Kororon 映画について語るBlog

映画を語りつくす blog ☆ いい映画も、残念な映画も、好きな映画に、無理(?) な映画も、時に、ドラマも

ジーザス・クライスト・スーパースター  アンドリュー・ロイド・ウェイバー 原作       :悪くないけれど残念な映画

ジーザス・クライスト・スーパースター ― オリジナル・サウンドトラック

 

とても、とても、古い映画だ、何の予備知識もなくて、初めてこの映画を観た時は、全然良さがわからなかった、

イエス・キリストの半生、十字架にかけられるまでを描いている。この映画がいいんじゃないか、と思い始めたのは、劇団四季のミュージカルを見てからだった、映画の話をする場であるのに、まずはミュージカルの話から入って言って申し訳ないが、この映画は舞台を見て良さを知る、という映画ではないか。

 

本来この映画はブロードウェイのミュージカルを映画化したものである、劇団四季のミュージカルではエルサレムバージョンとジャパネスクバージョーンの二つがあり、映画はもちろんブロードウェイ版、劇団四季でいえばエルサレムバージョンを映画化したもので、映画も、もちろん、ミュージカルだ。

 

ストーリーはイエスの半生なのだから、知っている人は最初から分かっている、なので、物語の展開に特段のクライマックスであるとか、新たな面白味はない。また、舞台なら眼前で繰り広げられる迫力あるダンス、生で聞く歌声、舞台装置などなどで、観客を飽きさせずに引き込んでいくパワーがある、映画はどうかというと、まず、舞台がエルサレムであり、キリストの生きた時代であり、わりと荒涼とした風景が続く、色彩的に単調であったりする、これだけではないが、どうも、この映画に関しては映画が舞台を超えた、というわけにはいかなかったように思う。

 

このミュージカルでは、キリスト13番目の弟子、ユダがより主体的に描かれる、キリストを邪魔者扱いしたユダヤの司祭たちのキリストへの憎しみがより具体性を持つ、キリストを処刑したローマ人として糾弾される役回りのピラトの存在感は薄い、マグダラのマリアは溌剌としている、ヘロデ王はお調子者でいかれていて面白い、ヘロデの歌う歌は好きだ。ユダ以外の弟子たちも、歌をもらっている、そして、これらの曲がことごとく素晴らしい、アンドリュー・ロイド・ウェイバーの作り出したキリスト半生の世界は聖書で読むイメージをことごとく壊し、ロックし、クリスチャンでない者をもイエス・キリストの生きた世界に、登場人物たちに引き込んでゆく、ロイド・ウェイバーの出世作だというが、本当にスゴイ、中でも裏切り者ユダの歌が力強い、キリストが磔にされたときのユダの歌「スーパースター」は圧巻。

 

言うまでもないと思われることをあえて書くと、”ジーザス・クライスト“というのはイエス・キリストのことで、タイトルの「ジーザス・クライスト・スーパースター」というのは ”スーパースター、イエス・キリスト“ということで、その生まれから普通ではなかった、処女懐妊でキリストを生んだ聖母マリアを母に持ち、数々の奇跡を起こして、同じユダヤ人の司祭たちをも敵に回し、死んだ後には復活して生き返る、まさに、スーパースターと呼ばずして、なんと呼ぶのか。

 

そんなキリストを裏切ったユダから、最後に、キリストへ向けてユダの思いがぶつけられる、悪く思わないでくれよ、悪く思わないでくれよ、と繰り返えしながら、本当にスーパースターなのか、自分でもそう思ているのか、ちょっと違うんじゃないのか、などなど、まあ、復活はするのだが、結局磔となってしまったキリストへの、ユダのダメ押し、この歌も好きだ。

 

こんなふうに、「ジーザス・クライスト・スーパースター」は素晴らしいミュージカルだ、舞台は最高、映画も悪くはないのだが、やはり、舞台を見てしまった者としては物足りなさを感じざるを得ない、というわけで、映画版「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、悪くはないけれど、残念な映画、かな。

見るのなら、舞台も映画も両方みよう、舞台は劇団四季だったら、エルサレムバージョンもジャパネスクバージョンも両方見よう、どちらも甲乙つけがたく素晴らしい!

 

 

       

Jesus Christ Superstar (2012 Remaster)

 

 

マイ・フェア・レディ   オードリー・ヘップバーン 主演  

 

マイ・フェア・レディ (字幕版)

何度でも言うが、オードリー・ヘップバーンが美しい、物語冒頭の花売り娘が美しい、と言うつもりはないが、この映画でも数々のドレスをステキに着こなしていくヘップバーンは、’美しい’という形容以外には表現する形容詞はない、と考える…‥ちょっと、大げさ?

 

ヒギンズ教授の家でレッスンを受けているときも、もちろん屋敷の中での衣装なので派手さはないが、とてもしっくり、いい感じ、練習の成果を見てみよう、ということで初めてのアスコット競馬場、リボンのついた大きな白い帽子と、やはりリボンを飾って、タイトにピタリとオードリーのボディラインを出している白いドレスがとてもよく似合い、キュートに美しい、初めての社交界でおもわず品のない言葉を口走ってしまうのだが、それを聞いていた青年が、それゆえに、ヘップバーン扮するイライザに恋をしてしまったりする。

 

これに懲りずに、ヒギンズ教授とのトレーニングは続き、とうとう、トランシルヴァニア大使館の舞踏会に出席することになる、その時のオードーリーは、まさに、言葉に尽くせないほど…やはり、大げさ?…美しい、胸元にゴージャスな首飾り、長く白い手袋をして、ストンと落ちたシルバーにキラキラ輝く、軽やかな上品なドレス、映画の中ではその言葉のアクセントから、どこぞ国にの王女様とまで言われるほどの洗練さ、とにかくも、本当に洗練された美しさ、というものを見せつけてくれる‥‥やっぱり、大げさ?

 

舞踏会が終わった後、イライザに恋をしている青年フレディーに、ヒギンズ教授への不満をぶつけて歌っているときの、黄色いドレスもステキ!帽子もとってもよく似合い、普段の外出着でも遺憾なく美しさを見せてくれる。この時の“Show Me” っていう歌も、この映画で好きな歌の一つ。そして、ラストにヒギンズ教授のもとを訪れるときに来ているピンクのドレスと帽子、可愛すぎる、美しすぎる、といわけで、最後まで美しくあり続けるオードリーのイライザは、オードリーで本当に良かった、と、結論する。

 

イライザ役のキャスティングには、舞台のイライザ役、ジュリー・アンドリュースの名前も挙がっていたという、ジュリー・アンドリュースの声は確かにすごい、オーディションテストを受けるのを断ったくらいイライザ役には自信も持っていたようだ、ジュリー・アンドリュースだって、もちろん、素晴らしい役者だ、それは誰もが認めることだと思うが、映画「マイ・フェア・レディ」全編を通して酔いしれる美しさの心地よさは、イライザ・オードリーだからなしえる技であって、たとえ、オードリーの歌が吹替であったとしても、オードリーの美しさがこの映画に与えているインパクトは、何物にも代えがたい映画への贈り物である。

 

この映画の見どころはいくつもある、例えば、イライザが発音を矯正するために練習するフレーズと見事に発音ができて喜びのあまり歌う“The Rain in Spain”、このフレーズを練習しているシーンもいいし、歌を歌いながら喜び踊るシーンも好きだ。先にも書いた”Show Me” を歌いながら、ヒギンズ教授への不満をぶちまけるシーンもいい。ギリシャ神話の「ピグマリオン」をベースにしている物語だから、一度読んでみるのもいい、映画を観る前でも後でも、なるほどなあ、と合点がいったりして、面白いかもしれない。

 

この映画はアカデミー賞をはじめ数々の映画賞を受賞しているが、残念ながらオードリー・ヘップバーンが受賞しているのはヴィット・ディ・ドナッテロ賞というイタリアの映画賞で最優秀外国主演女優賞というのを受賞したきりのようだ。イタリアを舞台にした「ローマの休日」がきいたかな? なんて、余計なことを思ってしまう。

ローマの休日(字幕版)

が、とにかくも、この映画におけるオードリー・ヘップバーンの、’美しさ‘ は第一級、美しくもあり、キュートでもあり、上品でもあり、可憐でもあり、洗練されてもいる‥‥大げさか!? 

そんなヘップバーンの美しさとお気に入りの歌に酔いしれるのもおススメ、ぜひどうぞ!

 

オードリー・ヘップバーンマイ・フェア・レディ

ザ・シークレットサービス   クリント・イーストウッド  主演

ザ・シークレット・サービス コレクターズ・エディション [DVD]

 

シークレットサービスというのは大統領を警護する仕事をする人々のことだと思っていたのだが、この映画を観てシークレットサービスというのは大統領警護だけではなくて、おとり捜査のような仕事もするのだとわかった、これは知らなかった。また、今でもシークレットサービスは大統領専用車と一緒になって走ったりしているのか、不思議だ、映画では専用車と一緒になって走るなんてただのデモンストレーションにすぎない、と言っていたが。

 

いずれにせよ、この映画は面白い、が、大統領暗殺を企てるジョン・マルコヴィッチ演じる暗殺者は不気味だ、薄気味悪い、映画前半を通してこの犯人が一体どこの何者だとはわからない、観ているほうは、大統領に恨みを抱き、クリント・イーストウッド演じる護衛官をストーカーしている得体のしれない変質者にしか見えなくて、或る意味、気持ち悪い、そう、前半、マルコビッチ演じる犯人の正体が分かるまではこの映画を観ていても、不気味な気持ち悪さを感じるだけ、と言っても言い過ぎではないかもしれない。

 

ところが、後半、犯人の正体というか、身元や経歴がわかると、物語にも具体性が出てきて、前半の気持ち悪さも吹き飛び、今度は、がぜん、映画に入っていける。常に警察の裏をかく犯人の周到さや、神出鬼没とも思えた犯人の不気味さがその経歴によって納得させられ、映画は面白さを増してくる。最後のクライマックス、エレベーターのシーンでのクライマックスも観客をハラハラさせていい、ここにきて、イーストウッド演じる護衛官、カッコいいとなる。

 

この映画をさらに不気味(?)に感じさせるのは、実際のケネディ大統領暗殺の事件を映画に取り込んで、イーストウッド演じる護衛官がケネディ大統領暗殺の時もケネディを護衛していた、という設定にしたところか、CGとはいえ若きイーストウッドが護衛官としてケネディと一緒の写真に写っているところも、なかなか。また、イーストウッド護衛官は大統領専用車と一緒に走ると息切れしてくたくたになるくせに、犯人を追って住宅の屋根の上を飛んだり跳ねたりしながら駆け巡る、若い警察官は追いつこうと必死、やるなあ、となる。

 

イーストウッド護衛官は、ケネディ暗殺の後、家庭崩壊の目にあって妻も子供も失ってしまうが、ここで女護衛官とのロマンスも語られる。ロマンスは結局最後ハッピーエンドになるのだが、この映画の残念なところは、最後に二人の後姿を割と、延々と映し出すところなのだと思う。このシーンをみるとこの映画がイーストウッド護衛官と女護衛官のロマンス映画だったように思えて、なんか違うような気がする、が、まあ、別にいいか、とも思う。また、ラスト、事件解決後に犯人からの留守電メッセージを聞くシーンもあるのだが、これもなんだか、事件解決後に今更感を感じ、なくても全然問題ないようにも思えるが、これも、まあ、別にいいか、とも思える。

 

が、ラストの手に汗握る緊張感はこの映画を素晴らしいと思うところであり、クリント・イーストウッドも最後はカッコよく見事に決めてくれたので、今回は二人後ろ姿のラストをちょっと残念に感じるところはあるのだが、ここは自分の好みと趣味で、この映画を ’悪くないけれど残念な映画‘ とはしないでおこうと思う。

 

ザ・シークレットサービス#クリント・イーストウッドジョン・マルコヴィッチ

 

         

JFK ディレクターズ・カット版 (字幕版)

↑ ケビン・コスナー

ガス燈   イングリット・バーグマン/  シャルル・ボワイエ 主演:    悪くないけれど残念な映画

ガス燈(字幕版)

 

ミステリ、サスペンスというよりは、心理映画として怖い、というか、こういっては何だけれど、気味が悪いというか、シャルル・ボワイエ扮する夫の異常性が映画全編から、ひしひしと伝わってきて、途中でもう勘弁、と言いたくなるような映画だった、どんな映画やねん。

 

今回の「ガス燈」は、シャルル・ボワイエイングリット・バーグマン主演、ジョセフ・コットンが刑事でわき役で出演している古い映画だ。シャルル・ボワイエが叔母とその姪とを、計画的、緻密にかつ残忍に殺害し、かつ、心理的に追い詰めていく、イングリット・バーグマン迫真の演技、この映画でアカデミー賞ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞をとったのもさもありなん。

 

シャルル・ボワイエ扮する夫が、その妻イングリット・バーグマン心理的に追い詰めていくその手法を”ガスライティング“と言い、一種の心理的虐待方法で1970年代後半以降この言葉が使われるようになったそうだ。冒頭に書いたように、何が怖くて気味が悪いのかというと、シャルル・ボワイエ扮する夫が、妻から信頼を勝ち得ているのをいいことに、妻を知人、近所の人から遠ざけて孤立化させ、妻に物忘れをよくするな、という指摘をこれ見よがしに要所要所でしていく、些細な間違いを言いたてる、などして妻の精神状態を不安定にしていって、最後は妻は病気であるといいたてて、屋敷内に隔離しようとする、その過程に妻が反抗もできずに、NOと言えずに、夫の言いなりにはまっていく、そんな過程が、シャルル・ボワイエの強引で、断固とした妻に対する心理的虐待が怖い、かつ、気味が悪い、さらに、こんなに自分の意思がなくなってしまう妻をみているのも。

 

映画を観ているほうからすると、なんで言い返さないの!であるとか、そんなこと気にすることはないんだよ!とか、言い返せよ!とか、反抗しなきゃダメだよ!とか、言いたくなって、若干いらいらしながら映画を観ることになる、そのくらい、夫の心理的虐待で神経の弱っていく妻を演じるバーグマンの演技はすごい。このまま、バーグマン演じる妻は、まんまと夫の罠にはまって狂気の人となってしまうのか、と暗い気持ちになりかけた頃、ジョセフ・コットン演じる刑事が登場して、一条の光がさす。見ているほうは、出てくるのが遅いよ!早く奥さん助けて!あなたしかいないよ!などなど、やきもきしながら、ジョセフ・コットン演じる刑事の行動を見守ることになる、と同時に真っ暗闇の奥さんの現状にさしこんだ救いの光に希望を託す。

 

実際にあった事件、誘拐されて、逃げるチャンスもあったと思われたのに、何年も何年も犯人と一緒に暮らしていた女の子の事件を思い出さずにはいられない、ニュースを見たその当時はよく理解できなかった、何故、少女はもっと積極的に逃げようとしなかったのか、と、不思議に思ったものだ、が、今思うと、犯人による”ガスライティング“があったのでは、と思ったりする、映画とまったく同じというわけにはいかないと思うが。

 

この映画は心理的虐待映画なので見てい楽しいシーンはない、ハラハラドキドキする場面も少ない、と言いたい、ハラハラドキドキではなくて、驚かされるような場面も用意されているのだが、はっきり言って、イライラやきもきする場面は多い、特に、ジョセフ・コットンが登場するまではイライラが募る、このイライラ感は人間というものがこうもたやすく他人によって支配されてしまう過程を見せつけられるためか。

 

なので、案外後味の悪い映画だったりするな、という感想、なので、バーグマンの迫真の演技もあるにはあるのだが、ここは、悪くないけれど残念な映画、としたいと思う。

 

#ガス燈#イングリット・バーグマンシャルル・ボワイエ 

 

グラン・トリノ   クリント・イーストウッド 監督/ 主演

グラン・トリノ (字幕版)

 

 

グラン・トリノというのは主人公、クリント・イーストウッド扮する、妻に先立たれ、一人暮らしの元軍人で頑固な老人の愛車でありこのグラン・トリノによって、この頑固な退役軍人とモン族の少年が出会うこととなり、グラン・トリノのラストを迎えることとなる。クリント・イーストウッド監督、主演のこの映画はテーマがあるとしたら、そのテーマも悪くなく、淡々と物語は進んでいき、地味で落ち着いてはいるが、いい感じでストーリーは展開していく。

 

この老人のお隣さんに、モン族の一家が引っ越してくる、ポーランド系のガチガチのアメリカ人と新参者アジア系住民の馬が合うはずはなく、最初はお互いに偏見をもって、近所づきあいもままならない、が、いろいろな事件もあって、次第に打ち解け、自然なお隣通しの関係へと発展してゆく、その事件の一つが、モン族の少年タオによる愛車グラン・トリノ窃盗未遂事件。老人と少年の家族の間はギクシャクしている、一方、タオの姉のスーも絡んで、老人と少年、老人とモン族一家は気持ちを近づけていく、曰く ”遠くの親類より近くの他人“。

 

このタオ少年には一つ問題があり、同じモン族の不良少年たちに付きまとわれている、タオ少年はもちろん彼らとかかわりたくない、が、不良少年たちのほうでタオ少年をほっておいてはくれない、このことが後々大事件に発展して、ラストを迎えることになる。興味深かったのは、タオ少年につきまとって、ちょっかい出す不良たちが、タオ少年と同じモン族であることだ。イーストウッドは黒人の不良少年たちも登場させている、が、彼らがモン族に絡んでくるのは一度だけで、その後は映画からは姿を消す。異国の地に住みながら、同じ種族で対立しあって不幸を呼ぶとはどういうことか、案外悲しい事態と言えなくもない。

 

タオ少年は弱い、弱いからグラン・トリノの窃盗未遂事件を起こすなんて羽目に陥る、頑固老人の下で少しづつ鍛えられていきながら、二人の間に年齢が離れているにもかかわらず、友情らしき感情がはぐくまれていく。

こんな、ごく平凡なアメリカの片田舎の町の日常の中でも、イーストウッドは冷酷な運命が住人達をさらに大きな不幸に陥れるという、剃刀のようなリアリティを観客に見せつけるのを忘れない、観客はイーストウッドの振り下ろしたカミソリに切り付けられ、運命の冷酷さに心も暗く沈む、このあたりは、同監督の「ミリオンダラーベイビー」を思い出させる。

      

ミリオンダラー・ベイビー (字幕版)

イーストウッドの用意した一撃はこれだけでは終わらす、ラストに向けてもう一度観客に向けて矢が放たれる、この矢も結構深く観客の心に突き刺さると思う、映画は気持ちハッピーエンドかと思わせるが、イーストウッドの放った矢が思ったより深く突き刺さるため観客は、ここでも、素直にハッピーにはなれない。そんなイーストウッド監督のカミソリや矢がアメリカの片田舎の町を後半は滅多切りにする展開だが、そんな現実直視の非情さがイーストウッド監督および彼の作品が ’いい映画‘ であるとか ’どれも秀作‘であるとか、’名監督’ とか言われる所以ではないかと思う、実際、クリント・イーストウッドが監督した映画はどれも秀作ぞろい。

 

また、諸問題だけでなくて当時の社会事情もちらと顔を出す、この頑固老人は日本車のTOYOTAに乗っている息子が気に入らない、何せ、自分の車は大きくて燃費も悪そうではあるが、お気に入りのアメ車グラン・トリノであるからね、ここらへんでもさりげなく アジアvs.アメリカ 感を出している。

ということで、ニヒルに冷酷、非情さをもって世の中を鋭く切っていくクリント・イーストウッドの映画を今宵は堪能してみてはいかがでしょうか、アメリカの抱えている数々の諸問題のうちの一つを描いた名作、ぜひ、どうぞ。

 

グラン・トリノクリント・イーストウッドミリオンダラー・ベイビー

 

 

11人いる!  萩尾望都の名作

 

タグのタイトルは、”わたしのおすすめマンガ2020” となっているけれど、2020どころか、最近の漫画はとんと読んでいない、では、いつの漫画なら読んでいるの?と聞かれれば、もうずいぶん昔の漫画だけれど、お気に入りで今読み返しても面白い、なので、この漫画をおすすめしたい。

 

萩尾望都の漫画でお気に入りは他にもまだある、あの名作「ポーの一族」はもちろん、「トーマの心臓」「11月のギムナジウム」‥‥などなど、そんな中からあえてこの一作を選んだのは、私はSFも好きだから。そう、「11人いる!」はSF漫画だ。

 

宇宙大学に合格目指して、最終試験に残った10人、一つ宇宙船で規定の期間を無事に過ごせば、試験にめでたく合格となる、10人は地球人ばかりとは限らない、様々な惑星から集まっている、その生い立ちも、それぞれの持つ事情も十人十色で、さまざまである、宇宙というどんな危険や不測の事態が起こるかわからない空間で、初対面の見も知らずの10名が果たして、無事に一定期間協力して過ごせるかどうか、というところ。

ところが、試験会場たる宇宙船に到着したとたん受験生の人数が多い、「11人いる!」じゃないか……という次第で、ここからストーリは展開していく。

 

ストーリーがいいのはもちろん、このへんはさすがストーリーテラー萩尾望都、そして、受験生10人、いや、謎のもう一名も含めて、11人?がそれぞれ個性的でいい、それぞれとてもインパクトがある、中でも一番好きな受験生は、両性体、と作品の中では呼ばれる、まだ男性でも女性でもない、ほとんど外見は女性としか見えないフロルという受験生だ、この試験に合格すれば男性になれるという、どのような事情でそんなことになっているかは、ぜひ漫画を読んでほしい。

 

次にお気に入りのキャラクターは、タダと言って黒髪の少年、彼はテラという惑星出で、どうやら両生体のフロルに恋をしてしまう。この漫画においては、どこをどうつついても恋愛的な要素が絡むとは最初は読者には思わせないのだが、やはり、少女漫画雑誌に発表された作品であり、読者である少女、または、女性たちを意識したのか。また、女性にとっての宇宙というものを描いて見せた、というコメントをしていた評論家もいた。

 

とにかく、フロル、美しくてかわいいのだ、タダによると、フロルの体型は”扁平胸の女性の体形に似ている” ということだ。フロルとタダ以外にも、王様とかフォースとかガンガとかアマゾンなど…ストーリの中心となるステキなキャラクターはまだまだいる。

 

サイエンス・フィクション、SFだから、作者の想像力は果てしなく広がり、読者が思いもしないような宇宙世界を描いて見せてくれる、そんなところは、優れたSF映画と漫画も何ら変わることはなく、読者をワクワクさせ楽しませ、遠い萩尾望都の宇宙へと読者をいざなう。「11人いる!」は、ちょっとミステリー仕立て、11人は孤立状態の宇宙船で危機的状態に陥る、疑心暗鬼になる、協力や助け合いも必要だ、はたして、11人目は誰なのか、彼らは試験に合格できるのか…読者を漫画に釘づけにする事件は尽きない。ぜひ、一度読んでみてほしい、”わたしのおすすめマンガ”。

 

11人いる! 萩尾望都Perfect Selection 3 (フラワーコミックススペシャル)

 

 

 

 

 

2001年 宇宙の旅 スタンリー・キューブリック 監督        :悪くないけれど残念な映画

 

2001年宇宙の旅 (字幕版)

 

 

オープニングが衝撃的である、原始の地球、人類の誕生はまだなく、原始猿が徘徊しているのだが、’モノリス‘という石板に偶然触れることにより、道具を使い始め、人類の誕生となるくだり‥‥文明は進歩して、突然宇宙空間の映像へ‥‥初めて見た時は衝撃的だった。この ’モノリス‘ というのはだれがいつ持ってきたか、はっきりしたことは最後まで分からずじまいで、とにかくそこにあった、エイリアンが遠い宇宙の果てから持ってきて置いていったのか、この惑星に知的生命体を誕生させてみようか、と気まぐれでも起こしたのか、想像はいくらでも膨らんでいく、が、明確な答えはない。

 

代わって、宇宙技術も進歩した地球にかわり、これも初めて見た時は目を見張って感動した宇宙シャトルと宇宙ステーションの映像へと変わる、この間、ヨハンシュトラウスの美しき青きドナウが流れ続けていて、効果としても素晴らしい。シャトルの中ではアテンダントが地場付きの宇宙服を着ているのか、無重力にもかかわらず地球同様に歩いている、乗客のペンが無重力の中に飛び出しそうになるのをキャッチして、ポケットに戻す‥‥感動的に見ていた。

 

映画は人類が有人の木星探査機を飛ばす、というストーリーで展開していく。この木星探査機にはHalという、人工知能を搭載したスーパーコンピューターも積み込まれている、このHalがストーリー展開していく上でのキーパーソンならぬ、キー’コンピューター‘、キー’AI’ となっていく。リアルの現代でも人工知能の開発、発達は目を見張るものがあり、この先将来も人工知能はまだまだ改良されていく可能性は大きい。この映画は邦題が‘2001’年宇宙の旅 という。‘2001’年である、2001年を想像して、2001年以前に作られた、この映画が公開されたのは1968年、今から20年以上も前に作られた映画だ。

             1984: GEORGE ORWELL (English Edition)

 

キューブリックの卓越した想像力に脱帽をせざるを得ない映画であると思う、が、約20年後の現代でも映画2001年で描かれたような世界にはまだ到達していない、だいぶん、少しだけれど、近づいてきた気はするが、キュ―ブリックの想像力のほうが先をいっている。このように、SF映画や、SF小説で描かれた地球のほうが現実の地球を飛び越えていて、現実の地球は全然、フィクションに追いつかなかったなあ、と、感慨深く思える作品はまだほかにもある。例えば、ジョージ・オーエルの「1984」であるとか、これは、追いつかなくてよかった、と思える小説、だが、似たようなことが現実社会でも起こったか!と思わせる事件は時々報道される。

 

人工知能Halを搭載した有人宇宙船の探索がどのような展開をしていくかは、映画を観てほしい、この映画は素晴らしい、どこがどう素晴らしいかというと、月に居住が可能となった時代の宇宙空間を見事に映像化した点であるとか、オープニングから流れる音楽の選択がいいとか、AIを積んだ有人木星探索の設定や、探査機がいいとか、いろいろあって、いい映画だと思う。が、にもかかわらず、この映画を素直に ”いい映画“ のカテゴリーに分類するのがためらわれる、何故? 

 

映画を観た当時、ラストがよくわからなかった、抽象的過ぎて、ラストにストレスを感じた、思うに、おそらく、ブラックホールに突入して、ゆがんでねじれた時間空間に入り込んでしまい、過去にさかのぼってしまった木星探索機のボーマン船長が、時をさかのぼりすぎて胎児にまで戻ってしまった、ということなのか‥‥よくわからないが、そうではないか、と思う。よくわかる人にはよくわかるのだと思うが、残念ながら、ラストとラストシーンで消化不良になってしまった。だから、この映画を ”悪くないけれど残念な映画“ に分類しようかな、と迷ったりする、いつも言っている映画を観終わった後の ”余韻“ が感じられない、というわけで、キューブリックアーサー・C・クラークの才能に感心しながらも、この映画は ”悪くないけれど、残念な映画“ としたいと思う。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

#SF映画#スタンリー・キューブリック2001年宇宙の旅アーサー・C・クラーク

 

 

 

エア・フォース・ワン   悪くないけれど、残念な映画           ハリソン・フォード 主演  

エアフォース・ワン 特別版 [DVD]

 

スター・ウォーズアウトローハン・ソロ船長の役で一世を風靡したハリソン・フォードアメリカの大統領としてテロリストに乗っ取られた大統領専用機エア・フォース・ワンで大活躍する映画、とにかく、乗っ取られた飛行機でほぼハリソン・フォードの一人舞台、宇宙を駆け巡ったミレニアム・ファルコンから大空をかけ巡る大統領専用機と所を変えて、大活躍、そんな映画だ。

 

ハリソン・フォードは、ハリソン・フォードであるだけでカッコいいのに、ハリソン・フォードの大統領、カッコよすぎる、こんな大統領いるはずないだろう!と思わず言いたくなるが、フィクションだから、と言い聞かせる。映画が公開された1997年当時の実際のアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンであるが、クリントンがこの映画のようにいくわけは決してないな、と思い改めてこれはフィクション、と言い聞かせる。

 

 

レオン 完全版 (字幕版)

 

スーパーマン・大統領以外では、テロリストを怪演したゲイリー・オールドマンが怖かった。ジャン・レノが主演したフランス映画「レオン」でも、かなりキレていて普通ではない刑事を演じている。今回のテロリスト役は「レオン」の刑事には及ばないと感ずるが、それでも、なお、怖かった。ゲイリー・オールドマンといってもピンとくる人はこれもまた少ないと思うが、映画「ハリー・ポッター」シリーズでハリーの親代わりとでもいうシリウス・ブラックを演じた俳優だ、と言った方が多少はピンとくる人もいるのではないかしら。なお、「不滅の恋 / ベートーベン」の、ベートーベン役のゲーリー・オールドマンも実に印象的。

 

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (吹替版)

 

また、副大統領役のグレン・グローズは出番は少なかったが、ごつくていかつい女副大統領というイメージで頑張っていた。20年以上も前の映画なのに、すでに、女性副大統領を登場させていたところは時世をかなり先取りしていたと思える。もっとも、当時のファーストレディはヒラリー・クリントンであり、何かと注目を集めていたヒラリーをイメージすれば、映画の中でも女性副大統領が出てくるのはさもありなんか。

 

映画のタイトルでもある”エア・フォース・ワン“についていえば、本当にこんなことが大統領専用機でありうるの? こんなことありえないだろう!!! と、叫びたくな りそうになる映画。核のボタンは本当にリセットされて奪われた方は操作不能になるのか? 飛行機の中であんなに銃撃戦をして本当に大丈夫なのか? アメリカ国民が新聞記者も含めて、あんなに事態をかたずをのんで本当に見守るのか?それ程まで情報をメディアに流すのか? 護衛としてあんなに戦闘機が本当に出てくるのか? ミサイルで爆撃されたり、敵機爆撃したりして、あれじゃ戦争になるだろう!‥‥などなど、観ていてあげればきりがないくらい。フィクションなんだよ!!! と、言い聞かせなくてはならない場面が多すぎた。

 

こんなことばかり書いているけれど、では、映画そのものはどうだったの? と、問われれば‥‥楽しめました。いろいろ物申したいことは多々あるけれど、結局、面白かった。ハリソン・フォードは現実離れするほどカッコよく、とても楽しめる映画なのだけれど、物申したい部分が多すぎたということで、“悪くはないけれど、残念な映画” としたいと思う、やっぱり、最後は ”ありえないよ!!!“ と絶叫しそうな感じでした。

 

 

 

 

映画 キッズ・リターン  Kids Return  北野武 監督

キッズ・リターン [DVD]

 

最初から、オープニングがいい、なんだか人生にくたびれた男二人、自転車に乗ってよろよろ走っているかと思うと、パッとフラッシュバックして、シンジのこぐ自転車の荷台にまたがっているマサルの着ている真っ赤なシャツがいきなり視界に飛び込んでくる。久石譲の音楽も急にテンポよくなり、シンジの走らせる自転車のスピードもアップして風切るように走り、映画のタイトルが現れる‥‥オープニングから素敵だ、素晴らしい。と、この時点で早くも映画の世界に吸い込まれてしまうような感覚。グレーから炎、情熱のレッドへ、北野監督が使った色彩のマジック。

 

その後のシーンで、二人が学校に遅刻して授業をさぼっていることが分かる。この二人、いわゆる落ちこぼれであることが分かる。同級生は受験勉強に余念がなく、映画が展開していくにしたがって、ますます、この二人の落ちこぼれぶり、というか、不良ぶり、みたいなものが分かってくる、そして、この二人はこの映画の主人公である。

 

どの映画でも、主人公のまわりには主人公に絡んでストーリを作っていく登場人物がいる。この二人のために配置された登場人物というのも、なかなか主人公二人に負けず劣らずの人物たちである。この映画は、青春映画と言われている、青春映画、と聞いてたいてい思い描くのは、明るくて、溌剌としていて、甘い恋の話があったり、スポーツに打ち込む姿があったり、悩みや挫折があってもあくまで、“明るい” というイメージで貫かれていく。そんなイメージが一般的ではないか。筆者の独断かもしれないが、そんな風に思う。

 

この二人も、それぞれ道は違えど、それぞれ自分が選択した道に打ち込んでいき、二人ともいい線までいくことになる。たとえ、マサルの道がヤクザの世界での出世であっても。ヤクザの世界での出世に青春をかけさせる、というのも北野監督ならではの物語展開ではないか。監督の発想の奇天烈さにここではあっぱれ、となる。結局、マサルは極道の掟に従えず制裁を受けてヤクザ世界での出世コースから脱落する。一方、ボクシングの道に打ち込んでいたシンジもいい線行くのだが、いかんせん、ボクシングは強いのに、メンタルが弱かった。後輩を堕落させるようなアドバイスしかくれない、先輩ボクサーの甘言によって、チャンピオンへの出世コースからあえなく脱落する。

 

 

アウトレイジ [Blu-ray]

↑ アウトレイジ

 

並行して描かれる、マサルとシンジの同級生、ヒロシもせっかく就職した会社を辞めて、タクシー運転手に転職するのだが、結局うまくいかずに、事故を起こしてしまう。主人公たち、主人公を取り巻く人物たち、映画を観ていても救いがない。そんな中にあって、漫才師を目指した同級生二人、彼らだけは成功を手に入れる、何故かな、と考えた時、やっぱり、自分が漫才師ビートたけしとして成功を手に入れたことに思い入れがあったのかな、と考える。

 

主人公のマサルとシンジは、こうして夢破れ挫折して、再会し、オープニングの自転車のシーンへとつながる。どこに行くかと思えば、卒業した高校の校庭であり、映画のタイトルの ”Kids Return (キッズ・リターン)” となる。主人公二人まだまだ ”Kids" ということでもあるのか。久しぶりに懐かしい友人に出会い、共に過ごした学び舎に引き寄せられるように学校へ行く。やはり学生時代は良かった、青春時代は良かった、学校で授業さぼっても、煙草吸っても酒飲んでも先生に怒られるだけで済んでいた。カツアゲして、警察に補導されたとしても、親は駆けつけてくれなくても先生が駆けつけてくれたかもしれない。

 

ラストは、ノスタルジックにセンチメンタルに昔を懐かしむ挫折した男二人。ラストのマサルの希望に満ちたセリフは、そんな、懐かしくも、やはり、”美しい“ 青春時代に思いをはせ、くたびれたような彼らの心に再び小さな炎が燃え上がった結果、口からついて出たセリフなのか。オープニングのマサルの真っ赤なシャツは、もちろん、高校生の時のマサルやシンジの情熱や心意気の ”レッド” であったろう。と同時に、挫折して再び青春時代を過ごした場所に戻ってきたマサルとシンジの心に再び燃え上がった ”炎” とまではいかなくても ”種火“ くらいは現わしているのかもしれない。だから、マサルの口からあのようなセリがでてきたか。

 

 

 

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「Kids Return」好きな映画だ。結局、この映画の何がそんなにいいのか、と言うならば、主人公二人の学校での傍若無人ぶり、校則、先生の言うこと無視してやりたい放題やっているところが痛快、二人が選んだ極道界とボクシング界の対比の面白さ、それぞれの世界で頑張る二人の懸命さ。マサルの場合は極道界と言えどもおもしろい、いや、そんな常識とは正反対の世界で一生懸命だからかえっておもしろいのか。キャスティングも音楽もいい‥‥‥ということで、いいことずくしで、北野監督の映画の中では大好きな映画である。一番といってもいいかもしれない、他にもまだお気に入りの北野映画あるけれどね。

 

 

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映画 レイジング・ブル  Raging Bull  ロバート・デ・ニーロ 主演  マーティン・スコセッシ 監督

 

レイジング・ブル (字幕版)

 

この映画、ロバート・デ・ニーロがとにかく若い、「ミッドナイト・ラン」であるとか、「ゴッド・ファーザー part II」、「1900年」、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」、挙げればきりがないほど見た映画の中のデ・ニーロとあまりにも違うのでにわかに今までの見慣れたデ・ニーロ本人とは思えなかった。ボクサーとしての鍛え抜かれて、引き締まったか体に、精悍な顔、映画の最初では別人に見えた。が、減量がうまくいかなくて肉がついてきたころの顔や、コメディアンをやっている頃の主人公を見ると、よく見慣れたデ・ニーロの面影を見ることができるのだった。

 

 

ミッドナイト・ラン (字幕版)

 

デ・ニーロはこの映画でアカデミー主演男優賞をとった。マーティン・スコセッシ監督の秀作と言えると思う。“狂暴”なボクサーの話なので、時に見ていられない、と思ったり、目を伏せたくなってしまうシーンもあるのだが(筆者にとっては)、デ・ニーロとスコセッシは見せてくれる。

 

デ・ニーロ扮するジェイク・ラモッタというボクサーは実在の人物でこの映画も伝記をもとにした脚本である。タイトルは ”Raging Bull (荒れ狂う牡牛) だ。タイトルの ”レイジング・ブル“ はこのボクサーのニックネームであり、文字通り、デ・ニーロ扮するボクサーは ”荒れ狂う牡牛“、または、”荒れ狂う獣“ 、といえる。

 

実際そうだったのだろう。ジェイク・ラモッタはとにかく狂暴である。或る意味、その暴力性でミドル級のチャンピョンまでのし上がったともいえる。一方、この男は、嫉妬深い。奥さんが浮気をしているのではないかと疑う時、奥さんに対する嫉妬と猜疑心は異常と言える。また、この男は感情をコントロールできない。そのせいで、ジェイクから殴られたり暴行を受ける奥さんや、実の弟や、知人はたまったものではない。さらに、この男は、映画の中で自分でも言っているが“バカ”である、タイトルマッチのためとはいえ、軽く八百長試合をうける。八百長試合を行ったジェイクの行く末は想像するに難くない。

 

”荒れ狂う獣“ ということで、全編を通して主人公は激怒し、荒れ狂う。激怒し、荒れ狂って無茶苦茶なのだが、成功する。が、獣であるがゆえに人間の世界で成功しても、その成功を持続させる術を知らない。成功を持続させる術を知らない者の末路、これも想像に難くない。”獣” には人間の世、人間の心、が見えないのである。

 

が、人間の世、心が見えなかったジェイクであるが、そんな獣も人間に変身する、そのきっかけは、獣の心には決して芽生えることのない,後悔の念。ジェイクがいつ、この ”悔いる心” を見せるのであるか、それは映画を観てほしい。ラストは、獣から人間へと変身したジェイクを見ることになる。

 

デ・ニーロは役作りのために精悍なボクサーの肉体から、ボクサーを引退した後のでっぷり肉のついた体型へと変身した。「アンタッチャブル」のアル・カポネを演じた時にも、異常なまでに体重を増やした体型を作っていた。あの時は驚いたが「レイジング・ブル」の時に既に同じことをしていた。弟役のジョー・ペシも悪くない。「いとこのビニー」という映画では、一見さえないが有能であった弁護士を演じている、この映画は実は、筆者のひそかなお気に入りでもある、この映画も面白いです。

 

映画「レイジング・ブル」、オーブにング、リングでガウンをまとったが蝶が飛ぶようにふわふわ動くシーンは美しい。また、エンディングですぐに出てくる聖書の言葉は味わい深い、目を開き人間となった、人間の心を手に入れた元ボクサーの明るい未来を暗示する幕切れとなる。いい映画です。

 

 

アンタッチャブル (字幕版)

 

          いとこのビニー (字幕版)