・G・ウェルズ著の古典的SFをベースに、地球侵略をもくろむ火星人をウェルズのイメージした火星人よりも、もっと、グロテスクに、狂暴に視覚的に訴えた映画ではないかと考える。

 

地球よりも文明も科学も格段に進んでいる宇宙人にウェルズの時代もトム・クルーズの現代も、人類がかなうはずもなく、映画ではヨーロッパ、アジア、そして、アメリカと次々と全滅してゆく、映画のストーリー展開では、このまま人類は滅んでゆくしか道はなさそうに思えるのである、人類からの攻撃に対して、シールドを作って防御できる技術を持つエイリアンに、どうやって、そのような技術も持たない人類が対抗できようか、勝ち目はない。

 

が、人類の助っ人は思わぬところからやってくる、ちょっと拍子抜けするくらい、ああ、そうだったの、と、映画全編を占める人類に対する壮絶な虐殺は何だったの、と思えるくらいに、あっさりと、火星人、宇宙人、エイリアンは退散することになる、まあ、原作に忠実であるなら仕方ないか。もう一つ原作に忠実に、トム・クルーズ演じる主人公レイ・フェリスは、あれだけ破壊的な人類殺戮をみせられた後に、全くエイリアンたちの攻撃を受けていない、奇跡的に、彼らの攻撃からまぬかれた、元妻の実家に娘とともにたどり着き、元妻、息子、元妻の両親たちと再会を果たす、めでたし、めでたしの結末。

 

悪くはないが、やっぱり、ちょっと、非現実的、あれだけアメリカ中が破壊されつくしたのにさ…とか、エイリアンはレイの元妻の実家のあるボストンだけ見落としたのか…

とか、観ているほうも肩透かしを食ったような感じのエンディングでした、まあ、ハッピーエンドなんだからいいじゃないか‥‥という声もあるかもしれない。

 

が、この映画で描かれている、かなり、”グロテスク“ な火星人には拒絶反応を起こしつつ、かつ、エンディングにも消化不良を残しつつ、トム・クルーズは頑張っていたけれど…今回は、悪くないけれど残念な映画、かな、やっぱり、と思う次第。

 

   追記 :2022年3月9日

この記事は,約1年前に書いた記事ですが、1年前には現在起こっているようなロシアとウクライナの戦争が起こるとは、夢想だにもしていなかった。映画、又は、H.G.ウェルズ の「宇宙戦争」を観たり、読んだりするならば、その設定がまるで地球を襲撃する火星人、すなわち、ロシア、圧倒的な力の差でもって火星人に抵抗する人類、すなわち、ウクライナ、に置き換えてみると、まさに、ドンピシャリの設定のように思えてしまう。

 

このような戦争は、映画や小説の中のことだけであってほしかった、地球人同士で殺しあう必要はないであろうと。これほど大規模でない軍事行動や内戦は常にどこかで起こっていた、という事実をあわせて思いはしても、人類は、本当に歴史から何も学ばない、ということが、今回は特に如実にあらわとなった愚かな戦争と思える。

 

一日も早い停戦、ウクライナウクライナの人々の平和を祈るばかりです。

 

 

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映画  キッド   チャールズ・チャップリン 主演/   チャールズ・チャップリン  監督

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チャールズ・チャップリンといえば、世界的に有名な、だれもが認める喜劇王なのであり、数々の名作を作り上げてきた監督でもあり、その中から今回は「キッド」という映画について語りたいと思う。タイトル「キッド (The Kid)」 からもわかる通り、この映画は一人の子供とチャップリン演じる、どちらかというとその日暮らしの貧しい男の物語であり、ストーリーとしては、格別に奇をてらった、珍しい話、というわけでもないのだが、では、何がこの映画の魅力であるか、と問われれば、そうですね、5歳という設定ながら、この子役の演技のうまさ、かわいらしさ、と、いつもながらチャップリン演じる男のユーモラスさ、ではないかと思う。

 

この映画の子役は、ジャッキー・クーガンといって、この映画「キッド」の出演によって、一躍有名子役になったという、映画で子供は5歳という設定であるが、この子供が、車に乗せられ、孤児院に連れていかれそうになり、チャップリン演じる男と、離れ離れにさせられそうになる、というときの、彼の演技は、実に真に迫っていた、5歳児のこれほどの迫真の演技に感心した。

 

5歳児と言えばNHKのテレビ番組「チコちゃんに叱られる」がすぐに思い浮かぶのだが、チコちゃんも5歳児ながら芸達者、口達者であり、昔も今もたった5歳の子供だから、といって、侮れず、この映画を観て改めて、5歳の子供でも大人顔負けの演技、大人顔負けの役者、であることに驚くばかり。

 

 

 

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一方、現代の日本の子役にも、悪くないなあ、と注目する子役がいる、映画「キッド」とは違い、すでに、最初に観たドラマでは小学校低学年、つい最近観たドラマでは小学校高学年くらいの役どころであった、山城琉飛という少年で、初めて彼をTVで観たのはTVドラマ「シャーロック アントールドストーリーズ」の ”少年シャーロックが現れる“ の回で、その少年シャーロックを演じていた、ちょっと生意気そうだが、その明晰な頭脳で持ち前の推理を披露するあたりと、小学生の子供らしさをみせる演技は、印象的でうまいと思った。

 

 

 

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その後、つい最近、TVドラマ「相棒」で、再び彼を見ることになった、最初は気づかなかった、が、ドラマが進行するうちに、なにか、あれっ、この子役、どこかで同じような雰囲気のこの役者を見たことがある‥‥と、過去の相棒ドラマで子役が登場していた回を、思い出してみたが、どこにもいない、違うなあ…と、何が記憶に引っかかっているのか、とさらに、いろいろ思いめぐらし、そして気づいた、右京さんに「友達を助けて」といった時の、ちょっとかすれたハスキーな声が、TVドラマ「シャーロック」で「おじいさんを探してください」と言っていた時の声と重なった、重なったのは彼のその時と今回の真剣な表情と声であった。

 

映画「キッド」では、チャップリン扮する男が夢を見るシーンがある、夢の中には天使がたくさん出てくる、チャップリン自身も天使になるのだが、この夢のシーンは映画のストーリーと全く関係なく、唐突に、しかも、割と長いシーンでなのである、実際、このシーンがなくても、映画の進行上はなんの問題もないのだが、役者に全員天使の扮装をさせて、ひとしきり遊ぶ、子供は天使、とでも言いたかったのか、実のところ、筆者にはよくわからない。

 

チャップリン自身はこの夢の天使のシーンだけではなく、ストーリの流れの中でも、いつものスクリーンの彼のように様々なユーモアやギャグを見せてくれる、もしかしたら、ストーリーの中で見せるギャグだけではチャップリン、消化不良、満足できなくてストレスがたまり、ストーリーでふざけることができない分、夢の中でぞんぶんにふざけてみたのかしら、と、勝手に思ってみたりもする。

 

子役とチャップリンの二人の演技が、実にうまくキャッチボールをして、いい映画になった「キッド」、モノクロのサイレント映画である、サイレント映画、ってどんな映画?チャップリンって誰?と思う方もいるかもしれない、そんな方も、ここはひとつ、サイレント映画チャップリンを体験してみてはいかがでしょうか、すでに、チャップリンのファンの方は、もちろん、この映画の良さを十分理解しているでしょう‥‥と思うばかり!

 

 

 

相棒-劇場版IⅤ- 首都クライシス 人質は50万人!特命係 最後の決断

映画 夕陽のガンマン   クリント・イーストウッド  主演

夕陽のガンマン [Blu-ray]

 

若き日のクリント・イーストウッドはカッコいい、かたや、相棒となる、リー・ヴァン・クリーフもカッコいい、二人とも早撃ちの名手で、定めた狙いは外さない、が、映画はマカロニ・ウエスタンとはいえ西部劇で、わりと、簡単に人間を撃ち殺していく、お尋ね者の死体が山と積まれたトラックが映し出されたりして、割と壮絶感も漂わせたりする。クリント・イーストウッド主演の大ヒットしたマカロニ・ウエスタンの第2作目である、

 

一応、マカロニ・ウエスタンというのはいったい何かというと、イタリア製の西部劇のことで、スパゲッティ・ウエスタンであるとか、ティラミス・ウエスタンであるとか命名せずに、甘くも柔らかくもない、ゆであがる前の 硬いマカロニを選んで、”マカロニ“ ウエスタン と命名したところに、先にも書いた、死体がゴロゴロ出てくる、やたらと人を撃ち殺す ”男の世界“(?)、”硬派の世界(?)“ をイメージしたのではないか、と考える。

 

もう一人の賞金稼ぎの大佐、リー・ヴァン・クリーフはスーツに身を固め、どちらかというと、スタイリッシュに、クールに、お尋ね者をしとめていく、彼には賞金稼ぎをするそれなりのある理由があるのだが、風来坊風のクリント・イースドウッドの賞金稼ぎと、対称的で、対称的な二人が、協力し合うようになるところも面白い。

 

日本語タイトルは「夕陽のガンマン」であり、原題は「For a Few Dollars More」(もう数ドルのために)と言って、前作「荒野の用心棒」に続き、用心棒ではなく、賞金稼ぎが主人公の映画である。

賞金稼ぎの映画なのに、”用心棒” とした、前作「荒野の用心棒」の邦題は、監督のセルジオ・レオーネ黒澤明監督の「用心棒」のファンであり、日本映画「用心棒」へのオマージュから第一作目 (原題「A fistful of Dollars」《一つかみのドル[金]》)、 を製作したことを考えて日本語タイトルを「荒野の ”用心棒“」としたのは明白。

 

 

用心棒

 

 

筆者が驚いたのは、賞金稼ぎというのは昔の西部開拓時代の話だとばかり思っていたのだが、現代のアメリカにも形を変えて ”賞金稼ぎ(bounty hunter)” という ”職業“ があるらしい、ということ、もっとも、西部開拓の時代のように、お尋ね者の遺体にも賞金を支払うということはもちろんなく、”該当する法律に従って犯罪者や逃亡者を逮捕することで報酬を得ている“ とある。どうやら、アメリカには、保釈の際の保釈金を立て替えてくれる会社があり、その保釈金を踏み倒して保釈中に逃亡する犯罪者が多く、そんな犯罪者を追跡して捕まえて、高額な保釈金を取り戻し、謝礼をもらう、というシステムのようだ。

 

そういえば、映画「スターウォーズ」にも賞金稼ぎ(Bounty hunter)は登場していた、賞金稼ぎボバ・フェットはハン・ソロを追跡して、捕まえ、ジャバ・ザ・ハットに引き渡していたではないか。西部開拓の時代から、現在を経て、遠い未来のSF映画まで…賞金稼ぎが日常の生活の中にも普通にある職業として成り立っている社会であるからこそ、のボバ・フェットだったか。

 

映画「夕陽のガンマン」、賞金稼ぎという言葉を第2作目も使わず ”ガンマン“ としたところにクールさを感じる、又、”夕陽の“ とつけたことによって、なんというか寂莫とした荒涼感が出て、背中に夕日を浴びてたたずむガンマンの姿が浮かぶイメージ、確かに、映画の舞台となっている西部の町は荒れた、そっけなさを醸し出す寂莫感漂う街になっている。

 

是非、この映画で、若き日のクリント・イーストウッドの早撃ちに堪能して、黒澤明監督の映画「用心棒」及び、「椿三十郎」、こちらも観てほしい、賞金稼ぎと用心棒、西と東、どちらもクールで、ハマることは間違いないよ!

 

 

 

椿三十郎

 

映画 勝利への脱出   シルベスター・スタローン 主演/    ジョン・ヒューストン 監督

勝利への脱出 (字幕版)

 

 

”脱走“ を扱った映画は数あれど、集団での脱走と聞いてすぐに思い浮かぶのは、往年の名作、映画「大脱走」であり、この映画には数々の有名スターが出演しているのだが、一番に思い出して、印象に残っているのは、スティーブ・マックイーン演じるアメリカの航空兵ヒルツであり、単独行動で脱走を試みるさまは、この映画「勝利へ脱出」のシルベスター・スタローン演じるアメリカ軍大尉のロベルト・ハッチを思い出させる、いや、逆か、ロベルト・ハッチがヒルツを手本にしたという方が当たっているか。

 

この映画の場合は ”脱走“ がテーマだが、この映画に思い起こされるスポーツ映画には、こちらはクリント・イーストウッド監督、アパルトヘイトがテーマの映画「インビクタス/負けざる者たち」とブラド・ピット主演、弱小チームを強豪チームに作り替えていく映画「マネー・ボール」、と、それぞれ全く違ったテーマ、背景の映画なのだが、スポーツを中心として、弱小チームが次第に強くなって、最後に、大きな感動を与える、というストーリー展開に、スポーツの持つ底知れに力を感じ、サッカー、ラグビー、野球という異なるスポーツではあるけれど、スポーツって侮れぬ、人間の心をこうもわしづかみにするものなのか、と改めて思う次第。

 

映画に話を戻すと、この映画で重要な役割を果たすスポーツはサッカーであり、映画には現役のサッカー選手や往年のスター選手が多数出演して、話題を呼んだという、あいにくと、サッカーに疎い筆者は、サッカーファンと違って、だれがどの選手なのかはトンとわからなかった、ルイスという選手が見事なオーバーヘッドキックで得点を決めるシーンでは、そのキックのシーンが何度も繰り返しスローモーションで映し出されて、さすがに、スゴイキックだ、と、サッカー素人の筆者も感心していたのだが、後から、その選手がサッカーの神様と言われるペレであった、と知った、この映画に出演している有名サッカー選手たちを探して楽しむ、という楽しみ方は残念ながら筆者にはできなかった、もったいなかったかもしれない。

 

ドイツ軍と連合軍の捕虜のサッカーチームによる親善試合の展開は、実際にあった史実をもとにしているようだが、その裏で進められた脱走計画は映画のためのフィクションであるのか、ロッカールームに抜け道が予定通り作られたときの選手たちの選択、思わず、それはあり得ないよ、と愉快になり、スポーツってそこまで選手たちを熱中させられるものなのか、と、ジョン・ヒューストン監督のサッカーへの思い入れを感じた。

 

 

ランボー (字幕版)

 

 

が、最後のペナルティーキックの場面、ドイツチームのサッカー選手と、シルベスター・スタローン演じるゴールキーパーとの対決なのだが、せっかく主役のスタローンの見せ場、なんだか、あまりにもあっさり終わってしまって、拍子抜けした、もう少し、撮りようなかったのか、と、思わずにはいられなかった。ドイツ選手のキックも迫力なかったし、もっと稲妻みたいなキックさせてほしかった、そして、スタローンは、ここは、ランボーみたいな超人的なゴールキーパーとして‥‥どうかしら。

 

それで、結局 ”脱走“ のほうはどうなったのか、と思いながら、ラストを迎える、このラストは好きだ、いいと思う、フィクションなので史実とは違うらしいが、筆者はこのラストとってもいいと思う、ロッカールームでの選手たちの選択は間違っていなかったな、と思わせてくれる。ラストを見るまでは、スタローンのスタンド脱走、これがないとストーリー展開しないのだが、そしてまた、先に書いた、スタローンの最大の見せ場の描かれ方、ちょっと、なんだか、しっくりこない、いかがなものかと感じ、これは、”悪くないけれど残念な映画“ かなあ、と思っていたのだが、ラストシーンが気に入った、なので、良しとしよう、と、思いました!

 

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映画 素晴らしき哉、人生!   ジェームズ・スチュワート主演/   フランク・キャプラ 監督

素晴らしき哉、人生!(字幕版)

 

英国の作家、チャールズ・ディケンズの小説に「クリスマス・キャロル」というのがあって、けちで意地悪なスクルージおじいさんが、”クリスマスの奇跡“ によって、心優しいお爺さんへと変貌していく物語がある、もちろん、映画になったり、ミュージカルになったりと、人気のクリスマスシーズンの物語である、また、「34丁目の奇跡」という映画もあって、これはタイトル通りに ”クリスマスの奇跡“ のお話であろう、残念ながら筆者はまだ未見ですが、そして、この映画「素晴らしき哉、人生!」も、同じく ”クリスマスの奇跡“ の物語である。

 

亡霊と天使という違いはあるけれど、映画「素晴らしき哉、人生!」での奇跡の起こり方は 「クリスマス・キャロル」に近いように思われる、かように、欧米諸国では、クリスマスにはハッピーな不思議な魔法がかけられ ”奇跡“ が起こると、昔から、皆、考えるのが好きだったようである。

 

クリスマス・キャロル (新潮文庫)

 

 

クリスマスの ”奇跡“ の物語である、映画の冒頭から ”神様“ の声が聞こえてきて、天使が登場するとわかる、もしかしたら、子供向けのファンタジーの映画ではなかろうか、と観ているほうもつい思う、ストーリーも子供仕様だったら、参るなあ、とか…しかし、ストーリーが進行するにつれて、そんな杞憂も吹っ飛び、物語はなかなかシビアに、面白く、人生の皮肉のようなものを織り込みながら、進んでいく、ジェイムズ・スチュアート演じるジョージ・ベイリーの人生の物語は面白い。

 

そんな主人公、ジョージ・ベイリーが人生最大の苦境に立たされる、絶望に突き落とされたベイリーに ”クリスマスの奇跡“ が起こるところが、この映画のクライマックス、となる。天使の登場の仕方も、まあ、ユニークであった。天使の力による ”クリスマスの奇跡“、この奇跡が、ファンタージー調にならず、子供仕様にならず、うまく、大人仕様にまとめ上げたところ、観ていてホッとした、フランク・キャプラ監督、腕の見せ所。キャプラ監督の ”クリスマスの奇跡“ はよかった、大人でも十分に鑑賞に堪えうる ”奇跡“ であた、結局、いい話。

 

映画のラストでは、天使が持っていたマーク・トゥエイン著「トム・ソーヤ―の冒険」の物語が、ベイリーのもとに残される、これは映画の流れとは全く関係のない、監督の仕掛けであるが、実に、巧みな仕掛けである、と筆者は考えた。何が一体、仕掛けなのか、と問われるならば、天使の持っていた本が “マーク・トゥエイン” 著の小説であること、それも、アメリカ人なら、きっと、子供から大人まで誰もが知っていると思われる「トム・ソーヤ―の冒険」であることか。

 

 

トム・ソーヤーの冒険 (新潮文庫)

 

 

マーク・トゥエインは ”tall tale (ほら話)“ とその手法を自身の作品に巧みに取り入れて、数々の名作を生みだした作家である、そのマーク・トゥエインの著作、それもあまりにも有名な著作が、天使からベイリーに贈られた”奇跡“ と合わせてもう一つのクリスマス・プレゼントであった。これの意味するところは何か? 一目瞭然ではないのか、フランク・キャプラ監督も、マーク・トゥエインと同じく ”tall tale” を巧みに自身の映画に取り入れて、みごと、”クリスマスの奇跡“ の物語を作り上げた…‥と筆者は思う。

 

素晴らしき哉、人生!」、大人のファンタジーと言えるのではないか、フランク・キャプラ監督の ”tall tale" に耳ならぬ ”目“ を傾けて、クリスマスには幸せな気分に浸ってみるのも悪くない、そんな、クリスマスには相応しい、本当に、いい映画、でした。

 

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映画 12モンキーズ   ブルース・ウィリス  主演/   テリー・ギリアム 監督  

 

12モンキーズ(字幕版)

 

イギリスに、モンティ・パイソンというコメディ集団がいて、イギリスのBBCで、“Monty Python's Flying Circus” という番組を昔放送していて、日本でも、テレビ東京で放映され、デビューしたばかりの頃のタモリが、番組中でイグアナの物まねをやっていたりした、そんなTV番組があった。そのモンティ・パイソンのメンバーは、エリック・アイドルジョン・クリーズ、マイケル・ぺリン、テリー・ジョーンズ、グラハム・チャップマン、テリー・ギリアムの6人で、テリー・ギリアムは番組のアニメを担当していたが、たまに、コントにも顔を出すときがあった。

 

モンティ・パイソンの時とは全く違ったトーンで、そのメンバーの一人、鬼才テリー・ギリアム監督が撮影した作品が「12モンキーズ」であり、タイムトラベルしながら、わずかな生き残りの人間を地下生活へと追いやった、殺人ウィルスの元凶を発見して、未来の人類を救うというミッションを帯びている未来人ジェームズ・コールを「ダイ・ハード」シリーズで、”なかなか死なない“ 強靭なヒーローを演じたブルース・ウィリスが演じ、ギリアム監督とのタッグで、この映画「12モンキーズ」を異色な映画にしている。

 

観ている観客は、映画の最初から最後までこのタイトルにもなっている “12モンキーズ” に振り回されながら、ラストを迎えることとなる。ラストは、モンティ・パイソンらしいブラックであるが、決して、ブラック・ユーモアにはならず、ここらへんはコメディアンのテリー・ギリアムとは違う、と魅せるところであるか、同監督の「未来世紀ブラジル」も、暗いエンディングだったと記憶する。

 

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2014年にパイソンズの ”復活ライブ“ がロンドンで行われたが、その時もテリー・ギリアム健在で、世界的大物監督(!?)となったテリー・ギリアムも、あのようなコントするのか、なんか違う、スゴイ、と思わせてくれた、もっとも、テリー・ギリアムのみならずパイソンズもメンバーは亡きグラハム・チャップマンも含めて、全員、復活ライブでは、文字通り “飛んで!” いた、一番驚いたのは、あの、マイケル・ペリンが素っ裸で舞台の端から端まで駆け抜けたのを見た時か、パイソンズ、健在、パワーは少しも衰えていず、と、感動した。

 

そんな風に、映画監督とその作品、コメディアンとその作品のギャップが大きすぎるところも、テリー・ギリアムと彼の作る映画が人を惹きつけるゆえんであるのか、と感じる。そんなパイソンズのメンバーのテリー・ギリアムが作った映画である、映画のあちらこちらに、いたずらというかトリックというか、仕掛けのある映画、注意深くよく見ていないといけないかな。

 

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ブラッド・ピットが共演しているが、映画の前半でジェフリー・コインズという男のクレージーさを熱演してくれる、そのおかげであろうか、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞している、このブラッド・ピットの演技もなかなか、かも。

 

映画「12モンキーズ」、殺人ウィルスによって人類がほぼ絶滅してしまうという設定は、まさに、今現在世界を襲っているコロナウィルスを連想させ、イメージはダブり、戦慄を覚えたりもする‥‥コロナウィルスがいつ殺人ウィルスに変貌しないとも限らないな…なんて、想像してしまうと。また、アルベール・カミュの小説「ペスト」には、コロナウィルスによって陥っている現在の世界と実によく似た、ペストで苦しむ世界が描かれている、こちらも、あまりの類似に戦慄を覚えるような小説である。

 

コロナで苦しむ今の世界に身を置きつつ、映画「12モンキーズ」の監督、テリー・ギリアムは何を思うか、聞いてみたい気もする。

                            

ダイ・ハード (字幕版)

            

 

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映画 我等の生涯の最良の年    ウィリアム・ワイラー 監督

我等の生涯の最良の年 [DVD]

 

 

第二次世界大戦からの復員兵の物語である、あまりない設定ではなかろうか。第二次世界大戦アメリカは勝利者の側にいるわけで、勝利者の側で戦場から帰還した人々のその後を、しかも、その後の苦労を描くという映画はあまり見かけない。ウィリアム・ワイラー監督の「我等の生涯最良の年」では、勝利しようがしまいが、戦争という非日常を過ごしてきた人々にとっては、非日常以前の日常に戻ることがどれほど困難を伴うことであるか、そんな復員兵の苦悩を描き出す。

 

この映画では3人の、そんな復員兵が主人公となって、メンタルの問題、身体的問題、財政的問題などを抱えながら、社会復帰していく姿を描く、戦時下での功績が平和な社会で何の役にも立たない現実、身体的障害を負った人間の精神的苦悩、経済的に恵まれてはいても、メンタルがすぐには以前の日常に戻れない悲哀、ワイラー監督のタッチは、優しく穏やかに映画全体を包むのであるが、そんな優しさの中に、残酷さ、厳しさ、冷酷さ、を容赦なくブレンドしてくる。

 

劇中、特にそれを感じるのは、両手が義手となったホーマーのエピソードであり、戦時下では英雄であったであろうパイロット、フレッドが直面する、平常時の社会での厳しさ、まさに “Reality bites.” といったところ。が、この映画のいいところは、パイロットのフレッドはそんな厳しい現実に直面しながらも腐ることはなく、粛々と自分の仕事をこなしているところ、ごたごたはするけれど、恋もする、又、ホーマーはフィクションの存在ではなく、実際の復員兵であると知った時の驚愕、彼が自身の苦悩を克服した時の喜びは観ている観客のほうも拍手を送りたくなる。

 

“歴史は繰り返す” という言葉がある、これは真実であり、又、しばしばいわれる、”人間は歴史から学ばなければならない“ と言うのも、もっともなことで、とても示唆に富むセリフだと思う。が、思うに、”人間は歴史から全く何も学ばないので、歴史は繰り返す“ という方がより、現実及び真実に近いように思われる。

 

 

7月4日に生まれて (吹替版)

 

 

この映画「我等の生涯の最良の年」は第二次世界大戦の復員兵を主人公にした1946年の映画である。30年後の1976年にはトム・クルーズ主演でベトナム戦争からの帰還者、復員兵の姿を描いた「7月4日に生まれて」、という映画が製作されている。さらに、再び、約30年の後の2014年にはクリント・イーストウッド監督によるイラク戦争の復員兵を描いた「アメリカン・スナイパー」という映画が公開されている。

 

これら3作の映画は、主人公たちが従事した戦争も、戦争が行われていた時期も、復員した後にたどった運命も、もちろん全く異なっているのであるが、3作品の主人公たちは、例外なく全員、戦争という、異常な非日常空間ですごした後に、平常の日常へと ”復員“ し、苦しみぬくという、過酷な物語の映画なのである。これらの映画が製作され、上映されたという事実だけでも、人間がいかに過去の歴史から何も学ばず、同じ愚を何度も何度も、この場合、全く悪い意味で懲りずに、繰り返していることが理解できよう。

 

はからずも、これら3つの映画は全くのフィクションではなく、いずれも、モデルとなる実在の人物がいて、その実在の人物のエピソードをもとにして語られる。この事実は、ずっしりと思い、と筆者は考える。そして、歴史から何も学ばぬ人間がいる一方で、このずっしりと重い事実を、映画化して世の万人に知らしめようとする監督のいることに、映画好きな一映画ファンとして、何か救われる思いがする。

 

映画「我等の生涯の最良の年」にはユーモアもある、先にも書いたが、この3作品の中では、唯一、優しさを感じられる映画である、この映画の中で筆者が好きなシーンは、練習を重ねた義手のホーマーが、おじさんと一緒に二人でピアノを弾くシーンで、なかなかいいシーンだと思うのですが、どうかしら? 一度、ぜひ、観てほしいシーンと、その映画でした。

 

 

アメリカン・スナイパー(字幕版)

 

 

 

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映画 ミッション:インポッシブル/フォールアウト        トム・クルーズ 主演  :悪くないけれど残念な映画

ミッション:インポッシブル フォールアウト (字幕版)

 

 

ブライアン・デ・パルマ監督の第一作目の「ミッション:インポッシブル」から20年近くの時を経て、第6作目の「ミッション:インポッシブル/ フォールアウト」が世にお目見えした。主演はお馴染みのトム・クルーズで、こちらも第一作目からおなじみのIMFメンバー、ルーサー、また、前作などから引き続き登場の人物などもいて見たことあるな、という顔が揃っていたりする。

 

が、さすがに第一作目から20年近くたっている映画であるので、主演のトム・クルーズ、やっぱり老けた感があり、時の流れを感じずにはいらず、残念だなあ、と思わずにはいられなかった、まあ、いくら、世界のトム・クルーズ、映画界の大スターといっても、時の流れに逆らえるはずはなく、致し方のないことであるなあ、と、思ったり。が、老けた感があったのは、あくまでも、ルックスにおいてであり、映画の中でのアクションシーンは20年以上前の、第一作目の「ミッションインポッシブル」と比べても、何ら遜色なく、手に汗握るアクションシーンを見せてくれる、日ごろの鍛え方、並大抵なものではないのだ、と思わず、唸る。

 

映画「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」、アクションは、さすがなのである、映画タイトルが ”フォールアウト“ というだけあって、映画の中でトム・クルーズ演じるイーサン・ハントはダイナミックに ”落ちる“、まあ、辞書によると、タイトルの ”フォールアウト( fallout )“ は、”放射性降下物“ というのが本来の意味であるようで、これも、映画の内容を言い当てているタイトルではあるのだが、きっとトム・クルーズも監督も、単純に ”落下する“ という意味合いも、このタイトルにだぶらせていることは、当然かしら。高いとことから落下するのはこの第6作に限ったことでもないんだけれど‥‥。一方、 ”fallout” には ”仲たがいする“ という意味もあり、こちらも、映画の内容を思うとき、さもありなん、と感じるところ。

 

 

 

ミッション:インポッシブル(吹替版)

 

 

 

まず、映画の冒頭、異常に高い高度から、酸素を吸入しながらスカイダイビングする、まさに “fall out” 、このシーンを見て思ったことは、スカイダイビングというものは、ものすごい勢いで落下しながら、落下している最中に、なんていうのか、いろいろなことができる、ものなんだな、と改めて知った。よく、テレビなどの映像で、大勢の人数で一斉にスカイダイビングして、水の中を泳ぐように、空気の中を泳いで、一緒にスカイダイビングしている人に近づいて行って、パラシュートを開くまでに、みんなで輪になって手をつないでみたり、いろんなポーズとってみたり…とか、”落下“ しながら、驚愕!!!

 

映画のラスト近くでは、今度は、ヘリコプターで落下、さらには、断崖絶壁からも落下、と、トム・クルーズの “fall out” を堪能させてくれる。”落下“ するばかりではない、バイクに乗ってのカーチェイスあり、素手によるバトルあり、と見せ場に事欠かない娯楽度。また、この映画で、トム・クルーズはよく走る、走って走って、ビルとビルの合間をジャンプして、その身体能力には驚かざるを得ない、トム・クルーズ、頑張っているよ。

 

スーパー超人的イーサン・ハントを観客に見せつつ、映画は、ラストに、そして、ラストもやっぱり、スーパー超人的イーサン・ハントがコンマ1秒、という、瀬戸際の瀬戸際で、世界を救うという、シリーズおなじみのラスト、シリーズおなじみのラストではあるのだが、観ているほうは、わかっていても、ハラハラドキドキさせられる、観ているほうもしょうがないね、が、これが、シリーズが6作も続き、興行収入がシリーズの中でも一番である秘密であるか。

 

そんなふうに、アクションには全く問題なく楽しめる映画なのであるが、トム・クルーズのファンとしては、やはり、なんだかトム・クルーズ老けた感、は残念であり、時の流れで仕方がないね、というのは百も承知しながら、トム・クルーズはやっぱり、永遠に若々しくなくちゃいやだ、という無理なこと思うファンのわがままによって、この映画、悪くないけれど残念な映画としようと思う。

 

 

ミッション:インポッシブル/ ローグネイション (字幕版)

 

 

 

☆お知らせ  本を出版しました。

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映画 道    フェデリコ・フェリーニ 監督

道 [DVD]

 

アカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品であり、フェデリコ・フェリーニ監督の代表作の一つといわれたり、ネオリアリズム映画であるとか、言われたりしている映画である。映画の冒頭で、主人公の少女ジェルソミーナは二束三文で、大道芸人のザンパノという男に売られてしまう、この男は、以前、ジェルソミーナの姉を、同じようにこの家族から、おそらくその時も二束三文と想像されるが、買っており、その姉が亡くなってしまったので、姉の代わりにジェルソミーナを買いに来た。フェリーニはさりげなく、あっさりと、さらりと映画の冒頭で描いているが、これは、人身売買ということであろう。あまりにも、さらりとこのシーンは描写されているので、みているほうは、この、結構、重大な事実を映画を観ている間に忘れ去ってしまうかもしれない。

 

映画は、そんな風にして、大道芸人のザンパノと旅をしながら生活するようになった、ジェルソミーナとのロードムービーであり、大道芸人ザンパノの助手として、ジェルソミーナ自身も芸を披露するようになり、いろいろな事件や出来事が起こっていくのを、フェリーニは見せる、旅をしているうちに、ジェルソミーナも次第にザンパノになついていき、好意を持ったりもする。

 

かたや、ザンパノのほうはどうかといると、最初は “物” 同然だったと思われるジェルソミーナに、少しづつ好意を抱くようになって、少しづつジェルソミーナを人間扱いするようになっていく。が、あくまでもこの男は自分本位の人間であるので、ジェルソミーナに最後まで責任を持つわけでもなく、やはり、生きるための ”金“ が何よりも大事、ということもあって、この二人の旅は、なるべくしてなるようにしかならない。

 

ラスト、観客はザンパノが一人嘆き悲しむ姿を見せられることになるのだが、果たして、この男が、心の底から悲しみ、後悔しているかどうか、と考える時、それは疑わしい。もしかしたら、本心からの嘆きなのかもしれないが、おそらく、長くは続くまい、一時的なものであろうこの嘆きは、と筆者は考える。ここで、映画はラストを迎えるわけなのだが、観客は映画の冒頭に戻ってみよう。

 

ジェルソミーナの家族には、まだ、幼い妹がいたではないか、この男は、いずれまた、ジェルソミーナの家族の元を訪れ、同じことを繰り返すのではなだろうか、ジェルソミーナがザンパノとたどった道は、ジェルソミーナの姉がザンパノとたどった道と同じであろう、貧困から抜けだすことができぬ限り、ザンパノは同じことを繰り返す、出口の見えぬ貧困とは、もしかしたら、そういうものか。

 

 

 

レディバード、レディバード [DVD]

 

 

 

ケン・ローチ監督のイギリス映画に「レディバードレディバード」という映画がある、こちらも、イギリスの貧困を描いた映画であり、ケン・ローチ監督描くイギリスの貧困さに、或る意味言葉を失った感があった。また、アメリカ映画にもリー・ダニエルズ監督による「プレシャス」という映画があり、「プレシャス」でも主人公の黒人少女かなり重篤な貧困に苦しんでいるのだが、この少女は希望という出口を見出していける幸運に恵まれる。 

 

1954年に「道」、1994年に「レディバードレディバード」、2009年に「プレシャス」と、映画の監督、もちろん、国も異なるが、”貧困“ をテーマとした映画が撮影され続け、貧困という社会問題は、持てる者と持たざる者の格差がますます広がる現代においても、普遍のテーマとなって、様々な映画が撮影され続けているのではなかろうか。

 

つい最近のニュースでも、このコロナ禍にもかかわらず、GAFAという巨大企業の収益はプラスに上がり続けているという、日本でも巣ごもり需要で、家庭で遊べるゲーム販売の大手会社は収益プラス、一方、町の飲食店や観光業は客足が途絶えて、生活にも困る、自殺者の数も少なくないという現実。

 

映画「道」は、60年以上も前のイタリアの現実を描いた映画、60年前の現実は60年たった今も変わらぬ同じ現実、科学の進歩は目を見張る21世紀であるが、社会の進歩は牛歩のごとく、ああ、今年は丑年、もちろん、牛さんを責めるわけではないけれど、この社会の進歩は、もしかしたら、牛さんの歩みよりも遅いかもしれないね。

 

 

プレシャス(字幕版)

 

 

 

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