この映画も古い、1958年の映画だ、62年も前の映画、生まれる前の映画だという人もいるかもしれない、でも、いい映画。ここでは、”いい映画“を紹介しているが、”いい映画“って具体的にどんな映画?と問われるかもしれない、世の中には面白い映画はたくさんあって、ここで取り上げていない映画でも、面白かったな、と映画館で席を立つときに満足する映画はほんとに山ほどある。ここで取り上げる”いい映画“っていうのはどいう意味かというと、つまり、見終わった後に”余韻”が残る映画のことを言っているつもりだ。
最近は映画館に行かないで、Blu-Rayで、DVDで、ネットで、Amazon Primeで、と自宅で映画を見ることも多いかもしれないが、自宅で見ようが、映画館で見ようが、友達の家で見ようが、見終わった後に余韻が残る映画、というのはどこで見ても余韻が残って、しばし、その余韻にひたることができる。先ほどから、余韻、余韻、と連呼しているが、具体的にピンとこないかもしれない。
「手錠のままの脱獄」、トニー・カーティス(白人)とシドニー・ポアチエ(黒人)のふたりの囚人が手錠につながれて護送されている、護送中の事故により二人は脱走、手錠でつながれたまま逃げる、とにかく逃げる、手錠でつながれたまま、そして‥‥っていう話。そして‥‥の続きには、当時の社会的事情が絡まって、二人の複雑な感情が描かれて、ラストへ突き進む、つまり、白人と黒人の囚人二人、ということで人種問題が絡んでくる。
当時の社会事情といっても、最近のアメリカの警察官による黒人市民への乱暴や横暴のニュースを見ていると、62年前と全然変わってない、同じ、という思いばかり、この62年間はいたいなんだったのか、と思わずにはいられない。キング牧師が現れて公民権運動があった、そして、ついにオバマ大統領という黒人大統領も誕生した、タイガー・ウッズやらスパイク・リーやらマイケル・ジョーダンやらと黒人のスーパースターも有名人もたくさん登場してきて、アメリカ国内で黒人の地位は62年前に比べたら飛躍的に上がっているはず、だが、変わっていない、人の心は、偏見は、感情は。62年前と同じ。
以前に書いた「ウエスト・サイド物語」は二つの不良少年のグループの対立、と書いた、が、結局のところ、この映画の場合も実は白人と有色人種、この場合は移民であるプエルトリコ人との対立、映画の中の曲、プエルトリコ人のグループが歌って踊る ”アメリカ“ は人種問題を皮肉に、面白おかしく歌った曲だ。
トニー・カーティスは二枚目俳優として売っていた、だが、この映画ではシドニー・ポワチエの演技に軍配を上げたい、やはり、うまい、シドニー・ポワチエ、この映画の演技でベルリン国際映画祭男優賞を受賞している。トニー・カーティスは二枚目俳優だけれど演技派俳優ではないね。トニー・カーチティスが主演している別の映画でもそう思った、シドニー・ポワチエの主演しているほかの映画でもポワチエはうまい、と思った。
映画を見終わると、映画館でならすぐには席を立てない、又は、立ちたくない、自宅で見ていたなら、すぐにその場を動きたくない、しばらくTVやパソコンの前に座っていたい、感情移入していた映画の世界からすぐには現実に戻りたくない、と思わせる映画、”余韻”の残る映画っていうのはそんな映画のことを言っている。エンドロールの間、映画の印象的なシーンや気に入ったシーンを反芻する、帰りの、例えば、電車の中で映画のあの場面を、あの俳優の言ったセリフをもう一度思い出す、そして、いつかまたこの映画をリピートしてしまう、いつまでも後を引く映画、余韻の残る映画ってそんな映画のことだ。
この映画は人種問題を扱っているが、面白い、ユーモアを感じる瞬間もある、シリアスなテーマをうまく料理したと思う、だから、アカデミー賞で脚本賞もとったか。二人の囚人の逃避行の結末は? 映画が終わっても今しばらく、この二人に気持ちをより添えて、映画の世界の ”余韻“ に浸ってみてはいかかでしょうか。