東西冷戦が終結して久しい。現在のドイツが東と西に分かれていて、その境界にベルリンの壁という鉄壁の壁が存在し、同じドイツ人でありながら、東ドイツから西ドイツへの自由ないききはままならず、仮に、このベルリンの壁を越えようとしようものなら、容赦なく射殺される運命にあり、ドイツ人の中には、家族ですらも東と西に離れ離れにされてしまった人々もいた、という時代のことを、今一度思い出してもらいたい。アルフレッド・ヒッチコック監督による、この映画「引き裂かれたカーテン」は、そんなドイツが東と西に分断れていた時代に、東側に潜入して、或る情報を手に入れんとする、西側スパイの物語である。
この映画の ”引き裂かれたカーテン“ というタイトルだけを聞くと、ある人はカーテンが引き裂かれて何か事件が起こる、というミステリーを想像するそうだ、それで言うと、筆者などは、ヒッチコック監督の名作スリラー「サイコ」の、ヒロインがシャワーを浴びていて、襲われるシーンなどがすぐ頭に浮かぶ、バスルームのシャワー用カーテンは引き裂かれ、殺人事件は起こる‥‥。この映画「引き裂かれたかーテン (Torn Curtain)」というタイトルは、ヒッチコック監督が自身の映画のワンシーンを洒落て、ギャグにしたのか‥‥、と想像したりしてしまうのである。まあ、この映画では ”鉄のカーテン“ 、東西ドイツを分断しているベルリンの壁を暗に意味していると、とらえるのが、もちろん、自然であるのだが。
映画「引き裂かれたカーテン」では、主演、ポール・ニューマンが東ドイツに潜入するスパイの物理学者、そして、彼の婚約者に、ミュージカルの大スター、ジュリー・アンドリュースが扮する。だが、ジュリー・アンドリュースはこの映画では、ただの一曲も歌を歌わない。この映画「引き裂かれたカーテン」が撮影される前年には、あの有名な大ヒット映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、素晴らしい歌声、歌唱力を存分に披露しているのに、である。ヒッチコックはあえて、ジュリー・アンドリュースの素晴らしい声を封印して、彼女に演技のみをさせたのか、そこのところは監督のみぞ知るところ。
ただ、ポール・ニューマン演じるアームストロング博士がジュリー・アンドリュース演じる、彼の婚約者サラに、彼が東ドイツへやってきた、真の目的を告白して、サラをなだめるシーンがある。この時、二人は、小高い丘の上に二人で登っていき、丘の上の二人の姿を遠くからドイツの保安省長官が眺めている、という構図である。そして、筆者はこのシーンにおいて、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のオーストリアの山でジュリー・アンドリュース演じるマリアが、思い切り、美しい歌声を披露しているシーンを思い出して、ひょっとしたら、ジュリー・アンドリュース、思わず歌いだしてしまうのではないか、と思ってしまった。
さらに、二人で見つめあうアームストロング博士とサラは映画「サウンド・オブ・ミュージック」において、二人で見つめあうトラップ大佐とマリアを彷彿とさせ、こちらも、やはり、二人がデュエット始めてしまうのではないか、と思わずにはいられなかった。このあたりのシーンは、ヒッチコックが映画「サウンド・オブ・ミュージック」をパロディした、ギャグではないかと、思ってしまった。そして、さらに、アームストロング博士とともに、ドイツ兵士たちに追われながら、ドイツ脱出を図るサラは、映画「サウンド・オブ・ミュージック」において、ドイツの兵士らに追われ、アルプスを越えてオーストリアからスイスへ脱出しようというマリアとトラップ一家を連想させる。ヒッチコック、最初から、映画「サウンド・オブ・ミュージック」をパロディしようと思って、ジュリー・アンドリュースを抜擢したのか、と、うがった見方すらしたくなるのである。
割とシリアスなサスペンス映画であると思っていたのに、ジュリー・アンドリュースから歌を奪い、なおかつ、実は、そんなパロディ満載の映画だったのか、と改めて、ヒッチコック監督の遊び心を感じることのできる映画である。一方で、偽造路線バスでの逃避行、劇場での危機一髪での脱出、貨物船からの脱出、と、見せ場は数々用意されていて、なかなか、悪くないドキドキ感も味合わせてくれるのであるが、どうも、今一つ、手に汗握って、ドキドキするパンチに欠けるというか、スパイスが足りない‥‥ということで、この映画、悪くないけれど残念な映画としたい。ヒッチコック監督の遊び心、筆者は以上のように感じましたが、そんなところも、悪くはないな、と感じるところではありました。