Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

映画 リトル・ダンサー      スティーブン・ダルドリー 監督

リトル・ダンサー (字幕版)

 

映画のラストに、実在のバレエダンサー、アダム・クーパーが登場する、と言うことで話題になった。アダム・クーパーは自身が実際に主役を務めているバレエの演目「白鳥の湖」のコスチュームをつけ、映画の中でも高い、高い、跳躍を見せて宙を舞う。彼が主役を演じる、バレエ「白鳥の湖」では、出演者が全員男性であり、つまり、本来、女性バレエダンサーが演じることになっている白鳥たちが全員、男性によって演じられる。異色の「白鳥の湖」である。この、アダム・クーパーのバレエ「白鳥の湖」は、演じられた当初から現在に至るまで、その異色の演出と、アダム・クーパー自身の魅力により、多くのファンをひきつけてやまない。

 

かくいう筆者も、もう、ずいぶん前になるのであるが、アダム・クーパーのバレエ「白鳥の湖」を観た。アダム・クーパーの美しさ、ダンサーとしての身体的能力と、見事なテクニック、そして、彼のバレエ「白鳥の湖」の、通常とは異なる ”衝撃的“ なラストに、驚き、感動して、いっぺんにアダム・クーパーと彼のバレエ「白鳥の湖」の虜になってしまいました。クラッシクバレエにおいては、どうしても、女性ダンサーの華やかさ、華麗さ、軽やかさが前面に出てくる傾向にあり、男性ダンサーは女性ダンサーをサポートする、縁の下の力持ち的役割に甘んじる傾向のあったところ、アダム・クーパーが男性ダンサーを主役にすえ、男性ダンサーを、思い切り活躍させたバレエが、彼のバレエ「白鳥の湖」であった、と、当時、評されていたと記憶する。

 

アダム・クーパーの話が長くなりましたが、そろそろ映画の話へ。とはいえ、こんな知識が前もってあると、この映画を鑑賞する際にも、多少なりとも映画の世界を興味深く、かつ、面白く鑑賞するのに役立ちはしまいか、と、筆者は思う。さて、この映画「リトル・ダンサー」ですが、舞台はイギリスの小さな、炭鉱の町。そこに住む一人の少年と彼の一家の物語。映画の主役は11歳の少年、ビリー・エリオット君であり、彼にはダンスの才能があり、通っていたボクシングジムを止めて、親には内緒でダンスのレッスンを受け始める‥‥というところから物語は始まる。

 

が、不幸なことにビリー君がダンスに夢中になり始めた頃、彼の住む炭鉱の町では、ダンス、バレエというと、女子が夢中になるものという固定観念が支配していた。なので、当然ながら、ビリー君が、彼のダンスへの情熱を家族を含めた周りの人々に理解してもらうまでには、様々な苦労や、障害のあることが映画では描かれる。そんなビリー君と彼の家族との関係が、この映画では実にいい感じで描かれていて、筆者の好きなところ、好きなシーンが多いのである。

 

また、小さなエピソードではあるが、LGBTの問題にも触れている。さりげなく語られる、このエピソードも、いい。そんなこんなで、ダンスに夢中になるビリー少年を語りながら、炭鉱の町の工夫たちのストライキが、それに絡み、炭工夫であるビリー君の父親、兄をも巻き込んで物語は進む。実に後味のいい映画で、映画を観終わった後にはハッピーな気分に浸れる、筆者は浸りました。

 

最後に、炭鉱の町の、少年を含んだ一家の物語、というと、以前このブログでも紹介したジョン・フォード監督による映画「わが谷は緑なりき」を思い出される方もいるだろう。映画「わが谷は緑なりき」は1941年製作、映画「リトル・ダンサー」は2000年製作、両者の間に59年という時の隔たりはあれど、59年たった後にも、イギリスの炭鉱の町では、全く同じことが繰り返されている、という現実もこの映画からうかがい知ることができるのでは。

 

映画「わが谷は緑なりき」の少年ヒューは恋のため炭鉱の町に残った。では、映画「リトル・ダンサー」の少年ビリーは? それは、映画を観て、確かめてほしい。映画「リトル・ダンサー」、筆者、お気に入りの、とてもいい映画です。

 

 

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映画  DUNE/デューン 砂の惑星     ティモシー・シャラメ 主演

デューン 砂の惑星(DUNE) [輸入盤国内品番仕様] 通常CDプレス盤

 

遅ればせながら、映画「DUNE/デューン 砂の惑星」を観ました。もしかしたら、劇場で見るのはギリギリセーフかと思われるタイミング。映画のほうは、面白く、間に合ってよかったと、観終わった後には胸をなでおろし、劇場を後にした次第。筆者は、映画「スター・ウォーズ・シリーズ」の大のファンなので、どうしても、映画「スター・ウォーズ・シリーズ」を思い出し、映画「スター・ウォーズ・シリーズ」と比較しながらの映画の始まりとなりました。

 

もっとも、原作の物語としては、「デューン 砂の惑星」のほうが、ずっと早く書かれていて、「スター・ウォーズ」のほうの物語は、デューンのずっと後にできたものであり、スター・ウォーズに登場するルークの故郷の惑星タトゥイーン、フォースの力や、ルークの修行や、皇帝に支配されている宇宙なんていうのも、デューンを参考にしたんだな、と思ってしまうのであり、実際に、デューンから多くの影響を受けていると言われている。が、一方で、映像としては、スター・ウォーズのほうが早く、このシーンは、スター・ウォーズのあのシーンと似ている、などと思える部分も無きにしもあらず。それで、まあ、結局のところ、映画「DUNE/デューン 砂の惑星」は面白く、両者を気に入っているファン、筆者にとっては、どちらが先でも、後でも、全然かまわないと言ったら、かまわないわけで‥‥。

 

そんな、映画「DUNE/デューン 砂の惑星」であるが、冒頭、この物語にでてくる、様々な登場人物、場面設定、デューン独特の用語、言葉は複雑なので、物語全体の流れを理解するのに少々手間取るかもしれない。特に、「デューン 砂の惑星」を、この映画が初めて、と言う方にとっては。そこを、何とかクリアして、家臣、兵士を含めたアトレイデス家の一行が、デューンこと、惑星アラキスへの移動をはじめ、アラキスへ到着したあたりから、映像のスケールの大きさに驚愕しつつ、デューンの世界に入って行けるのでは、と思う。

 

それに続く、香料採掘現場の視察、砂虫との初顔合わせと続くシーンでは、砂漠の広大さと美しさが際立つ、”砂の惑星“ というタイトルであるのだから、この監督は砂漠のシーンにも、もちろんこだわったのだろうな、と感じた。映画の冒頭で、砂漠の美しさ、美しく果てのない砂漠に潜む砂虫という危険、続いて、その危険な砂漠を住居として縦横無尽に砂漠を闊歩する砂漠の民の存在を観客にみせる。

 

割と静かに淡々と映画は進行してゆき、砂漠の映像は素晴らしい、と思うのであるが、映画「スター・ウォーズ/ 新たなる希望」で、映画の冒頭から帝国軍の戦艦スター・デストロイヤーがでてきて、宇宙船バトルが展開されてゆく、あのスピード感がデューンにはない、などと思ってしまう筆者。しかし、ハルコンネン家と皇帝による陰謀が展開され始めるあたりから、しだいにテンポは上がってゆき、とうとう、アクションに次ぐアクション、スピード感ないどころか、ここに至って、すっかりデューンの世界にはまりきってしまったのでした。

 

また、香料視察の際や、後半のバトルの際に活躍する ”羽ばたき機“ と言うのが登場する。本来は、オーニソプターと言う命名で、小説では鳥型飛行機と訳されている。映画に登場するオーニソプターは ”トンボのよう“ と形容されることが多いようだが、このソプターを観た瞬間、筆者は、ヘリコプターの羽が妙に長く、長く、なった、ヘンテコな乗り物だ、というイメージで、デューンの世界にヘリコプターの変わり種みたいな乗り物出さなくてもいいんじゃないか、もっと、スマートでスタイリッシュな宇宙船にならなかったのか、と少々不満に思っていた。が、後半のバトルシーンになると、なかなかこの “羽ばたき機” と言うのも侮れなく、突然鳥が翼を閉じて飛行するがごとく、ヘンテコな長い羽根をピタリとボディーにくっつけて、猛スピードで飛行し始める。その迫力には圧倒された。まあ、元の呼び名が、”鳥型“飛行機であるからね。

 

このように、いくつか筆者が首をかしげたくなるシーンもあったのだが、いい意味で筆者の期待を裏切りながら、映画「DUNE/デューン 砂の惑星」はラストを迎える。2時間以上に及ぶ長い映画と思ったが、観終わってみれば、あっという間の2時間と少し。続編ができるなら、できると思うのですが、期待できる、面白い映画でした。

 

 

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映画 ビッグ・リボウスキ    ジェフ・ブリッジス 主演/    ジョエル・コーエン 監督

ビッグ・リボウスキ (字幕版)

 

ジェフ・ブリッジスという役者がいる。割と二枚目であり、兄弟で同じく俳優のボー・ブリッジスとピアノ弾きを演じ、さらにミッシェル・ファイファーとも共演した映画「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」が印象深い。その、割と二枚目だと思っていたジェフ・ブリッジスがそのイメージを見事に破壊して、アメリカはロサンゼルス一の、なんというか、“ものぐさな男” を演じる。

 

このものぐさ男、ジェフリー・リボウスキことデュードと、彼の仲間、ベトナム戦争退役軍人ウォルター、ちょっと気の弱そうなドニー、ドニーは何か発言しようとするたびに、ウォルターに黙ってろ、とか、うるさい、と言われて何も言えないのだが、とにかくも、デュード、ウォルター、ドニーのこの三人で大好きなボーリングに興じながら、一つの事件に巻き込まれていく。全編通して、笑わせてくれる、ジョエル・コーエン監督、快心のコメディと言えるのでは。

 

映画のオープニングから衝撃的。あのピアノ弾きの二枚目がこんな目に合うのか! と、驚愕しながら映画を観始める筆者。映画が進行するにつれて、その傍若無人ぶりというか、気ままぶりとか、あくまでもマイペースに、その日を暮らしてゆくデュードとその仲間たちの世界、笑いとともに引き込まれてゆく。事の発端は、デュードの家にあった、一枚の敷物なのであるが。

 

しかし、この敷物から始まる一連の事件の結末には、残念ながら、ちょっとした、いや、デュード等にとっては重大な、ある悲劇が起こる。また、悲劇と同時に、ちょっとした、いや、やはり、デュードにとっては重大な或る事も起きる。こんなふうに、人間の人生において神様は、いいことと悪いことのバランスを取りながら、優しく、時に、辛辣に、世間の割と底辺のほうで暮らしている庶民にも、目をかけ心配ってくれているのか、と思わせる。

 

先に、ジェフ・ブリッジスの映画「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」が印象深いと書いたが、実際、筆者が初めてジェフ・ブリッジスに出会ったのは、もっと、古い映画、若き日のクリント・イーストウッドと共演した映画「サンダーボルト」で、そこにはさらに、さらに若い20代のジェフ・ブリッジスがいた。この映画ではイーストウッドインパクトばかりが強く感じられたのであるが、後年、映画「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」を見た時に、この時のサンダーボルトに付きまとう、お調子者のコソ泥、ライトフットを演じたジェフ・ブリッジスが記憶によみがえったのであった。

 

映画「ビッグ・リボウスキ」は、自由に、ゆるく、好きなことをやりながら、その日を暮らしている、デュードと仲間たちの物語であり、肩ひじ張らずに生きている彼らが共感を呼んだのか、公開当初はともかく、その後、一部熱狂的なファンを獲得しているという、コロナ禍の今はわからないが、それ以前は毎年、それらファンによるボーリング大会が行われていて、参加者は映画の中の好きな人物に、めいめい扮していたらしい。どうも、映画「スター・ウォーズ」の熱狂的ファンが、コスチュームに身を包んで、参集する図を思いうかべる。

 

映画「ビッグ・リボウスキ」、登場人物は皆ユニーク、ひとつ、のん気に大笑いしてみたいと思ったならば、ぜひ一度、見てみるのも悪くないかも。とにかく、筆者は笑いました。

 

 

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映画  存在のない子供たち     ナディーン・ラバキー 監督

存在のない子供たち(字幕版)

 

 

息子が両親を訴える、その罪状は? と問われ、息子は答える、「僕を生んだ罪」と。何やら、衝撃的なオープニングの映画なのである、しかもこの息子は12歳か14歳くらいの年はもいかない少年であり、人を刺した罪で逮捕されている。12歳か14歳といって、はっきりした年齢を書くことができないのは、この少年の出生届が出されておらず年齢がはっきりわからない、日本で言ったら、戸籍のない子供、ということになろうか、とにかくも、自分が何者であるのか証明できる、証明書を持たない子供、なのである。

 

そんな少年ゼイン君がこの映画の主人公であり、映画はゼイン君が逮捕されるに至るまでの、彼の劣悪で、悲惨、かつ、絶望的な境遇を回想という形で物語ってゆく。絶望的かつ将来への希望ゼロの子供たちが、この映画にはまだまだ登場する、何も、ゼイン君一人だけではない。ゼイン君の姉妹、しかり、ゼイン君を助けてくれた女性の赤ちゃん、しかり。この赤ちゃんは、今度は、その母親の不幸な境遇により、なんと、ゼイン君が面倒を見る羽目になる。細身で、小柄なゼイン君がこの赤ちゃんを、抱っこしたり、おんぶしたり、手製のカートにいれたりして、スラム街を歩き回るシーンは、胸が痛みすぎる。二人の運命のあまりの絶望感に言葉も出てこない、と言ったらいいだろうか。

 

貧困をテーマにした映画、本は多々あり、それぞれの作品、書物が様々な角度から社会の貧困をとらえ、映像化し、又、書物としてきた。そして、今回の映画「存在のない子供たち」のメインテーマは、出生証明書がない子供の運命である。現実の世界においても、世界ではなお一億6.600万人の5歳未満の子供が出生証明書を持たないという、気の遠くなるような数。日本においても、約800人もの戸籍を持たない子供が存在するという。出生証明が届け出されないとどうなるかということは、この映画で描かれている通り。教育は受けられない、社会保障は適応されないなどなど、まさに映画のタイトル通り ”存在がない“ ものとして扱われる。

 

が、そんな言葉を絶するほどの絶望的状況の下、数々の仕打ちに打ちのめされながらも、ゼイン少年はたくましく生き抜いていく、映画ではゼイン少年を見舞う不幸とともに、そんなたくましいゼイン少年の姿も描かれる。たくましい精神なのであるが、観てる方は痛々しく、そのどう考えても報われぬ、救いのない勇気とわかってしまうゆえに、さらなる絶望感を見ているほうは感じる。

 

そして、映画は最初に戻る、この希望ゼロの壁を打ち破るためにゼイン少年は知恵を絞り、一つの突破口を開こうとする。ここら辺がこの映画の救いになるか、ラストでは、絶望的、希望ゼロの分厚い壁に、ゼイン君が小さな、小さな穴をあけたところで、エンドとなる。小さな、小さな穴であるが、この穴が、やがて鉄のカーテンのごとき壁を崩す、大きな穴となることを期待させる。また、そうなることを映画を観ている観客は願わずにはいられない。

 

レバノンの問題を描き、レバノンだけにはとどまらぬ、世界中、日本においても存在する社会問題を描いた秀逸な映画。筆者が観ることを勧められたように、筆写も皆さんに勧めたい‥‥そんな映画かな。

 

 

 

 

 

映画  続・夕陽のガンマン       クリント・イーストウッド  主演

続 夕陽のガンマン MGM90周年記念ニュー・デジタル・リマスター版 [Blu-ray]

「続・夕陽ガンマン」、若き日のクリントイーストウッドが主演する、マカロニウエスタン、前作「夕陽のガンマン」に続く、2作目である、が、このタイトルは良くない、と、筆者は思う。前作に続く2作目であるので、しかも、前作がヒットしたので邦題を ”夕陽のガンマン“ に ”続“ をつけたのかとも思われるのであるが、

”続“ と付いていても、内容は全く前作と関係がない、関連があると言えば、準主役として登場するリー・ヴァン・クリーフが前作から引き続き登場しているくらいのものである。が、ストーリが全く違うのであるから、その役どころも前作とは全く異なる役柄である。原題をそのまま直訳した方が、まだ、映画の面白さを伝えているのではないか、と思えてしまうのである。

 

では、その原題は何というか?原題は英語で、「The Good, the Bad and the Ugly」、訳してみると「いい奴、悪い奴、卑怯な奴」とでもいうか、「善玉、悪玉、卑劣漢」というような訳もあるようで、映画ファンであるなら、もしかしたら皆さんもうご存じの原題であるやもしれぬ。こちらの原題のほうが、この映画はより一層楽しめるのではないか、と考えたりもするのであるが、原題の直訳では、うまい邦題にならないと配給会社は考えたのであろうか、とにかくも、この映画は「続・夕陽のガンマン」と、落ち着くこととなった。

 

映画のタイトルが「いい奴、悪い奴、卑怯な奴」なのであるから、このマカロウエスタンには3人の主要なガンマンがでてくることになる。クリント・イーストウッドももちろん悪くはないのであるが、中でも主役のクリント・イーストウッドを食って、映画の中で存在感を示し、主役のイーストウッドをしのいでいる、と思われるのは、なんといっても”卑怯な奴“ のガンマン、テュコを演じる、イーライ・ウォラックである。イーライ・ウォラック演じるテュコは、映画の始まりから冴えない役回りなのである、極悪の冴えない男のままで映画は進行するのかと思いきや、やがて、この冴えない男が、超、超、早撃ちのガンマンであることが分かり、眼光も鋭く、その顔もキリリと引き締まってきて、非情な極悪ぶりをたっぷりと見せてくれる。

 

おそらく、この極悪ぶりだけがこのテュコの性質であるならば、クリントイ・イーストウッド演じる、或る意味、テュコの相棒でもあるブロンディーガンマンは、テュコを見捨て、テュコから離れていくのが必然であろうと思われるのであるが、この極悪超早撃ちガンマンのテュコにはテュコのストーリーがあり、それを知るとブロンディーのみならず、観ている観客でさえ、この ”卑劣な奴 (The Ugly)“ テュコもあながち憎めない奴ではないか、と思わせられるのである。

 

また、この映画の時代設定は、アメリ南北戦争の最中であり、映画の中では、北軍、南軍の兵士たちが戦い、殺戮しあう戦場のシーンもあり、所かまわず死体がゴロゴロしている、なんていうシーンもでてくる。そして、こちらも情け容赦なく、敵を射殺していくガンマン、自らも常に死と隣り合わせの生活を送っているガンマンのブロンディに “こんな犬死はひどいな” というセリフを言わせる。彼らのような非情のガンマンですら、戦争を目の当たりにしては、その愚かしさ、残虐さを感じるのである。戦争の大義がどんなに立派なものであったとしても。

 

この “いい奴、悪い奴、卑怯な奴” の3人は、北軍の兵士が隠したという、20万ドルという大金を求めて目的の地へと向かっている、ラストは当然その20万ドルが隠された地での、3人の対決ということになる。そして、この対決において、そして、さらに、ラストのラストのあるシーンにおいても、この3人の ”いい奴、悪い奴、卑怯な奴“ の性質と言うか、特徴は、いかんなく発揮されて映画を盛り上げ、面白くする、笑わせてくれたりするのである。

 

クリント・イーストウッドまだ、現在のような大スター、大監督になる前の、本当に若きイーストウッド、画面から聞こえてくるイーストウッドの声さえも、最初は、何か耳になじまず、ピンとこない気がしていた。声が若いといったところか。そんな若き日のイーストウッドを見ることができるのもいい。なかなかいい、マカロニウエスタン映画、と思う次第。

 

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映画 Dear フランキー     ショーナ・オーバック監督  

Dear フランキー [DVD]

 

 

読唇術の世界チャンピョン、そんな読唇術の世界大会なんて実際にあるのかしら、不思議に思ってググってみたが、それらしき大会についてはヒットしなかった。ということは、これは劇中の母親が勝手に作った話であるのか? そうかもしれない、そうかもしれないのだが、この映画の主人公である、難聴という障害を持つ少年、フランキーは実に巧みに、ひとの唇の動きを読むのである。この読唇術に秀でたフランキーの能力は、ラストのフランキーの一言に説得力を与え、ここでまた、映画を観ているものを感動させる。

 

この物語は、主人公の少年フランキーとその母、とフランキーの祖母が、何やら慌てふためいて引っ越しのために車を走らせ、新しい家に到着し、その地で新しい生活を始めるところから始まる。母親はフランキーに一つの嘘をついてる、そしてその嘘がフランキーにばれてしまうことを、ひどく恐れている。なぜなら、母親の嘘はフランキーを幸せにしているのだから。そんな、嘘が、フランキーにばれてしまいそうになる、嘘の暴かれることを恐れた母親は、実に、奇想天外な方法でこの問題を解決しようとする。ここら辺が、この映画のポイントとである。このあたりのストーリー展開において、筆者は、有名なフランスの作家、モーパッサンの短編、「シモンのとおちゃん」を思い起こすのであるが、監督の手腕はストーリーをさらにひねりにひねり、この映画を “いい” 映画にしているのである。

 

フランキー少年はたくましい、新しく転入した学校では、難聴というハンディのために、からかわれたり、いじめられたりするのではないか、と監督は観ている者に思わせるのであるが、いじめっ子になりそうであった少年リッキーとは友達になり、リッキーはフランキーの机に、英語で ”難聴“ と書いて嫌がらせすると、その単語のスペリングミスを直してやるシーンなどは、ユーモラス。フランキーは地理が大得意、かたやリッキーは大の苦手、そんなところでリッキーはフランキーに頭があがらない。そこにもう一人、女の子の友人も加わる。そんな、フランキーの友人関係も、この映画にスパイスを利かす、いい感じ。

 

この映画はイギリス映画であり、イギリスの労働者階級の家庭を描いている。イギリスの労働者階級や貧しい人々に焦点を当てた社会問題を描くという点においては、ケン・ローチと言う優れた監督がいるのであるが、この映画「Dear フランキー」の、ショーナ・オーバック監督の腕も冴えに冴えており、社会問題を描いているのであるが、そんな社会に生きる障害を持つ子供に悲壮感などは全くなく、どこまでも、前向き、未来志向、スマートなのである。何しろ、読唇術世界チャンピョンなのだから。そして、そんな描写がケン・ローチ監督と一線を画しているように思える、もっとも、筆者もケン・ローチ監督の作品をすべて観ているわけではなので、異論はあるやもしれぬ。

 

フランキー少年が全編を通して、前向き、未来志向でいられたのは、やはり、母親の嘘のおかげであると感じる、母親が、その秘密を守り通すために、あれほどの奇想天外な方法を選んだのには、ひとえに、フランキー少年の心をつぶしたくないという一心であったと思われる。そして、ラストはそんなフランキー少年にも、母親にも、過酷な状況であったにもかかわらず、ハッピーな結末となるところに、この映画の魅力があると感じる。

 

映画がエンドとなった後にも、観客はフランキー少年と母親のその後を想像することができ、ストーリーは語られないのであるが、再び、ハッピーな気持ちにさせられるという効果もある。イギリスの一つの社会問題を描いた映画ではあり、重さも十分に感じられる映画ではあるのだが、先にも書いた理由により、ラストに暗さはない、前向き、未来志向のラスト、と言えるのではないか。

 

とてもいい映画、是非、たくさんの方に見てほしい!

映画 暗くなるまで待って  オードリー・ヘップバーン 主演/    テレンス・ヤング 監督

暗くなるまで待って [DVD]

 

“華やかで清純な妖精” 、「ローマの休日」であるとか、「麗しのサブリナ」、「パリの恋人」など、ヘップバーンの映画からうかがえる、ヘップバーンのイメー。また、一方で「ティファニーで朝食を」、前3作とは違った一面を見せるオードリーであるが、”妖精のような可憐さ“  は変わることなく、ヘップバーンが主演するどの映画を見ても、観る者は彼女の美しさにため息をつくのではなかろうか。そんな美しくファッショナブルなオードリーが今回演じるのは、盲目の主婦であり、その役どころには、”華やかさ“ も ”可憐さ“ も ”ファッション性“ もないのであるが、オードリー演じる盲目の主婦には、なんというか、凛とした清楚さが感じられ、盲目ながらも、世界チャンピョン級の盲人になろうと、また、彼女の夫も彼女を甘やかすことなく、彼女のために厳しい態度をとったりするのである。

 

夫が海外の空港で、見知らぬ女性から人形を預かってしまったために、この主婦は事件に巻き込まれることになる、彼女の家に、怪しい男たちがやってくる。が、目の不自由な主婦スージーは、彼らのヘタな芝居に騙される、だまされてしまうのであるが、彼女もなかなか手ごわいのである。暗闇の世界に生活している者だけに研ぎ澄まされる感覚と知恵によってスージーは、男たちの三文芝居の怪しさに気づいていく、気づいていきながら、犯人の裏をかいていく、そんなスージーの様を見ているのは気持ちがいい、目が不自由だからと言って、健常者が侮ることはできないのである。

 

監督は初期の頃の007シリーズを撮った、テレンス・ヤング監督であり、チャールズ・ブロンソン三船敏郎アラン・ドロンの3人のビッグスターを主役にした、「レッド・サン」なども手掛けている。007シリーズを撮った監督が、007シリーズにでてくるボンド・ガールとは180度違ったタイプの女性、オードリーを主人公に添えて、アクション全くなしの、静かなサスペンスを作った、と言いうところがこの映画のみどころと言えなくもない。

 

また、目の不自由な女性と言ってすぐに思い浮かぶのは、三重苦であったヘレン・ケラーであり、三重苦というハンディを背負いながらも、著作を出版し、世界各地を公演して回ったヘレン・ケラーのエネルギーと勇気を思うとき、この映画「暗くなるまで待って」のスージーヘレン・ケラーと同じ勇気を持って、勇気あればこそ、あの信じられないような難局を見事に乗り切って、ラストのシーンへとつながるのではなかろうか。

 

一方、この映画で面白いと思ったのは、怪しい男たちの中で、スージーの夫の友人を演じている男が、最後にはスージーの勇気と知恵に脱帽して、本来の彼らの目的を果たさずとも、スージーのもとを去ろうとするところであり、どうやら、もともと根っからの悪人でもなさそうなのであるが、彼のたどる運命はやはり、自分のとった行動の報を受ける、と考えられる。どんな運命であるかは映画を観てほしい。

 

また、同じアパートに住む少女、グロリアも忘れてはいけない存在で、時に情緒不安定でヒステリーを起こすのであるが、彼女もスージーを愛している。かように、スージーは夫にご近所さん、果ては、怪しい男たちの一人からも好感を持たれるのである。そんな人々の心を打つもの、それは、やはり、目の不自由なスージーの生きようとする真摯な姿勢にあるのではないかと思われる。

 

映画「暗くなるまで待って」では、スージーは暗闇を作ろうと必死になり、怪しい男たちは、明かりを求めて必死となる、その両者の必死さが、映画のクライマックスでぶつかり合い、見ている観客をドキドキさせる‥‥ということで、この映画、本来は、部屋を真っ暗にしてみるならば、そのサスペンスも十分堪能できるのではないか、と思うのでした。

 

 

 

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映画 Mr. & Mrs. スミス    ブラッド・ピット   アンジェリーナ・ジョリー    主演 

Mr.&Mrs.スミス プレミアム・エディション [DVD]

 

英語のSmith (スミス)と言う姓は、日本語で言うと、鈴木さんであるとか、佐藤さんなどの姓と同じであり、鈴木さんや佐藤さんと同じく、実にたくさんのSmith を姓に持つ人々がいる。鈴木さんや佐藤さんと言う姓は、日本人にとっては、なじみのすぐそこにいるお隣さん、という感じを醸し出す姓である。そして、全く同じことが英語の姓Smith(スミス)さんにも言えるのではないか、そして、そこからこの映画は始まる。

 

この映画のタイトル、「Mr. & Mrs. スミス」を日本語にしてみると ”スミスさんの旦那さんと奥さん“ とでもなろうか。アメリカ人がこの映画のタイトル「Mr. & Mrs. スミス」ときいた時にひらめくイメージというのは、まさに、日本人が ”鈴木さんの旦那さんと奥さん“ というセリフを聞いたときにひらめくイメージとそう変わりはないであろうと、こちらも推察される。

 

が、しかし、その 、いつもご挨拶するご近所の ”スミスさんの旦那さんと奥さん“ が、ブラッド・ピットアンジェリーナ・ジョリーである、という事実を見せつけられるとき、ああ、この、”スミスさんの旦那さんと奥さん“ は一筋縄ではいかない、どうやら、この夫婦は一癖も二癖もある旦那と奥さん に違いないのでは、となにかザワザワ胸騒ぎがおこり、映画を観る前から、”とんでもない” スミスさんの旦那さんと奥さん” が見られるのではないかという期待感へとつながる。

 

実際、映画を観ればわかってもらえるのだが、この ”スミス夫妻“ は、とんでもない旦那と奥さんであることが、映画のほぼ最初の頃にわかってくる。わかってしまえば、その後の展開は、もう、アクションに次ぐアクション、駆け引き、だましあい、さまざまな戦闘テクニック、など織り交ぜて、一気にラストへと突っ走る、ブラッド・ピットアンジェリーナ・ジョリーも、不死身とも思える戦闘テクニックと戦いを映画全編を通して、又、最後のクライマックスでも見せるのである。

 

夫婦で同じ仕事をしているカップルは星の数ほどいるのであるが、ミステリーファンの筆者としては、どうしても、思い出してしまうのは、ミステリーの女王、アガサ・クリスティが生み出したトミーとタッペンスという、おしどり探偵の物語である。彼らの場合は “Mr.& Mrs. ベレスフォード(Beresford)“ 。この二人の物語では銃撃戦等のアクションはなく、クリスティのミステリーらしく、ウィット、機知にとんだ事件展開となり、筆者のお気に入りのシリーズである。”Mr. & Mrs. スミス“ でアクションてんこ盛りの世界にひたった後には、こちらの “Mr. & Mrs.ベレスフォード” で、ミステリーの世界に足を踏み入れてみるのも悪くないのでは、と感じる。

 

映画のほうでは、”スミスさんの旦那さんと奥さん” の冒険は終息し、結婚5年を迎え、倦怠期に入りつつあった旦那さんと奥さんは、見事、夫婦の危機を乗り越え、再び平和な日常をとりもどす。実生活においては、この映画で主役を演じた二人の俳優は、この映画をきっかけにウェディングベルを鳴らし、平和で幸せな生活を送る。もっとも、何年かの後には、泥沼の離婚劇を演じることになるのだが。

 

アクションに次ぐアクションの映画、アクション疲れした後は、”スミス夫妻” の末永い幸せを祈って、映画は幕となります。

 

映画  ブルース・ブラザース    ジョン・ベル―シ   ダン・エクロイド  主演

ブルース・ブラザース (字幕版)

 

黒ずくめのスーツに黒のサングラス、このスタイルは10年以上の時を経て、映画「メン・イン・ブラック」に引き継がれているのであるが、映画「メン・イン・ブラック」は、宇宙人が実は、すでに、地球で地球人と共存している、という設定に基づいたSF映画であり、このジョン・ベル―シとダン・エクロイドの二人を主演とした、コメディ映画「ブルース・ブラザース」とはまったくジャンルは異なり、元祖黒ずくめのスーツにサングラスの二人組は、コメディアンの本領を発揮して、この映画で、実にばかばかしくも、おかしくて、奇想天外な物語を観る者に見せてくれるのである。

  

映画「ブルース・ブラザース」の黒ずくめ二人組は、タイトルからも推察できる通り、兄弟、ブラザース、であり、ジョン・ベル―シ演じる、兄、ジェイクが刑務所から出所する、ダン・エクロイド演じる、弟、エルウッドがその兄を迎えに来る、というところから物語は始まる。主役のジョン・ベル―シとダン・エクロイドは一流のコメディアンであるので、笑いのツボはしっかり押さえており、弟、エルウッドに車を運転させたが最後、或る些細なきっかけから、二人の車による逃避行が始まり、この逃避行がこの映画の一つ目のツボとなる。

 

また、ジェイクには彼女がいたようで、結婚の約束をし、実際に結婚式を挙げるところまで行くのであるが、その肝心の結婚式に、ジェイクが現れなかったかという理由により、恨みは骨髄に達し、その復讐をせんとするストーリーも展開される。この流れも、やはり、この映画のツボの一つであり、映画の後半にあって、ジェイクの女たらしぶりが描かれることになって、笑えるのである、ここは、劇中、ただ一度だけ、ジェイクがサングラスを取るシーンなのである、もしかしたら、貴重なワンシーンでもあるか。

 

さらに、この主演のジョン・ベルーシとダン・エクロイドはコメディアンであると同時に、ミュージシャンでもあり、R&B/ブルースの音楽バンドのメンバーでもある、実際、映画の中では、彼らの音楽的才能もいかんなく発揮される。ある理由のために、彼らは、音楽バントの再結成に立ち上がり、見事バンドは再結成されて、映画の中では、このバンドのキレる演奏を楽しむことができる、加えて、この主役二人は、うたって踊り、その歌も、踊りも、なかなかのもので、見ていて目を見張る、聴いていて、耳をそばだてる、思わず、拍手して、ブラボーと叫びたくなると言ったら、大袈裟だろうか。

 

そして、又、さらに言うならば、あるシーンにおいては、まるでミュージカル映画のごとく、出演者たちが歌って踊り始める、これらのシーンもなかなかのもので、バンドのキレッキレの演奏同様、キレッキレの歌とダンスを披露してくれて、こちらも、拍手して、ブラボーと叫びたくなるようなシーンなのである。

 

そんな、いくつものツボ、そう、笑いのツボ、称賛のツボを映画のあちらこちらにちりばめて、ジェイクとエルウッドは映画のラスト、クライマックスへとひた走る…‥そんな、クライマックスとラストは、映画を観て楽しんでほしい。定石と言えば、或る意味、定石すぎるラストへと向かうの展開なのであるが、そのスケールは大きくて、あっぱれ、と言うか、やっぱり、やるなあ、という感じ。

 

ただ、一つ、この映画を観終わって筆者が残念だったことは、劇中で再結成されたバンドのメンバーと客演ミュージシャンの顔ぶれが実に豪華なことでもこの映画は話題となったということであるが、筆者が知っていた豪華な顔触れというのは、レイ・チャールズ一人であった、ということ、まあ、レイ・チャールズだけでも、大物ミュージシャン出演している、と思ったりしたのですが‥‥知っている人が観れば、きっと、もっと楽しめたであろうと感じる。

 

こんなふうに、この映画の ”ツボ“ は、結構、数限りなくあるわけで、筆者のように、R&B/ブルースに詳しくなくても、どこかのツボでヒットできることは間違いないと思う映画。ぜひ一度、観て、”驚いて“ 笑ってほしいと思う次第。

映画 「ホビット 思いがけない冒険」   マーティン・フリーマン 主演   :悪くないけれど残念な映画

ホビット 思いがけない冒険 (字幕版)

 

スペース・ファンタジー、映画「スター・ウォーズ」のシリーズが全9作続き、宇宙を舞台に善と悪が衝突する物語がファンを熱狂させたこと、また、シリーズが完結してもなお、ファンを熱狂させ続けていることは、改めて言うまでもなく、世の映画ファンの承知していることであり、同様に、このイギリスの作家、トールキンの生み出した、ファンタジーの世界もまた、映画「スター・ウォーズシリーズ」と同様に、魅力的に、映画ファンを引き付ける、と言ってもいいのではなかろうか。

 

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、前三部作の「ロード・オブ・ザ・リング」の前日譚というもので、映画「ホビット 思いがけない冒険」には、当然のことながら、映画「ロード・オブ・ザ・リング」でおなじみのキャラクターの顔を見ることができる。映画は、失われたドワーフたちの王国を再び取り戻すために、ドワーフとその仲間たちが、王国目指して旅していくのであるが、そう簡単に目的地にたどり着くことができるわけはなく、様々な苦難に出会う物語である。ドワーフというのは、いわゆる ”小人“ であり、ファンタジーの劇中では通常より身長の低い種族、ということになっている。BBCのTVドラマ「シャーロック」の、ジョン・ワトソン役でおなじみの、マーティン・フリーマンが主役を務め、マーティン・フリーマンホビット族の青年、ビルボ・バギンズ役で、ドワーフたちと行動を共にする。ホビット、という種族も、小柄であり、どうやら、ドワーフと同じくらいの身長、ことによったら、もっと小柄の種族、ともいえる。そこに、前作からのお馴染みの魔法使い、ガンダルフが加わり、総勢、13人のドワーフホビット一人、魔法使い一人、15人の旅の行方だ。

 

彼らの旅の行方は一難去って、また一難、トロルやらオークやらゴブリンといった、巨人であったり、獰猛かつ残虐な種族であったりで、彼らの行く手を阻む者は後を絶たず、その宿敵たちとの追いかけっこがこの映画の見どころともなる、見どころともなるのだが、前三部作「ロード・オブ・ザ・リング」から、数えて4作目ともなると、やはり追いかけっこにも多少新鮮味が欠けてしまうところは、否めず、それでも、スピード感をだして、特撮も駆使して、なかなか見せてくれるのではある、が、気持ち、退屈感を感じてしまったりもするのである。

 

また、ラスト近く、谷底に落ちそうな木の枝にしがみついている魔法使いのガンダルフが、同じく木の梢にとまっている蝶に気づいて、蝶を指先にうつし、ささやくようにして空へ返すシーンを見た筆者は、ドワーフたちがこの絶体絶命のピンチから救われるためには、巨大な蝶であるとか、空飛ぶ魔法の絨毯であるとか、空飛ぶ物体がでてくるしかないのだろう、と思った。おそらく、映画を観ている観客も、ここに至って、筆者と同じことを、思うのかもしれない、すると、案の定な展開となり、今にも崖っぷちから奈落の底へ落下しそうな木にしがみついている、ドワーフたちを救出してくれる、ここら辺は、意外性に欠ける、先が読めてしまう、という点において、監督はもう少し工夫して、頑張ってもよさそうなものではなかったか、と思ったりもする。

 

  さらに、思うに、ガンダルフは魔法使いなのだから、もっと魔法を気前よく使って仲間の窮地を救えなかったのか、であるとか、ホビットのビルボと前三部作にも登場するゴラムという不気味な生物との、なぞなぞ合戦は一体何だったのか、であるとか、何かのギャグのつもりで挿入されたシーンか、と筆者は首をかしげたところである。

 

  こんなふうに、いろいろ思ったり気づいたところはあったのであるが、総合してみると、筆者はこの映画を気に入っており、ゴブリンたちの人海戦術のごとき圧倒的な数でドワーフたちを追い回すシーンは悪くはなく、妖精種族と思われるエルフや彼らの住む谷のシーン、森に住む魔法使いが描かれるシーンなども好きであり、岩石人間が岩を投げ合いながら喧嘩しているシーンも面白かったりして、なかなか悪くもないのである。

 

  同じファンタジーと言っても、映画「ホビット」と映画「スター・ウォーズ・シリーズ」のスペース・ファンタジーとはやはり、当然ながら違っていて、後者では、宇宙船がでてきて、宇宙船チェイスができるぶん、超スピード感のある映像を見ることができ、よりテンポの良いストーリー展開をみることができる、その点において、後者は有利(?)な立場にあるといえなくもない。

 

  が、この映画「ホビット 思いがけない冒険」も、前三部作の「ロード・オブ・ザ・リング」も、トールキンが創造した、不思議で、やはり、ワクワクするような世界を活字から離れて、映像として見せてくれるという点において、素晴らしく、筆者はこの後も、まだ未見である続編の第2部「竜に奪われた王国」も第3部「決戦のゆくえ」も、見るつもりでいるのである。

 

  見るつもりであるのだが、先にも書いたように、いろいろ注文つけたくなってしまうということで、今回は、悪くはないけれど残念な映画、としようと思う‥‥としようと思うのであるが、このトールキンの世界、まだ未見の方は、一度体験してみることをお勧めしたい。「ホビット」も「ロード・オブ・ザ・リング」も、本来イギリスの児童文学であるが、イギリスの児童文学というのは、簡単に子供向け、と決めつけてはいけない、なかなか侮れないものなのである。