Kororon 映画について語るBlog

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映画  マルタの鷹   ハンフリー・ボガード 主演  : 悪くないけれど残念な映画

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ハードボイルド(hard-boiled)という言葉は、辞書によると、”非情な、動じない、妥協しない、厳しい、タフな、強靭な、硬派の、情にほだされない、シニカルな“ などの意味がある、ハードボイルドな小説、とか、ハードボイルドな探偵と言ってよく耳にするのは、フィリップ・マーロウという名前なのであるが、筆者は残念ながらフィリップ・マーロウが登場する小説を読んでいない。

 

ハードボイルドと言って、思い浮かべる小説家にアーネスト・ヘミングウェイがいる、上記の辞書の定義で、ヘミングウェイの文章を考える時、あの簡潔で、余計な要素を削り取った文章は ”硬派“ という意味が当てはまるような気がする、様々な修飾で文章を飾り立てることのない点において、彼の文章はハードボイルドと言われるのか、または、単にヘミングウェイが女性の描写を苦手としていた、という根拠によって、彼の小説はハードボイルド、と言われるのか、辞書には、文芸的にハードボイルドと使うと、それは “純客観的表現で道徳的批判を加えない” とある、が、どうもピンとこない。

 

ハードボイルド(hard-boiled)というのは、もともと、卵のゆで加減を表していて、ハードボイルド、すなわち、”堅くゆでた、堅ゆでの“ という意味であり、堅くゆでられたゆで卵というのは、食してみると、塩でも振りかけない限り、わりと、何の味わいもない、そっけない味であり、味わい深いとか、美味であるとか、ソフトであるとか、といった形容詞からは程遠い食感なのである、そんなゆで卵の食感が上に記した ”ハードボイルド“ という語の持つ意味を生んだのか。

 

そんな、ゆで卵から生まれて、ダシール・ハメットという作家が確立したスタイル、と言われている ”ハードボイルド“ 映画の一つに、ハンフリー・ボガード主演「マルタの鷹」というのがある、原作はその、ダシール・ハメットであり、サム・スペードという、また、いかにもハードボイルド感のある名前をした探偵が主役なのである。

 

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ハンフリー・ボガード演じる探偵、サム・スペードが、確かに、ハードボイルドだ! と、感じられるのは、やはり、この映画のラストではないか。事件解決をし、すべての種明かしをしているときのサム・スペードはカッコいい、これぞ男の中の男、っていう感じがする、ハードボイルドの定義の “”非情な、妥協しない、厳しい、タフな、強靭な、硬派の、情にほだされない “ といったところがまさにぴったりで、なるほど、こういうのがハードボイルドであるか、と、ここでピンときた。

 

そこに至るまでのサム・スペードは、どうも、ハードボイルドっていうには、ちょっと違うんじゃないか、と、筆者は感じていた。たとえば、相棒の奥さんと浮気したり、確かに、或る意味、“非情” と言えば、“非情”であるが、また、依頼人の女性に対してはハードボイルドにしてはかなり親切で優しかった、彼女が嘘つきであるとわかっても、この辺りは、どこが、“厳しい” とか、”硬派の“ であるとか、“情にほだされない” といったハードボイルド的要素があるのか、と首をかしげた。

 

が、最後まで、ラストまでしっかり見ると、この映画で ”ハードボイルド“ ってこういうことか、と、今まで、ピンとこなかったものが、わりとクリアに理解できる、そんな気がする、ハードボイルド探偵小説の世界に浸ってみようか、なんて思ったりもする。そんな、ハードボイルド的には悪くなく、ラストのハンフリー・ボガードはかなりカッコいいのだが、残念ながら、ミステリー的には今一つ、という感想は否めない、というわけで、この映画、カッコいいハンフリー・ボガードには残念であるが、 ”悪くないけれど残念な映画” かな、と感じる。

 

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