Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

我が道を往く  Going My Way    ビング・クロスビー 主演

我が道を往く(字幕版)

 

ビング・クロスビー主演の映画、ビング・クロスビーというとすぐに頭に浮かぶのは、あまりにも有名なクリスマスソング、彼自身が甘く素敵な声で歌う「ホワイト・クリスマス」、「ホワイト・クリスマス」という映画もあるようで、主演は当然ながら、ビング・クロスビー、もう一人の主役にダニー・ケイを迎えて、映画の中では名曲「ホワイト・クリスマス」も流れるらしい、が、残念ながこの映画は観たことがない、クリスマスソングのほうの「ホワイト・クリスマス」は大好きで、歌詞も暗記しているほどなんだけれど。

 

今回の映画はそのビング・クロスビーが神父様の役を演じ、年老いた神父様のいまにもつぶれそうな教会に赴任してきて、そこで老神父様と衝突しながらも、様々な改革を行っていく、なんていう話、ビング・クロスビー演じるオマリー神父は若くて行動力の人である、ちょっとホノボノとした雰囲気が映画全編に漂い、いい映画、好きな映画の一つである。

 

この映画で最も印象に残っていて、いつまでもいつまでも覚えているのは、クリスマス・イブのシーン、中でも、オマリー神父からフィッツギボン老神父へ送られるクリスマスプレゼント、それが何かは毎度のことながら映画を観てほしいが、ここはクライマックスだ、といいたい。オマリー神父は本当に神父の鏡で、心優しい、天使のような神父様なのである、ビング・クロスビーはこの天使のような神父様を見事に演じきってアカデミー賞主演男優賞を受賞している、さすがだ。

 

そして、この映画もまたラストがいい、しみじみと心にしみるラストシーンだ、そして、ここでは先に紹介した「野のユリ」と同じパターンの終わり方であることに注目したい。そう、全くの同じラスト、アメリカ人はこのような行動に称賛と尊敬の念を特に強く抱くのか、が、アメリカ人でなくとも、称賛の気持ちは世界万国共通したものかな、筆者などは確かに称賛と尊敬の念も禁じ得ないが、何故か、一抹の寂しさを感じる、「野のユリ」やこの映画のようなラストシーンには‥‥、もっと違ったやり方でハッピーエンドになったっていいんじゃないか、と。

 

この映画ではオマリー神父が教会や、フィッツギボン老神父や、教区に暮らす住民らに様々なかかわりを持ち、様々な手助けを行っていく、先にも書いたが、こんないい人はいないよ、と映画を観ていてきっと思う、Give&Take(ギブ・アンド・テイク)という言葉がある、Win-Winの関係とかいう言葉もある、オマリー神父はGiveばっかりなのである、Winなのはオマリー神父以外の人々だけなのである、先にはオマリー神父のことを”天使のような神父様”と書いた、けれど、’神様‘と言った方が当たっているか、’神様‘のごとき生き方を人間がするのだから感動的なのかもしれない、そして、オマリー神父は“Going My Way”(我が道を往く)となり、オマリー神父はそれが幸せなのである。

 

そんな、オマリー神父だからアメリカ人を感動させ、この映画はアカデミー賞7部門、ゴールデングローブ賞3部門など、の数多くの賞に輝いたに違いない。そして、これは「野のユリ」のホーマー青年にも共通する感動なのだろう。

 

この映画は戦時中に作られたにもかかわらず、戦争のことには全く触れずにいた映画であるという、反対に、監督は戦争とは無縁の平和な心優しい世界を描いた。英語には ’ボランティア‘ という言葉があり、オマリー神父のしていることや生き方はまさに’ボランティア‘、本来の’ボランティア‘精神にのっとった生き方であると言える、そして、’ボランティア’という語にはもう一つ別の意味がある。軍隊に自ら進んで志願する’志願兵’という意味だ、特に、戦時中に志願する。

 

これは偶然か、それとも監督によって意図されたことか、アメリカ人はこの一致に当然ながら気づいていたのか、と、思いめぐらしてしまう、この映画は、静かなる反戦映画かもしれない。いずれにしても、この映画はいい映画だ、とことん優しい映画だ、古い映画で地味な映画であるが、アカデミー賞7部門もとっているんだよ、余韻もいい、ぜひ観てほしい!!!

 

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