Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

映画  真珠の耳飾りの少女        スカーレット・ヨハンソン  主演  

 

真珠の耳飾りの少女 (字幕版)

 

 

 

17世紀のオランダにフェルメールという画家がいた、代表作 ”真珠の耳飾りの少女“ という絵画があり、光と影を巧みに自身の作品に取り入れたことで有名であり、鮮やかなブルーのターバンを頭に巻き、左の肩越しに振り返り、こちらを見ている、その左の耳元で大粒の真珠が光る‥‥そんな絵画である。17世紀はオランダにとっては黄金時代と言われている平和の時代であり、日本では江戸時代の初め頃、ポルトガルやオランダから宣教師や商人が日本を訪れていた時代でもあり、日本が江戸の鎖国時代に唯一、貿易をしていた国でもある。映画「真珠の耳飾りの少女」は、そんな時代に、オランダ人画家フェルメールが ”真珠の耳飾りの少女“ の絵を描きあげるまでのストーリを綴った映画である。

 

この映画は絵画に興味があり、フェルメールを知っていて、又、フェルメールのファンであるならば楽しめるだろうが、絵画に興味のないものには、ちょっととっつきにくい映画なんじゃないのか、と思うのであったら、それは間違いであり、絵画に特別興味のない方であっても、この映画は十分楽しめる映画であり、絵画に興味がないからと言ってこの映画を観ないのは、筆者がインド映画に興味がなかったから、映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」を20年以上も観ずにいた、というのとまったく同じ間違いであり、せっかくの良質で面白い映画を知らずにいて、もったいないことをしている、と言いたい。

 

真珠の耳飾りの少女“ の絵は、フランスのルーブル美術館に収まっている、レオナルド・ダ・ヴィンチの、かの有名な”モナ・リザ“ の絵との引き合いに出され、”北のモナ・リザ“ ”オランダのモナ・リザ“ と言われる、少女がわずかに微笑んでいることが理由らしい。この絵画のモデルになった少女は誰なのだ、ということは今でも謎であり、フェルメールの娘か、妻か、恋人か、それとも彼が創作した空想上の少女なのか、といろいろ諸説があるようだ、映画ではフェルメールの屋敷に雇われている小間使いの少女がモデル、という設定だ、彼女はフェルメールの恋人、とまではいかないが、お互いに絵画を理解しあう同志、みたいな好意を感じあっている。

 

フェルメールは絵画の鬼、彼は小間使いの少女の中に、絵画のモデルたりうるひらめきを見た瞬間から、少女とアトリエにこもり、ひたすら絵の完成を目指す、奥さんの真珠の耳飾りを少女につけさせたのも、フェルメールの絵画に対する、或る意味狂気じみた熱中と創作意欲からであろう、と考える。そんな二人にフェルメールの奥さんは嫉妬して、ついには狂乱状態になる‥‥。

 

 

#10 オランダ・ベルギー・ルクセンブルク ベネルクス3国縦断の旅

 

オランダといえば、色とりどりのチューリップの花だの、風車だの、海面より低い国土だの、一部薬物が解禁されている国だの…すぐにイメージされるところか、国土の広さは大体、日本の九州くらいだ、映画「真珠の耳飾りの少女」では、そんなオランダの17世紀の街の様子や、庶民、貴族の暮らしぶりを垣間見ることができる。主人公で、絵のモデル、グリードは、肉屋の倅と恋に落ちるのだが、その肉屋の描写、なかなか、豚の切り落とされた頭がやまずみになっているところであるとか、割と血まみれになりながら、客に肉を切り分けてやるところとか、市場で、動物がつるされているシーンとか、切り落とされた豚の頭というと、沖縄の豚の頭の燻製がすぐに思い浮かぶが、そんな可愛いものではない、生の血まみれの豚の頭がやまずみ……。

 

家計を握っている義理の母もいい、フェルメールの絵を完成させるために真珠の耳飾りを調達したのも義理の母だった、パトロンも見つけてくるし、婿の才能をセールスすることには抜かりがない、フェルメールの生涯のパトロンとなるライフェンもラスト、完成された “真珠の耳飾りの少女” の絵を見て、動けずにいる、その理由は、絵のすばらしさに感動して釘付けになったとか、フェルメールの天才に驚愕したためであるとか想像できる、何しろその後、生涯のパトロンですから。

 

フェルメールとモデルで小間使いのグリードの関係はどうなるのか? それは映画を観てほしい、が、フェルメールには実際15人もの子供がいた、という事実を考える時、フェルメールというのは、やはり、愛妻家で、奥さんのことは奥さんとして、芸術とは切り離してしっかり愛していたのだろう、と思ってしまったのでした。