Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

映画    風と共に去りぬ   :悪くないけれど残念な映画

風と共に去りぬ (字幕版)

 

映画「風と共に去りぬ」は、不朽の名作と言われてきた映画である、が、最近この映画が問題視されてきて、一部で配信停止、という憂き目を見ている、長年にわたって “不朽” の名作と言われてきた映画の何が問題となったのか、それは映画の中での黒人の描かれ方に問題があった。南北戦争を軸とした物語である、当然、アメリカ国内社会では奴隷制度が大手を振っていた時代だ、「風と共に去りぬ」の中でも、奴隷としての黒人が登場し、奴隷としての演技をする、そんな黒人の描かれ方が問題視される、人種差別的であると、又、奴隷制度を当然としていた当時の南部の社会の描かれ方にも問題ありと指摘された、美化していると。これらは、黒人の脚本家。ジョン・リドリー氏からの批判だった。

 

思うに、映画だけに限らず、小説、絵画、音楽、その他あらゆることで、そこで描かれていたり、話題になっている当の本人たちが、黒人に限らず、これは人種差別的である、と、反論した場合には、やはり、そこには問題がある、と考えなければならない。「風と共に去りぬ」も、黒人の立場から、そこに描かれている黒人の描写に反論が出た、”不朽“ の名作もちょっと立ち止まって、見直され、人々は気づき、問題だろう、ということになって配信停止、ということにもなる。

 

同じようなことは、「ちびくろサンボ」の物語にもあった、筆者も子供の時にこの物語を読んだことがある、「ちびくろサンボ」の物語は、せっかくそろえた新調の洋服や靴や傘を次々とトラに奪われていくサンボが気の毒で、トラが最後に木の周りをぐるぐる回ってバターになって、サンボたちがそのバターでパンケーキを作って食べて終わった結末は、めでたしめでたし、の童話だとばかり思っていた、子供の時も、そして大人になってからも。

 

が、この「ちびくろサンボ」にも、童話に描かれている黒人の側から、サンボの描かれかたが、黒人を馬鹿にしたような差別的な描かれ方であるとのオブジェクションがあった、この場合も、描かれている当事者から、そんなオブジェクションがあった、なので、どこがどう問題なのかが、考えられた、それまで、気づかなかったり、感じなかったりしても。

 

映画「風と共に去りぬ」も、問題だらけの映画になってしまったのだが、最後に、批判を受けている劇中の黒人の描き方や、奴隷制度やその社会については全く切り離して、切り離してはいかん! と、怒られるかもしれないが、ヴィヴィアン・リー演じる、とても強い、とても我儘、あきらめを知らない、スカーレット・オハラクラーク・ゲーブル演じるレッド・バトラーについて語ろうと思う。

 

スカーレット・オハラはとにかく強いのだが、なぜ、いつまでもアーシュレーなどに、未練を残しているのかわからなかった、アーシュレーのどこがいいのか、言っては何だけど、どう見てもアーシュレーよりもレッド・バトラーのほうが魅力的に見える、実際そのように描かれている、主役だしね、逆に、レッド・バトラーは実に忍耐強い、辛抱強いと感じざるを得ない、ラスト、はスカーレットの自業自得、っていう気もしないこともないが、子供の悲劇があったことは、気の毒だった。

 

ラストに、有名なセリフ “Tomorrow is another day.”って言ったって、ドラマチックな感動的音楽が流れったって、ターラの大地があったって、もう無理なんじゃない、とか、遅すぎるよ、とか、思ってしまい、ここまでのスカーレットとバトラーの関係は面白かったけれども、ラストシーンで感動、とはいかなかった、筆者は、残念だ。

 

レッド・バトラーのクラーク・ゲーブルはいい、クラーク・ゲーブルの映画は他に「或る夜の出来事」しか見たことがないが、やはり、「風と共に去りぬ」のレッド・バトラー役が一番いいのではないかと思う、他に一作しか見ていないのにわかるのか、と言われるかもしれないが、レッド・バトラーは実にはまり役で、この役を超えるのはそう簡単ではなさそうに思う。主役二人の演技はじつによかった。

 

或る夜の出来事 (字幕版)

 

この映画、不朽の名作という座から滑り落ちてしまい、一部では配信停止になってしまったが、依然としてまだ配信は続いていて、映画を観ることはできる。大切なのは、無批判に見ることではなく、問題点は問題点として理解してみることが大切か。そんな、「風と共に去りぬ」、主役二人の演技に免じて(?)悪くはないのだが、問題だらけ、というわけで、 ”悪くないけれど残念な映画“、 ’実に‘ 残念な映画(!?) としようと思う。