Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

運び屋   クリント・イーストウッド 主演/  監督

運び屋(字幕版)

 

優しい映画だ、もちろん、映画のタイトルは「運び屋」といって、法律に触れるやばいものを運ぶ人間のストーリーなのであるが、クリント・イーストウッド監督には珍しく、監督自身が演じる主人公も、ストーリーの展開も、ラストも、優しさに包まれた映画だった、といのが、この映画を観終わった後の率直な感想であった。

 

まず、映画の始まりから優しさが漂う、イーストウッド演じる主人公の老人は、百合の花を育てることを仕事かつ、趣味としている、主人公が育てる特別な百合なのだ、品評会のようなところで、彼の育てた百合が賞をとる、実にうれしそうな主人公、自分のユリ農場も所有している、百合育てに打ち込んでいる、人生をかけている‥‥そして、百合育てに打ち込みすぎた結果、家族とのコミュニケーションがおろそかになり、娘の結婚式もスルーしてしまい、家族との亀裂は決定的となる。

 

優しく始まる映画なのだが、主人公と家族の関係は、これまでのクリント・イーストウッド監督の映画ではおなじみの家族関係となる。家族関係にどこか問題があってぎくしゃくしている、父親は頑固者の気がある‥・というのが、イーストウッド監督が自身の映画で必ずといっていいほど描く家族であり、家庭であり、主人公である。

イーストウッド監督は、本当に幸せそうな家庭を映画くことはできないのかしら、と思ったりするのだが、現実に厳しいイーストウド監督にとって、何も問題のないような幸せに満ちた家庭、家族なんてこの世にはなく、世にある家族はどんなに幸せそうであっても、一つくらいは、必ず問題抱えているんだよ、という哲学(?)のあらわれか。または、監督のすべての映画につらぬかれる冷徹さのあらわれなのか、といった方がよいのかもしれない。

 

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主人公が ”凄腕“ の運び屋になってゆく過程とその結末、家族との関係がこの映画の三本の軸、凄腕の運び屋になっていく過程は秀逸、とても面白い、主人公本人が知ってか知らずか、意識しているのかいないのか、といったところが絶妙、やばいものを運んでいるにもかかわらず、何故か、ほのぼの感あり、そのほのぼの感の中に緊張感をさしはさむことも忘れない、うまい。

 

やばい物を運ぶ、運び屋なのだが、この運び屋に対する監督の厳しさは感じられない、イーストウッド監督丸くなった感じ、映画の中の主人公は90歳の老人、イースドウッド監督も現在90歳、映画は2018年公開なので、この年監督は88歳、90歳をまじかにして初めて優しさに ‘あふれた’ 映画を作った監督は、やっぱり年を重ねたせいなのかしら、自分と近い年齢の90歳にして運び屋となった映画の主人公に、自信を重ねたのだろうか、この映画は実際の存在した90歳の運び屋の話にヒントを得たという。

 

しかし、当時88歳にしていまだエネルギー衰えず、映画製作に意欲的なクリント・イーストウッド監督は改めて、スゴイと思う、さらに、その年齢にして、”いい映画“ を撮り続けていることには、脱帽せざるを得ないではないか。運び屋の90歳は自分も承知で法に触れることをしていたのであるから、法の制裁はまぬかれない、が、まぬかれないのであるが、ラストは優しさに満ち溢れている、こんな優しい映像を撮れるんだ、クリントイーストウッド監督は、と、筆者は少なからず驚いたりもした、やっぱり、監督心境の変化をきたしたのだろうな、と感じずにはいられない。

 

そんなラストシーンを見るだけでも、この映画は観る価値あると思う、是非、映画を観て、あのダーディー・ハリーがこんなに丸くなっちゃたの? と、自分の目で確かめてほしい。  ラストは実に美しいよ!

 

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