Kororon 映画について語るBlog

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映画 バベル   ブラッド・ピット 主演

 

バベル (字幕版)

 

英語を勉強するのは大変だ、英語だけにとどまらず外国語を勉強するのは。なぜ、世界はこうも違った言葉を話す国や民族であふれているのか、何で、世界中の人が日本語を話していてくれないのか、世界の人が皆同じ言葉を話していれば、どれほどコミュニケーションをとりやすくて、もしかしたら、もっと力を合わせることができて、今、おこっている世界の争いごとだって、もっとずっと少なくて済んだのかもしれないのに‥‥と思ったことはないですか?

 

昔、昔、はそうだった、聖書の時代には地球上の人間が皆同じ一つの言葉を話していた時があった、でも、神の住む天まで届く塔を作って、自分たち人間の力を示そうとした人間の傲慢さを怒った神は、塔を壊して、人間が異なる言葉をしゃべるようにして、ちりじりばらばら、あちらこちらにとばしてしまった、おかげで現在のようないろいろな言葉を話す民族ができた‥‥簡単に意思疎通ができないように、これが神様が人間に与えた罰?

 

というようなことを、”バベル“ と聞いたとき、欧米人やキリスト教徒の人たちは、当然のように思い浮かべる、これは旧約聖書に記されているバベルの塔の話で、映画「バベル」を見る前に、又、観ているときに、欧米の人たちは、こんなことを思い浮かべながら見ている。なので、欧米ほどキリスト教信者の多くない日本で、”バベル“ってなに?と思いながら、映画を観ても、それはそれでこの映画を観るのに何の支障もないのだが、上記のことを知ったうえで映画「バベル」をみると、又、一層深い楽しみ方もできるのではないだろうか。

 

映画「バベル」では、モロッコアメリカ、メキシコ、日本が舞台となり、それぞれ関係のないエピソードが語られているかに見えるのだが、監督は巧みに、このそれぞれ違った場所で起きている物語を一本の糸で紡いでゆく。モロッコのシーンでは文字通りアラビア語と英語が衝突して、人々の意思疎通の障害となる、ブラッド・ピット演じるアメリカ人観光客は観光途中で奥さんが大けがをしてしまう、命の危険も感じられる、まあ、これがこの映画のオープニングなのだが、モロッコのシーンではブラッド・ピット演じるアメリカ人夫のイライラ感、が、ひしひしと伝わってくる、実際、外国旅行していて、怪我したり、病気になったりしたときの、心細さはないと思う、言葉が通じないだけあって、パニックにもなる。

 

日本では日本語なので、言葉による壁ではなくて、監督はここで言葉を話すことのできない少女を登場させた、菊池凛子演じる少女はストレートに自分の思いを伝えることのできない、そんな彼女のイライラ感、というか、或る意味、怒り、が描かれる。役所広司演じる父親にすら、意思伝達というか、”思い“ 伝達は困難になる。ブラッド・ピットや日本の少女のエピソードだけではない、この映画では、一つ一つのエピソード、それぞれのシーンが ”バベル“ なのである、言葉だけではない、立場、人種、上下関係、などが異なっていると、”心と心“ も通じ合わなくなってくる、これも神様の罰なのか? 

 

ラスト、これら ”神様の与えた罰“ を乗り越えていく結末もある、このあたりは人間の力強さという、監督は試練を乗り越える人間をも描く、ただ、罪を犯してしまったモロッコ人の一家には悲劇だけが残るのだが。

 

日本はキリスト教の信者はいるけれど、キリスト教がメインの宗教というわけではない。けれど、聖書を軸にして ”試練を乗り越える人間“ を描いたこの映画は、日本人にも深く共感される映画ではないかと思う、キリスト教の国ではないといったって、監督は、日本を舞台の一つに選んでいるのだから…ね。

 

 

 

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