Kororon 映画について語るBlog

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映画  チェンジリング  クリント・イーストウッド監督

チェンジリング (字幕版)

 

この映画のタイトルは「チェンジリング」(changeling: 取り替え子)といって、“こっそり他人の赤ん坊に取り替えられた子供”、であるとか、“さらった子の代わりに妖精たちが残す醜い子” という意味を持つ、実際に起こった事件を題材にして作られた映画で、なかなか重く、考えさせられる映画である、そして、クリント・イーストウッド監督の手際の鮮やかさに、またしても感服する、そんな映画であると思う。

 

タイトルが、「チェンジリング」というのであるから、映画の中で子供の取り違えが起こる、生まれたばかりの赤ん坊ではなくて、少年なのだが、故意に、或る意図をもって行われる、このストーリーの流れがまず映画の冒頭にある。映画の中の第二のストーリーは、取り換えられた子供を、自分の子供ではない、と主張する母親がたどる運命にある、なかなかシビアで、ひどい運命である、まっとうな主張であるはずなのに、そんな主張をされたら都合の悪い人間たちがいて、母親の主張を亡きものにしようと画策する、この展開は恐ろしい、実際にあった話がもとになっていることを考えると、なおさらに背筋がぞっとする、怖い展開。

 

最後のストーリーは、’取り違えられて‘ いなくなってしまった少年の運命についてのストーリーである、実際は取り違えられた、なんてものではないのだが、とにかく、いなくなってしまった少年のストーリーはまた、映画全体の中では小さなエピソードなのだが、心を揺さぶる、少年の運命が少しずつ明かされていく過程は、ドキドキするし、小さなクライマックスともいえる。この三つのストーリの流れの糸が、職人の見事な技によって紡がれていくように、職人イーストウッド監督が、映画の中に織り込み、映画を観終わった後に、重い感動を与えてくれる。

 

いなくなってしまった少年のストーリーは、これも事実に基づいているのだろうが、監督の脚色によって、ドラマチックに物語となる、が、映画のかなりの部分を占める、真実なのに受け入れられない主張をし続ける母親の理不尽な運命の告発こそが、この映画の主題、監督が一番描きたかったこと、と考える。

 

イースドウッド監督のこの母親の悲惨な運命の描写は、細に入り密に入り、克明に力が入っていて、見ているほうは、この映画が取り違えられた子供の物語であることを忘れて、映画の主役が子供を失った母親、母親の物語にすり替わり、母親のドラマになっていることに、気づいてか、気づかずか、とにかく、彼女の物語を夢中で見ることになる。

 

筆者はここで、職人イーストウッド監督のマジックに目を見張る、又は、遊び心、とでも言ったらいいか、「チェンジリング」というタイトルをつけておいてこの映画は、子供の取り違えをメインとした取り違えられた子供の映画だと観客に思わせる、まあ、この点は映画の予告編や宣伝にも責任がある、当時の映画の予告編や宣伝を見る限りでは、だれでもそう思う、ほぼメインに描かれる母親のドラマのことなんかチラとも触れられていなかった。

 

見ている側からすると、子どもの話がいつの間にか母親の話に ”取り違えられる“ ”すり替わる“ 、子供の取り違えとストーリーの取り違えと、二重の取り違えが行われる、可愛い子供の話から、確かに ”醜い“ 大人たちの話に代わる、妖精によってではなくてこの場合はイーストウッド監督によって‥‥深読みのし過ぎ、単に、宣伝の仕方のせいだよ…と、そうかもしれない、が、筆者はここに、イーストウッド監督の職人技を感じてしまう、重い余韻の残る映画、さて、あなたはどう感じるであろうか?

 

 

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