Kororon 映画について語るBlog

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映画  ビューティフル・マインド   ラッセル・クロウ  主演/     ロン・ハワード  監督

ビューティフル・マインド (字幕版)

 

今回は今一度ラッセル・クロウが主役の映画、前回の古代ローマの剣闘士を演じたラッセル・クロウとは180度異なる役柄、同じ人とは思えない、が、役者だからあたりまえ、ともいえる、とにかくラッセル・クロウがうまい、精神疾患のために幻覚に悩まされる、悩まされながらも、ついにはノーベル経済学賞を受賞する、数学の天才、ナッシュ教授、今回それが、ラッセル・クロウの役どころである。

 

数学の天才ではあるが、そのあまりにも奇人変人な行動や言動を、映画の初めのころに見せられると、ナッシュ君、これでは友人もできなかろう、孤独の大学生活になるのでは、と観ているほうは思ってしまうのであるが、ナッシュ君の天才ぶりのおかげか、やはり一目は置いたのであろう、ストーリが展開するうちに、最初はなんだ、とおそらく思っていたに違いない連中とも、いつのまにか仲良くなっている、生涯の友にもなったようで、或る意味、よかったねナッシュ君、などと思って安心したりする。さらに、ナッシュ君には彼女もできる、結婚して子供ももうける、幸福に家庭生活を送っている様子が描かれ、ナッシュ君よかったね、とここでも観ているほうは、何故かホッとしたりする。

 

が、彼の抱えている精神的疾患は、彼に幸せな生活を続けさせてくれない、やがて、それが原因となって、ナッシュ君は苦しむ、奥さんも苦しむ、そんなナッシュ一家の描写は、少しばかり背筋がぞっとするように、怖いのである。このあたりの、ラッセル・クロウの演技、奥さん役のジェニファー・コネリーの演技は迫真であり、観ているほうは画面に引き込まれる、監督ロン・ハワードの腕も冴えに冴える。

 

映画の中で、ナッシュ君の幻覚の描写はかなりすさまじく、その幻覚は一人息子の命さえ危険にさらすまでになる、奥さんのメンタルも限界まで来ていたのではないかと想像するに難くない、が、ナッシュ君の妻は彼を見捨てることはなく、幾度か危機もあったろうと想像できるが、最後まで、ナッシュ君を支える、彼の友人もまた、先にも書いたとおり、彼の状況を承知のうえで、ナッシュ君を温かく迎え、彼の力となる、このような心は “beautiful heart” といえるのではなかろうか。

 

一方、ナッシュ君は自身の困難と闘い、挫折を繰り返しながらも、その数学的才能は衰えることを知らず、紆余曲折しながらも、最後はやはり、学問の府、大学へと舞い戻る、苦境を克服しつつ、そこで教鞭をとりながら、やがてノーベル経済学賞受賞となるのである。おそらく、幻覚を見るという症状と闘う苦しい過程において、時には、絶望の淵の追いやられる時もあったと思われるナッシュ君を支えたのは、奥さんや友人の支えももちろんあったのであるが、彼の数学、又は、学問への、深い愛情、かつ、彼自身の素晴らしい “intelligence” 、つまり、”beautiful mind” にほかならないと感ずる。

 

この映画は実在の数学者、ジョン・ナッシュをベースにしたストーリであり、どうやら、映画のストーリー自体と実際のところに違いがあって、いろいろと指摘や批判を受けているようである。が、筆者は思う、彼の数学的才能、彼の天才、彼の数学や学問への愛情こそが、彼の抱える苦境や彼のおかれている状況を越えて、“beautiful mind” として、彼の中で不変の輝きとなる。監督、ロン・ハワードはこの天才的数学者、ジョン・ナッシュのこの輝きが、最大限に輝く様を観ているものに感じてほしかったのではないか。

 

映画「グラディエーター」とは、180度異なる、天才数学者を演じるラッセウ・クロウを観るのもよし、統合失調症という精神疾患についての啓発を受けるもよし、ナッシュ夫妻の苦難と戦う姿に感動するもよし、で、様々な角度から観ることのできる映画である。

 

天才数学者としてのラッセル・クロウの迫真の演技を観てみるのもいいかもしれないね。