Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

ジーザス・クライスト・スーパースター  アンドリュー・ロイド・ウェイバー 原作       :悪くないけれど残念な映画

ジーザス・クライスト・スーパースター ― オリジナル・サウンドトラック

 

とても、とても、古い映画だ、何の予備知識もなくて、初めてこの映画を観た時は、全然良さがわからなかった、

イエス・キリストの半生、十字架にかけられるまでを描いている。この映画がいいんじゃないか、と思い始めたのは、劇団四季のミュージカルを見てからだった、映画の話をする場であるのに、まずはミュージカルの話から入って言って申し訳ないが、この映画は舞台を見て良さを知る、という映画ではないか。

 

本来この映画はブロードウェイのミュージカルを映画化したものである、劇団四季のミュージカルではエルサレムバージョンとジャパネスクバージョーンの二つがあり、映画はもちろんブロードウェイ版、劇団四季でいえばエルサレムバージョンを映画化したもので、映画も、もちろん、ミュージカルだ。

 

ストーリーはイエスの半生なのだから、知っている人は最初から分かっている、なので、物語の展開に特段のクライマックスであるとか、新たな面白味はない。また、舞台なら眼前で繰り広げられる迫力あるダンス、生で聞く歌声、舞台装置などなどで、観客を飽きさせずに引き込んでいくパワーがある、映画はどうかというと、まず、舞台がエルサレムであり、キリストの生きた時代であり、わりと荒涼とした風景が続く、色彩的に単調であったりする、これだけではないが、どうも、この映画に関しては映画が舞台を超えた、というわけにはいかなかったように思う。

 

このミュージカルでは、キリスト13番目の弟子、ユダがより主体的に描かれる、キリストを邪魔者扱いしたユダヤの司祭たちのキリストへの憎しみがより具体性を持つ、キリストを処刑したローマ人として糾弾される役回りのピラトの存在感は薄い、マグダラのマリアは溌剌としている、ヘロデ王はお調子者でいかれていて面白い、ヘロデの歌う歌は好きだ。ユダ以外の弟子たちも、歌をもらっている、そして、これらの曲がことごとく素晴らしい、アンドリュー・ロイド・ウェイバーの作り出したキリスト半生の世界は聖書で読むイメージをことごとく壊し、ロックし、クリスチャンでない者をもイエス・キリストの生きた世界に、登場人物たちに引き込んでゆく、ロイド・ウェイバーの出世作だというが、本当にスゴイ、中でも裏切り者ユダの歌が力強い、キリストが磔にされたときのユダの歌「スーパースター」は圧巻。

 

言うまでもないと思われることをあえて書くと、”ジーザス・クライスト“というのはイエス・キリストのことで、タイトルの「ジーザス・クライスト・スーパースター」というのは ”スーパースター、イエス・キリスト“ということで、その生まれから普通ではなかった、処女懐妊でキリストを生んだ聖母マリアを母に持ち、数々の奇跡を起こして、同じユダヤ人の司祭たちをも敵に回し、死んだ後には復活して生き返る、まさに、スーパースターと呼ばずして、なんと呼ぶのか。

 

そんなキリストを裏切ったユダから、最後に、キリストへ向けてユダの思いがぶつけられる、悪く思わないでくれよ、悪く思わないでくれよ、と繰り返えしながら、本当にスーパースターなのか、自分でもそう思ているのか、ちょっと違うんじゃないのか、などなど、まあ、復活はするのだが、結局磔となってしまったキリストへの、ユダのダメ押し、この歌も好きだ。

 

こんなふうに、「ジーザス・クライスト・スーパースター」は素晴らしいミュージカルだ、舞台は最高、映画も悪くはないのだが、やはり、舞台を見てしまった者としては物足りなさを感じざるを得ない、というわけで、映画版「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、悪くはないけれど、残念な映画、かな。

見るのなら、舞台も映画も両方みよう、舞台は劇団四季だったら、エルサレムバージョンもジャパネスクバージョンも両方見よう、どちらも甲乙つけがたく素晴らしい!

 

 

       

Jesus Christ Superstar (2012 Remaster)