Kororon 映画について語るBlog

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「外のことがわからない」考

今週のお題「外のことがわからない」

 

  外出自粛で家にいる時間がほとんどになった時、私たちは本当に外のことがわからなかったのだろうか?

  テレビではニュース、ワイドショーで毎日のようにコロナ関連のニュースを報道していた、国内の感染者や都市の様子だけではなく、外国の様子も克明に報道されていた。テレビだけではない、パソコンからネットでも、スマホでも、ツイッターでも、ラジオでもあらゆるメディアでコロナの情報があふれていた、実際、自宅にこもっていても外のことは”よくわかった“んだね。

  そんな情報があふれている世の中では、たいていのことはわかってしまう、では、分からなくなるのはいつ?

情報が入ってこなくなった時、情報が遮断されたとき、テレビもネットもラジオもなくなった時。

  例えば、ロビンソン・クルーソーのように無人島にとり残された場合、島以外の世界のことはわからないだろうなあ、文字通り、外のことはわからない。

江戸時代の鎖国のとき、この時も外国のことはよくわからなかっただろうなあ、もっとも、長崎ではオランダやポルトガルと交易できた、完全に外国と付き合いがなかったわけでもない。でも、長崎を訪れることのない、当時の一般庶民にとってはやっぱり、外国は未知の世界、だから、幕末に黒船が現れた時には大騒ぎになったのか、と思う。

  「バカの壁養老孟司著、という本がある、以前ベストセラーになった本だ。メンタルに自分の周りに壁を作っている人といくら意見の交換をしあっても、こちらの言っていることを理解してくれない。また、こちらに壁があっても、相手の言っていることが、少しも、理解できない、結果、お互いどれだけ意見交換しようとも、お互いを理解することがない‥‥といったようなことが書かれていた。

  自分以外のこと、自分の意見以外の意見、自分の家族以外のこと、自分が所属するグループ以外のこと、が理解できない、まさに、”外のことがわからない“状態か。

アメリカで起きている大きな抗議デモ、収束するめどが見えない、デモをする人と、それを阻止しようとする人々の間に、目に見えないシールドがある、コロナ予防のフェイスシールドならいいのにね、こんなに今必要とされているシールドはないよね。

  香港で起きているデモも、本国中国と香港の人々との間にはフェイスシールドどころじゃない、どうにもお互いの意見が届きそうもない、巨大で分厚い壁が、シールドがある。

  どちらの場合も、そのシールドはそう簡単には風穴があきそうもないシールドだ。

  ”外のことがわからない”ってときは、物理的にわからなくなるという場合、心理的にわからなくなる場合、の2者があり、外のことがわからないままでいても、江戸の太平、鎖国ゆえに生まれた様々な日本文化、と悪くないこともあるんだけれど、いつか何かがあった時、黒船が来た!っていうような時、困るだろうな、実際に江戸幕府は困ったんだろうな、それで、結論は?そうだね、やっぱり、外のことを知るっていう努力は大切っていうことかな、どんな時でも。

 

 

完訳ロビンソン・クルーソー (中公文庫)