Kororon 映画について語るBlog

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時計じかけのオレンジ  マルコム・マクダウェル 主演/  スタンリー・キューブリック 監督

時計じかけのオレンジ (字幕版)

 

スタンリー・キューブリックの優れた映画で共通しているところは、映画の冒頭で、私たちの想像を超える新しい世界を観客に見せつけて、彼の映画に釘付けにしてしまう、テクニックである、それは、顔面にパンチを食らわせておいて、相手に反撃する隙を与えず、映画の場合は、観客に余計なことを考える間も与えず、自分のペースに引きずり込む、映画であるならば、自分の映画の世界に引きずり込む、という衝撃を、インパクトを与えることではないか。

 

以前に書いた拙稿「2001年 宇宙の旅」で、筆者は冒頭の宇宙ステーションに向かう宇宙船内でのキューブリックよる描写に釘付けにされた、ということを書いた、同じことが、彼の傑作「時計じかけのオレンジ」でも言えるのでは、と考える。ただ、「2001年宇宙の旅」では冒頭、筆者を釘付けにしたのは、素晴らしい、夢にあふれた未来図、宇宙の世界であった、が、「時計じかけのオレンジ」では、同じ未来図ではあるが、それは、夢にあふれるどころではなく、暴力と悪徳に満ちた近未来の人間社会の図である。

 

しかも、その悪逆非道の限りを尽くすのはマルコム・マクダウェル演じる、少年アレックスと彼をリーダーとした不良少年グループである、通常なら学校に通っているはずの、彼らはもちろん学校さぼっている、子供たちであるところが、或る意味ポイントか。

 

映画の中で、彼らがホームレスをボコボコに蹴ったり殴ったりしていたぶるシーンがある、映画公開当時は子供によるこのような暴力行為がショッキング、だったかもしれないが、時は流れ、映画と同じような少年たちによるホームレスに対する暴力行為がニュースで流れたのを目にしたとき、筆者は「時計じかけのオレンジ」の描いた未来図の的中に、少しばかり背筋が寒くなった。

 

また、キューブリックは「2001年 宇宙の旅」では、冒頭の宇宙船のシーンにヨハン・シュトラウスの名曲 ”美しき青きドナウ“ をかぶせてきた、この曲はウィンナワルツであり、明るく優しく美しい曲であり、「2001年宇宙の旅」の冒頭の宇宙未来図のイメージを、明るく楽しくすることに大いなる役目を果たした。では、「時計じかけのオレンジ」ではどうか、キューブリックは暴力的、破壊的未来図を描くにあたって、不良少年アレックスのお気に入りの曲として、ベートーベンの”交響曲第9番” をぶつけてきた、’喜びの歌、合唱付き‘ としてあまりにも有名な名曲だ。

 

2001年宇宙の旅 (字幕版)

「2001年 宇宙の旅」で冒頭の宇宙船の映像に心奪われたように、「時計じかけのオレンジ」では、映画の前半のアレックス達の暴力に目を見張り、心奪われてしまう、少年たちによる、現実の世界では考えられないような、いや、考えたくないようなシュールな暴力シーンなのであるが、この映画の魅力は、実は、この悪逆非道のアレックス達の暴力シーンと、人を人とも思っていない主人公アレックスにある。ジキルとハイドではないが、自分の中のハイド的メンタルが、クラッシックの名曲とともに見せられる、キューブリックのシュールなまでの暴力描写の映像に魅力を感じさせる、とでも言ったらいいか。

 

さらに、映画の中では他の不良少年グループが、ロッシーニの “泥棒かささぎ” の曲にのって、女性をいたぶるシーンもあるが、本来はとんでもない出来事のシーンなのだが、ロッシーニの名曲によって、なぜか、なんとなく、印象深いシーンになっている、と感じる。そして、とどめに、この不良少年グループもアレックス達によって、滅多打ちにされる、ここらへんも、”暴力的に“ 何か一皮むけるようにスゴイ、と感じる。

 

映画の半ばで、アレックスはある洗脳によって、“去勢”されてしまう、それからは、急に、アレックスにもこの映画にも魅力がなくなり、映画が ”つまらなくなった“ と感じてしまう、感じるのはどんな暴力にも抵抗できなくなって、今までとは真逆の立場に置かれて、暴力を受け続けるアレックスの運命への “残酷さ” だ。

 

先にも書いたが、この映画の魅力は、ひとえに、アレックスやその仲間たちの暴力性、残虐性を見せつけられるところにある。今までしてきたことへの、報いだよ、自業自得だよ、と考えられなくもないが、何故か、アレックスのそんな状態は、悲しすぎてみじめすぎる、と感じる。最後は、ハッピーエンドなのである、アレックスにとって。

観ているほうは、アレックスよかったね、と感じてしまう、つまり、この映画の中で ”暴力的、かつ、残虐的“ アレックスは魅力的だ。

 

この映画の凄いところは、そんな風に、悪逆非道、残酷残忍‥‥などの形容詞をならべて表現できるような主人公に、観ている観客を感情移入させて、アレックスを魅力的にして、”去勢“ されて ”善人“ になったアレックスを ”哀れ” に感じさるところにあると思う、監督キューブリックは「2001年 宇宙の旅」では、観ているものを未知の宇宙へといざなったが、「時計じかけのオレンジ」では、“未知” の ”魅惑の” 暴力世界へとみているものをいざなう。

 

最近は3Dというのがあって、装置を着想すれば3Dであらゆる世界、未知なる世界も体験できるようになってきたが、キューブリックは映画で3Dと同じようなメンタル体験をさせてくれた、暴力の世界の。 そこが、この映画のキューブリックのスゴイところではないだろうか。3Dの装置など使わずに、シュールな暴力的世界の疑似体験ができる映画、「時計じかけのオレンジ」がいまでも、キューブリックの傑作の一つといわれるゆえんはここにあると思う。

 

スゴイ映画だよ、是非一度、観てほしい!

 

 

 

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