Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

蜘蛛巣城  三船敏郎 主演/    黒澤明 監督

蜘蛛巣城

 黒澤明の映画は、外国の映画人によってリメイクされることが多かった、先に紹介した「隠し砦の三悪人」しかり、前回紹介した「七人の侍」しかり、が、本日話題にする「蜘蛛巣城」はその逆のパターンとなった、黒澤明が外国の、この場合誰もが認めるイギリスのスーパースター、シェイクスピアの戯曲「マクベス」を翻案とした映画を作った、それが「蜘蛛巣城」。

 

蜘蛛巣城“ は文字通り、マクベスの城 ”コーダ城“ にあたる。魔女の予言に翻弄されて破滅してゆく運命のマクベスが城主のコーダ城を模した ”蜘蛛巣城“ は三船敏郎演じる鷲津武時が 運命の張り巡らした蜘蛛の巣にとらわれ、もがけばもがくほど身動き取れず、最後には運命という大蜘蛛といってもいいような蜘蛛の餌食となってしまう。そんなストーリーににふさわしいタイトル。

 

蜘蛛巣城で注目すべきはもちろん、主役のマクベス役の鷲津武時、三船敏郎と思う。シェイクスピアマクベスには若干人間の弱さ、謀反を起こす迷い、ためらいみたいなものがあった。それを、気の強い奥さん、マクベス夫人に背中を押され、王殺害という大罪を犯すにいたる。一方、三船敏郎マクベス、鷲津武時は三船という役者の性格上、なかなかこのマクベスの気弱な心理を表現するもむずかしかったのでは、なんて勝手に思う。

 

この映画で印象に残っている三船敏郎は、ラストシーンで蜘蛛巣城に襲い掛かってくる侍たちと戦っている場面だ。例えば、本物の矢を三船に向かって射た、というあの有名なシーンとか、三船が ”山が動いている“ なんて言っているシーンとか。

 

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そして、マクベスともう一人注目すべき登場人物、もちろんそれは、迷えるマクベスの背中を思い切り押したマクベス夫人だ。この映画では山田五十鈴演じている。今までに3人の女優が演じるマクベス夫人を見た、日本の女優で。蜷川幸雄版「マクベス」の大竹しのぶ、同じく、仏壇マクベスといわれている、蜷川幸雄版「NINAGAWA マクベス」の田中裕子、そして今回の黒澤明監督「蜘蛛巣城」の山田五十鈴だ。三人三様のマクベス夫人でどれも印象的。 

 

今回の山田五十鈴は、“破滅への運命”、すなわち、 ”蜘蛛“ であると考える。マクベスをとらえるために蜘蛛巣城に蜘蛛の巣を張った蜘蛛のうちの一人。他の蜘蛛は?もちろん、映画の冒頭マクベスを誘惑するかのような予言をした老婆。シェイクスピアの原作では予言をするのは3人の魔女だが、映画では一人。なので、若干数の少なさを感じるが、マクベスを破滅させるためには十分に強力な ”蜘蛛” の魔法 だった。

 

迷える夫、鷲津武時に主君殺し、マクベス夫人と思いきや、主君を殺害した後は自分の手が血に濡れているという幻覚を見るようになり、精神を病む、頼れるものはいなくなった、一人とり残された鷲津は後は破滅への坂道を転げるばかり。背中押しといて、先に戦陣離脱なんて反則じゃないか、と思ったりするのだが、ここでまたシェイクスピアの有名なセリフが頭をよぎる、”弱きもの、汝の名は女なり“ と。

 

最後に、肝心なことを問いたい、この映画は面白いのか、と、何故、この映画を取り上げたのか、手に汗握る娯楽作品とは言えないかもしれない、シェイクスピアの四大悲劇の翻案なのでユーモア、笑いの入る余地はなかった、おどろおどろしい雰囲気、謀略、裏切り、狂気、と言っておよそ明るさからは程遠い要素ばかり、さらに、能の様式美を取り入れている。

 

七人の侍」の後の時代劇、「七人の侍」が ”動“ なら 「蜘蛛巣城」は ”静“ かな、違ったタイプの時代劇、娯楽性はないといいたい、なので、「七人の侍」のような面白さを求めたい人にはお勧めしない、が、‘後に残る’ 映画ではある、「マクベス」を翻案して日本の時代劇に置き換えた、その黒澤明の実験的といっていいのか、シェイクスピアへの ‘挑戦’ といっていいのか、を観てみたい人にはお勧め、「蜘蛛巣城」成功したのでは、と思う。