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真昼の決闘   High Noon   ゲーリー・クーパー 主演

真昼の決闘(字幕版)

 

ゲーリー・クーパーはいい、以前書いた「モロッコ」という映画では、若き日のゲーリー・クーパーを見ることができたが、この「真昼の決闘」では、ベテランで、渋い魅力を増したゲーリー・クーパーを見ることができる、どちらのゲーリー・クーパーもステキなのだが、この「真昼の決闘」で一つ言えることは、この映画のゲーリー・クーパーはカッコいい、とにかく、では、どんなところがカッコいいのか?

 

実は、この映画ではほとんどの部分、ゲーリー・クーパーは ‘カッコいい’ という表現からは遠い役回りを演じている、映画の3分の2くらいにおいてはゲーリー・クーパーのカッコ良さは観られない、観られるのは、長年、友であり、味方であり、いざというときには共に戦ってくれる、と思っていた人々が、実はそうではなく、今となっては平和な現在の暮らしを壊されたくない、厄介なことはしょい込みたくない、まして、命が危険にさらされるようなことには巻き込まれたくない、という思いでもって、今この街に迫る危機、ゲーリー・クーパー演じる保安官に迫る危機から目を背け、助けを求める保安官をあっさりと見捨ててしまうという、保安官にとっては何とも信じられないような状況だ。

 

保安官はぎりぎりまで助っ人を、一緒に危機に立ち向かってくれる仲間を探す、が、自分たちの町を守ってきてくれた保安官に対して、みんな冷たい。結婚式を挙げたばかりの奥さんも、保安官を見捨てそうになる、保安官としては絶望に落ち込んで逃げ出したくもなるところ、どうしたらいいのかと苦悩に満ちた保安官だ。

 

ゲーリー・クーパーがカッコよく変身していくのは、保安官の仇が街に到着したことを知らせる列車の汽笛をきいてから、腹をくくった保安官は死ぬのを覚悟してたった一人で敵に向かっていく、この銃撃戦のシーンでのゲーリー・クーパーはまだカッコ良さには不十分だが、とにかく、頑張る、何しろ死を覚悟している人間だ、自然怖いものなしの心理で強くなる、そして、保安官が最強になる瞬間が来る、愛する奥さんが危機に直面している瞬間を目の当たりにし瞬間。自分を見捨てたと思っていた奥さんが実はそばにいてくれた、というだけでも鬼に金棒なくらい心強くなるものなのに、その奥さんが危機に瀕している、見殺すわけにはいかない愛する妻なのだ、それこそ命を懸けて救い出そうとするはず、保安官が最高に強くなる瞬間。そして、ラストシーン、ラストシーンが終わって映画を観終わると、感じる、わかる、なんか、カッコよかった、ゲーリー・クーパー、と。

 

                  「ハリウッド・コレクション:想い出のグレース・ケリー」

保安官の奥さん役の若き日のグレース・ケリーもよかった、やっぱり最後がね、保安官を見捨てずに、保安官の危機に、ちゃんとそばにいたという奥さんが。 “Do not forsake me , oh, my darling….” という映画のテーマミュージックの歌詞を見てもわかる、この映画の音楽はぜひ英語の歌詞を理解してほしい、そうすれば、この映画が苦悩する保安官と、保安官の敵との拳銃の撃ち合いだけの映画だけではなかった、と理解できると思う。

この映画も、やっぱり、最後までしっかり見ないと映画の良さも、ゲーリー・クーパーのCoolさも、グレース・ケリーの良さもわからない、なので、最後までしっかりと見てね。

 

最後に、ゲーリー・クーパーは「だがために鐘は鳴る」とか、「武器よさらば」という映画にも出演している、どちらの映画も原作はこちらも有名なアメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイだ、映画を観た時は知らなかったのだが、後に、実はゲーリー・クーパーヘミングウェイはとても仲のいい友人であった、と知った、仲のいい友人だから、クーパーはヘミングウェイの家を訪れたり、一緒に狩猟をしたりもしたようだ、同時代を生きていた二人であるから知り合いであったり、友人同士で会っても不思議はない、こんな思いもかけないつながりがあったのか、と知ることも映画を観る楽しみの一つ、映画って楽しいね。

 

 

 

 

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